4回にわたってお送りした〈金正日・金正恩研究〉のための書籍レビュー(第1回はコチラ)、最後の今日は肩のこらない読み物や、ちょっと眉につばして読んだほうがいいものをご紹介する。お菓子とか食べながら読んでください。


最初に紹介したいのは、2010年に刊行された『萌え萌え北朝鮮読本』である。
ご存じのとおり、北朝鮮という国は金日成・正日の2代にわたる独裁を受け、「主体思想」「先軍思想」の強制によって経済成長が絶望的に停滞している。そんなこの世の地獄を味わいながら、なんで将軍様を信奉していられるの? もうそれは論理を超越した「萌え」の領域なんじゃないの? というツッコミをいれつつ、硬軟の北朝鮮文化を紹介しようという趣旨の本である。ちなみに筆者はあまり「萌え」の概念に詳しくないため、間違えていたらごめんなさい。
ふざけている、と怒る人がいるかもしれないが、1995年のテリー伊藤『お笑い北朝鮮 私が愛した金正日』の昔から、少しでも敷居を低くしてかの国に興味を引き付けようとする試みが北朝鮮研究・報道の状況改善のために効を奏してきたことは事実だ。ふた昔前までは北朝鮮について批判的に語ること自体がマスメディアのタブーだったことを、決して忘れるべきではない。
そうした空気を作り出してきたのは朝鮮総連からの圧力を怖れた保守・革新両派の政治家たちである。
それに、読んでみると『萌え萌え北朝鮮読本』は案外真面目で、役に立つ情報が詰まっている本である。著者はミリタリーマニアとおぼしく、総数110万人といわれる北朝鮮軍の実態についてかなり詳しく書いており、かの国に戦争をするほどの国力はない(が、ゲリラ戦という手段もあるので、決して油断してはいけない)という事情を初心者でもわかるような筆致で説明してくれている。とりあえず身辺に金正日没後の軍部の暴発を怖れている人がいたら、この本の該当箇所の記述を読ませてみてはどうか。
それ以外にも興味深い記述が多い。たとえば、お堅いイメージのある社会主義国家の北朝鮮になぜ女性による接待団体があるのかという疑問に対して、その理由の1つが北朝鮮固有の性差を極端に尊重する文化にあり、「男らしさ」のステロタイプとして見なされている「女性や目下の人間に対して尊大に振る舞うこと」を金正日が意識して行ってきたからだ、という考察をしている(「喜び組に萌えよ!」)。
金正日が出世の足がかりとしたプロパガンダ映画製作を紹介した「花を売る乙女 1ウォン札も萌えている!」の項では、北朝鮮の歴史ドラマにおいては敵役が意外にも日本人ではないことが多く「国内の資本家や地主が同胞を苦しめた」というイデオロギーによって作劇されていることが紹介されている。こうしたディテールを知るのは楽しい。
冒頭の「まずは将軍様に萌えなければならない」の項は「一号芸術」を紹介するものだ。「一号芸術」とは支配者である金一族を題材にした絵画等の芸術作品のことで、これを描ける者は北朝鮮ではごくわずかな数しかいない。支配者のイメージが人民統治に大きく影響することを、宣伝映画作りのプロである金正日が熟知していたからだろう。当然だが一号芸術には創作上のさまざまな制約がある。


 ――このように金正日が兵士や市民達と同じ絵に描かれる場合、金正日は画面の一番高い位置に描かれていなければならない。彼以外の人物は必ず、彼よりも低い位置に配置して描かれるのだ。一号芸術家は構図を考えるのも大変なのである。

絵画の話題が出たので写真のことも紹介しておきたい。『「偉大なる将軍様」のつくり方 写真で読み解く金正日のメディア戦略と権力の行方』の著者・辺ヨンウク(映+日の下に立)は、韓国「東亜日報」の写真記者だ。北朝鮮「労働新聞」掲載の一号写真(金一族の写真)を分析し、金正日が自身の統治者としてのイメージをどう展開していったかを読み解いた本である。
これもめっぽうおもしろい。
金日成から金正日への権力移譲のプロセスは「労働新聞」の紙面からも知ることができる。金日成死去直後の1994年7~8月には日成の写真が「労働新聞」には集中的に掲載された。だが同年9月から翌95年5月まではなくなり、代わりに10日に1回の頻度で金正日の写真が載るようになる。1995年6月には再び金日成の写真が集中的に掲載され、7月から年末までは金日成と正日とのツーショット写真がそれに代わる勢いで載せられるのである。こうした形で金日成と正日の同一視、父から子への権限委譲のイメージが作られたのだ。

外部の思い込みとは逆に金正日は大衆の面前での演説をしたことがなく、1992年健軍60周年の軍事パレードで「朝鮮人民軍将兵たちに栄光あれ」と言ったのが最初で最後である。人民から離れたところに位置どることで神格化を図ったのだろうし、視覚よりも聴覚がコントロールしにくいことを知っていたのではないかとも推測できる。
辺の指摘で特におもしろいのは、「一号写真」において写真の改竄が行われたことはないというものである。というより、北朝鮮が公式に発表する写真はなんらかの意図であらかじめ構図がデザインされているので、修整の必要がないのだ(金正日の劣等感の元だと考えられる低身長も、シークレットブーツを履くことで克服している)。
北朝鮮の写真特有の、主題となる要素を中心に置く構図についての指摘も興味深い。

