もともとスポーツ用品として生まれ、現在では人々の足元に欠かせない存在となったスニーカー。さまざまなブランドがしのぎを削るなかで、男女問わず根強い支持を集めるのがナイキだ。
90年代後半に日本で巻き起こったハイテクスニーカーブームは、ほぼナイキブームとイコールだったと言っても過言ではない。

社会現象化した「エアマックス95」


なかでも1995年末に発売された「エアマックス95」は、木村拓哉や広末涼子、内田有紀ら当時のセレブリティがこぞって着用したことから、1996年に入って人気が爆発。正規取扱店には「今日エアマックスの入荷があるらしい」といううわさだけで行列ができ、1人1足までの販売制限や抽選販売もザラ。翌日には個人経営のショップやフリーマーケットなどで数万円上乗せして転売されることも珍しくなかった。
特に人気だったのは黒とグレーにネオンイエローの刺し色が入ったファーストカラー、通称「イエローグラデ」。高値で転売できたことから、このシューズを履いた少年たちが襲われる「エアマックス狩り」という物騒な流行語も生まれた。

最高額は? エアマックスの値上がり


結局、定価1万5000円のエアマックスはいくらまで値上がりしたのだろうか? 『東京スニーカー史』(立東舎より3月25日発売)の著者で、ストリートファッション誌『Boon』(祥伝社)で長くライターを務めてきた小澤匡行さんに話を聞いた。
「私が当時の関係者に取材した範囲では、中野の某ショップで38万円というのが実際に売れた最高額でした。ほかにも、委託販売ショップでアルバイトをしていたスタッフの方からは、『紫のスーツを着た、明らかにソノ筋の方が、セカンドバックから現金30万円を出してエアマックス95を買っていったことがあった』との証言もありました」

現在のようにインターネットが普及していなかった時代、スニーカーファンの情報源は雑誌がすべてだった。当時は小澤さんが携わっていた『Boon』に追いつけ追い越せと、『GET ON!』(学研)『COOL TRANS』(ワニブックス)『STREET JACK』(KKベストセラーズ)といったストリート誌の創刊ラッシュ。他誌には載っていない“レアな”スニーカーが載っているかどうかで雑誌の売り上げも大きく変わったことから、後発誌を中心に、誌面で紹介されるスニーカーの価格もインフレしていったようだ。
「実は私の執筆していた『Boon』には、あまりにも高額すぎる価格の商品は掲載しない、という編集部の方針があったんです。そこでいつからか編み出されたのが“価格応談”という表記。中には、お店の広告に掲載されている商品すべてのクレジットが“価格応談”なんてお店も。
いまふりかえると、意味が分からないですよね(小澤さん)」

エアマックスブームの終焉


雑誌だけでなく、スニーカーショップもまさに「雨後のタケノコ」のように誕生しては消えていった。
「たとえば1年前の雑誌に掲載されたショップリストを見てお店に問い合わせをすると、すでに電話番号が新しい所有者のものになっていることも多々ありました。『Boon』に掲載されていたお店の電話番号のうちのひとつが、これまたソノ筋の方々の事務所に切り替わってしまったようで、あるとき先方がついにキレて、編集部にお怒りの電話。すぐに編集長がウィスキー持参で謝りに行ったのですが、一晩軟禁されてしまったこともあったそうですよ(小澤さん)」

 エアマックス95のブームから今年で20周年。今年はエアマックス誕生30周年にもあたることから、東京・原宿では歴代モデルの展示イベントも開催されるなど、エアマックス熱が再燃中。物騒な事件はもうご免だが、あのころのブームをそろそろふりかえってみるのも、悪くないだろう。
(DJDB)

※イメージ画像はamazonより(ナイキ) NIKE ナイキ エア マックス 95 OG
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