脚本:西田征史 演出:岡田健

質問です。
a 星野(坂口健太郎)と常子(高畑充希)の「月がきれい」とキスのコンボ
b 先週から登場しはじめたばかりの赤羽根(古田新太)がすでに4回もラストカットを飾っている
a問題について。
常子と星野は28回で「月がきれい」に関する話をしている。
そのことについてレビューレビュー
を書いているので、ここでは改めて触れない。
今回、気になったのは、月の形。
134回はほぼ半月だった。
129回で、星野が常子を抱きしめたときは、 満月よりちょっとだけ欠けていた。
28回の月も、ほぼ満月に近いが微妙に欠けた月だった。
つまり徐々に欠けているのだ。
ふつうだったら、満月映して、ハッピー! のはず。徐々に欠けていくのは、この恋、成就せずの暗示ではないだろうか。
出会ったとき既に、未来から逆算して月を配していたのなら、用意周到だ。
b問題について
8回のうち4回もと思うとやり過ぎ感が否めないが、古田新太の人気によるところが大きいとしか言いようがない。
134回では、社員のひとりは赤羽根の親戚であることが明かされたうえ、昔の会社の写真を見ながら「苦労してここまで大きくしたんだ」と言う。
じつは家族的経営を誇る「あなたの暮し出版」と同じところがあるのではないか、と思うが、どうも「下町ロケット」「半沢直樹」的な雰囲気を匂わせたいだけのような気もしないでない。
もうひとつの問題
星野と常子がハッピーになればなるほど、亡くなった奥さん・加奈子のことが気になってならない。写真と簡単な星野による回想でしか出てきていないにもかかわらず、加奈子に感情移入、加奈子が可哀想という思いが募る。
もちろん、過去を引きずらないで前向きに生きることも大事だが、ふたりの子どもまでもがすっかり実母を忘れてしまっていることに、ちっぽけな良心が刺激されるばかりだ。
「変わることはいいことなのよ」(by平塚らいてう)が「とと姉ちゃん」のテーマのひとつらしいから、過去はほとんど顧みられることなく、いま、ここ を大事にする生き方をする常子たち。そういう生き方もいいけれどどうにも薄情な印象が否めない。
お互いずっと忘れられずにいたのに、星野が寂しさに負けたのかなんなのか1回結婚してしまっていたことによって、前妻が可哀想という思いに繋がってしまう。
「カーネーション」のように不倫にしなけりゃいいってもんじゃない。
本来ならこれ、旦那が戦死したと思って再婚したら旦那が戻ってきて・・・という悲恋もののひとつのパターンを反転させた、女性が父代わりになって生きる「とと姉ちゃん」らしい秀逸なエピソードになり得たかもしれないのだ。ところがなぜかギクシャクしてしまって、まことにもったいない。
(木俣冬)