 ――ふつう写真では黄金分割を用いて縦横を三分割する線の交点に主題を配置する。
旧ソ連や中国など他の社会主義国でも北朝鮮のようなやり方が多くないことを考慮すれば、これは北朝鮮の新聞記者が行う意図的な編集の結果である。対称の構図は聖画や仏画など宗教画において多く用いられるが、金委員長関連の写真の七、八〇パーセントはこの構図で撮影したものだ。(後略)

そこまで辺記者は言及していないが、この構図が選択された背景には間違いなく金一族を神格化する意図があったはずである。『萌え萌え北朝鮮読本』で言及されていた「頭の高さ」と併せて読んでみるとイメージ操作の隠された意図が見えてくる。

当たり前のことだが「労働新聞」には金正日の間の抜けた顔は掲載されない。そうした気を抜いたときの表情や外国の指導者よりも背が低く見える全身像の写真は、外国メディアの記者が撮影したものだ。だからこそ2008年の大病後、老いさらばえた金正日の姿が報道されたことには意味がある。あえて身体の衰えを国民に見せることで、指導者の交替を印象付ける意図があったと考えられるからだ。それまでは正面からのものしか用いられなかった一号写真に横から顔を写したアングルのものが増えてきたことも、おそらくそうした印象操作の結果だろう。一号写真を巡る方針も移行期に入ったのだ。
報道カメラマンとして世界の紛争地帯を飛び回っている宮嶋茂樹には『不肖・宮嶋 金正日を狙え!』の著書がある。まだ金正日が鉄のカーテンから出てくることがなかった2001年から翌年にかけて「世界最悪の独裁者を撮った初の日本人」になろうとして奮闘したことが書かれたルポルタージュである。最初に金正日モスクワ入りの情報を得て現地に赴いたときは空振りに終わってしまう。宮嶋が日本を留守にしている間に長男の金正男が成田空港で身柄を押さえられる事件が起き、国を離れるどころではなくなったからだ(宮嶋はこの事件を2001年3月末のこととして書いているが、だとすれば記憶違いだ。金正男が不法入国者として拘束されたのは5月初頭だからである)。
当時は珍しかった金正日の「非公式」写真が満載で、これも読んで損はない本である。

文字数がなくなってきてしまった。もう1冊だけ紹介する。
佐藤守『金正日は日本人だった』は、元自衛隊空将の著者による北の指導者の知られざる一面を描いた著作だ。佐藤は「金正日は日本を思慕し続けている」と断定し、その根拠を彼のルーツに求めようとするのである。なんと、金正日は金日成の子供ではなく、金正日の革命同志であった金策と日成の妻・金正成の間に出来た子なのだという。そして金策は帝国陸軍が朝鮮半島に残したスパイであると主張する。ゆえに金正日は日本人の血筋を受け継いだ日系人なのである。
もちろん、その結論にはかなりの無理がある。憶測をつなぎ合わせただけの推論で「想像をたくましくすれば~かもしれない」「もしこれが事実なら~ということになる」という仮定と前提条件を履き違えた文章が頻出し、綱渡りのように結論が導かれていく。これではフィクションとしてはおもしろくとも、ノンフィクションとしての価値はゼロと言われても仕方がない。だいたいそんなに思慕の念があるのなら、金正日はなぜ日本人を拉致して家族を悲しませるようなことをするのか。納得のいく説明ができたらしてもらいたいものだ。その結果著者は「金正日は拉致について知らされていなかった」という結論に飛びついてしまう。それ、駄目ね。

というわけでトンデモの部類に入る本なのだが、紹介したのには2つの理由がある。
1つは、本書が金日成なりすまし説をとっているからだ。金日成神話には不明な点が多いが、特に抗日戦線で活躍したとの若き日々の逸話には疑問符をつけたくなる部分がある。それは金日成のせいというよりも、当時のパルチザンの事情を反映したものだ。抗日のシンボルである「金日成」という名前を利用するため、1940年代には各地で金日成を名乗る者が活動していたのである。その事実と、金一族が自己の神格化のために出生情報を曖昧にしたがる点とが本書の奇説を可能にしてしまっている原因だ。神格化が可能なら、トンデモ化も可能だということである。本書は金日成・正日神話を相対化するものといってもいいだろう。トンデモ仮説を鵜呑みにしなければ、金日成に関する初心者向けの読み物にもなる。

もう1つの理由は、本書が日本人の民族差別意識の典型になっているからだ。「金正日は日本人だった」と言う心のどこかに「革命のような大事業を日本人が成し遂げていたらいい」「他のアジア周辺国の民族にそれができるということを認めたくない」という見えない願望があるのではないか。この意識は民族差別から生じている可能性がある。
マスメディアの報道やネットの書き込みを見ると「金正日の人格を嘲笑し」「金正恩もその子供だから同じように馬鹿にする」ものが非常に多い。金正男だけはちょっと持ち上げるが、それは彼が日本に密入国しようとした過去があるからだ。「日本文化に憧れてやってきたマサオ(ネットではこの呼び名が多い)って可愛いやつじゃん」というわけである。
それって、隣国の民族や文化を意味もなく侮辱して悦に入っているだけで、何も事態の解決には貢献しない態度なんだぜ?
4回にわたって金正日・正恩に関する本を読み続けてきたのは、そうした感情による条件反射ではなく、きちんと情報で事態に対処する態勢を自分の中に作り上げるためだった。時代は動く。そのときに備えて、ちゃんと世界が見える目を持ちたいと思うのだ。
(杉江松恋)