連続テレビ小説「半分、青い。」(NHK 総合 月〜土 朝8時〜、BSプレミアム 月〜土 あさ7時30分〜)
第4週「夢見たい!」第23回4月27日(金)放送より。 
脚本:北川悦吏子 演出:土井祥平
「半分、青い。」23話。原田知世の神聖なイメージが激しく覆される朝ドラ革命 
「運命に、似た恋」DVD-BOX バップ
北川悦吏子が書いた、原田知世主演のドラマ。秋風羽織の仕事場と、このドラマのカリスマデザイナー(斎藤工)の家の外観は同じ。
斎藤工は、4月27日、「半分、青い。」に映画監督役で出演が決まったことが発表された。

23話はこんな話


はじめての漫画を描き上げた鈴愛(永野芽郁)は、律(佐藤健)をはじめ、ブッチャー(矢本悠馬)、菜生(奈緒)にお披露目し、さっそく第2弾にとりかかる。
そして唐突に、鈴愛は「梟会」を結成する。


コンテンツを生かす


鈴愛の漫画第1作「カセットテープの恋」(作画:なかはら・ももた)が、NHKの1.5chというサイトで動画として見ることができる。

この1.5chというのは、NHKのコンテンツからおいしいところを取り出して、ネットで楽しめるように
したもの。
最近のNHKは、夕方の朝ドラ「カーネーション」再放送、大河ドラマ「西郷どん」のはじめての深夜再放送など、
自社コンテンツをどこまでも無駄なく活用することに余念がないようだ。これは、まるで朝ドラ「ごちそうさん」の始末の料理のようではないか。
これもひとつの「インスピレボリューション」(23話で鈴愛が発した造語)だ。

「わたしには何もないと思うか だからこそなんにでもなれると思うかはその人次第で・・・」


23話の最後、早速第2弾の漫画にとりかかった(今度は、例の弓道少女と律の恋物語らしい)鈴愛の姿に「わたしには何もないと思うか だからこそなんにでもなれると思うかはその人次第で・・・」というナレーション(風吹ジュン)がかぶった。
“視点を変える”ことは「半分、青い。」のテーマである。
23話のなかには、その視点に関する描写がそこそこに描かれた。
まず、萩尾家の和子(原田知世)と弥一(谷原章介)。
鈴愛の言っていることを、和子は「嫌味が嫌味に聴こえない」と言い、弥一は「嫌味で言ってないよ」と理解する。ふたりとも悪い意味には捉えていないとはいえ、同じ言葉を聞いても「嫌味」と「嫌味ではない」とに印象が分かれるのだから、ひとの感性とはかくも多様だとわかる。

22の話の心配性な晴(松雪泰子)と楽天的な宇太郎(滝藤賢一)の関係もそうだ。そして、23話で、喫茶ともしびで、鈴愛の漫画を読みながら、菜生が「早朝に起こせる相手が律だった」と言うと律は「それだけか」とむくれる。
菜生は、律と鈴愛が何かのきっかけさえあれば恋に発展すると踏んでいる(18話)ので、おそらく、それだけ心を許した関係なのだ、といい意味で言ったに違いない。
だが、律は「それだけか」と軽く扱われていると捉える。

ふたりでひとり


電話で
鈴愛「告白か」
律「好きだ 鈴愛」
鈴愛「冗談だな」
律「冗談だ」
と軽く言い合ってしまうふたりが微笑ましい。
もともと秋風羽織を律に教えたのは、和子で。弥一も好き、というのも微笑ましい。

視点の違いを描くと同時に、その違いが補い合うことになっているのが「半分、青い。」
楡野夫妻だけでなく、萩尾夫妻は、何かひとつのことに一点集中してまわりが見えなくなってしまうところのある和子に、客観性と洞察力のある弥一がいることで助けになる。
東大から京大に進路変更をすることを和子にうまく報告できるように、鈴愛が、東大よりも京大のほうが
ノーベル賞獲得者が多いということを図書館で調べてきてアドバイスしたことが役に立つ。

鈴愛は、「あの声であの顔で言われるとそうかもしれんと思ってしまう」「いちいちもっともらしい」と
弥一を表し、律は「和子さんはなにをいっても素通りする」と言う。
ここまで徹底的に対称的に人物を描くことはオーソドックスな手法だと思うが、誰もにわかりやすく、共感を生みやすいとも思う。「半分、」というタイトルにそこも合わせてあるのだろうし。とてもコンセプチュアルなドラマで、その対称性がドラマの美しさにもなっている。

原田知世の意外性


原田知世といえば、それこそ、このドラマの時代80年代に「時をかける少女」でデビューして、いまのいままで、少女性を保ち、透明感のある、感じのいい、聖女のようなイメージがあるが、「半分、青い。」では
金八先生、ゴアのモノマネをするという意外性を見せ、順調にイメージ刷新を行い続けている。
和子が、おっとり優しいいいお母さんかと思いきや、言葉が上滑りで含蓄に欠ける面が顕になっていく。
愛息子・律が、ベートーベン、グレン・グールド、村上春樹、エジソン・・・みたいになるといいと夢想するのはいいが、わかりやすい天才であればいいという節操ないラインナップ。
まあ、こういうお母さんは意外といそうで、村上春樹を「デビューから目つけてた」というところなどもいかにもだ。

それが悪いというわけでは決してなく、「『運命』くらい軽く作れると思ったんや」という台詞も、捉え方によっては、なにかマイナスなことがあっても「運命だから」と諦めることなく、自分で「運命」をつくる。なににも囚われない気持ちと考えられないこともない。
ドラゴンボールやひとつなぎの大秘宝みたいな獲得するのが大変でものではなく、ノーベル賞が“駅前の岩田屋で肉まん買う”ように“ベルマーク”のように、運命もそれくらいのきやすさで買ったり集めたりできるのではないか。
夢はいくらでも見ていい、そしてそこに向かって行動すればいいという考え方にも見えてくる。そして、それこそ、いままで作られてきた「朝ドラ」ヒロインの精神でもあるだろう。

夢は朝開く


23話のラスト、朝4時半に鈴愛に叩き起こされる律。
「梟会のみんなが幸せな夢を見られますよう」とナレーション。
朝ドラに夢はつきものだが、朝、目覚めたところで、「夢」について語るところが面白い。
夢は、夜でも昼間でも見られる。
今日も1日、夢を見て生きていこうと励まされた。
(木俣冬)
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