第13週「仕事が欲しい!」第77回 6月29日(金)放送より。
脚本:北川悦吏子 演出:田中健二 橋爪紳一朗
77話はこんな話
結婚の真相を確かめようと、秋風(豊川悦司)は律(佐藤健)の会社に電話をかける。そして鈴愛(永野芽郁)は矢も盾もたまらず・・・。
フランソワが死んだ
鈴愛「律、結婚した?」
晴「うん・・・結婚したよ」
最初は鈴愛に送った荷物(朴葉寿司など)が届いたかと思ってにこにこしゃべっていた晴が、娘の異変に気づき曖昧な口調になり「言うのうっかりしとった」と交わす。
結婚相手・より子(石橋静河)は律の就職した菱松電機の受付をやっていた人物で、フランスソワ(亀)が去年死んで寂しくなって結婚を決めたのではと晴はできるだけ素っ気ない感じで伝える。
フランソワ、台詞死。合掌。
律くんは和子さん(原田知世)に溺愛されて育ったから、クールにふるまいつつもひとりが苦手なのだろうなあと思う。誰かに必要とされることが彼のアイデンティティーであり、誰かがそばにいて自分に期待してくれないと動きようがない律は、鈴愛に「無理」と言われ、世話していたフランソワも死んで動けなくなったとき、そばにいたより子を選んだのだろう。現代(近代)男子の結婚の実情がよく描かれていると思う。
式は京都ということは下鴨神社、もしくは京大のすぐそばにある吉田神社だろうかとひと妄想。
ハンズフリー
「いきなりすまない」と秋風は律の会社に電話をする。
ボクテ(志尊淳)とユーコ(清野菜名)にも聞こえるようにハンズフリーにして話す。
秋風の話を聞いているときの、ボクテとユーコのリアクションが76話に引き続き冴えている。
電話を受けた律は、すっかりすっきりしている。
白い制服の上着を着て、前髪をきちっと横分けにして、結婚指輪をして、清潔感あふれる技術者という雰囲気。
佐藤健がようやく年齢的に腑に落ちて演じている感じがするが、解釈のしようによっては、学生のときはふわふわしていたが目標を見つけ就職も結婚もして地に足がついた演技をしているのかもしれない。
秋風は、なぜ鈴愛じゃない? と直球で聞く。が、その回答はハンズフリーにしない。そこが出来た大人だなあと思う。
「人生はいろんなことがあるけど その人が真摯に真面目に生きていけば 無駄なことは何もない。すべては何かにつながっていくとおっしゃいました」と律は以前、秋風が言った言葉を引き合いに出す(45話)。
鈴愛に振られたことは律にとって「なんでこんな悲しいことが起こるんだろう」という大変な苦しさだったようだ。かわいそうに。
その悲しさをいまは乗り越えて、すべては何かにつながっていくと思ったのだろうか、すっきりした顔をしている律。
「人生とは一方通行だ。引き返すことはできない」(みんな大好き「不可逆」というやつですね)と言う秋風は、前向きに生きようとしている律に、あの日あのときの鈴愛のほんとの気持ちを伝える意味はないと判断する。
45話で秋風は、30歳手前で退路を絶ち漫画家を目指したと律に語っている。
夢が飛んだ代わりに
夏虫の駅で「僕たちの夢が飛んだ代わりに僕は鈴愛をつかまえたつもりでした」と回想する律。
ここで、田中健二演出のすばらしさが浮き彫りに。73話、あの階段で、律のこの気持ちが画面からよく出ていた。画から言葉が浮かんでくるようだった。
「夏虫」は鈴愛であり、ホタルか何かを捕まえるように律は鈴愛に手を伸ばしたのだ。が、彼女は律の手のひらに収まらず飛んでいってしまった。
77話の律を見ていて、私が思い浮かべた曲は「『いちご白書』をもう一度」。ユーミンが荒井由実時代に作詞作曲、バンバンが歌ってヒットした甘酸っぱい青春の回想曲。バンバンの一員・ばんばひろふみは京都出身だ。
北

Then」より)、ユーミンも北川悦吏子も、人間誰もがもつ喪失の体験をキラキラとした言葉に変える錬金術師で、80〜90年代、悲しみをせめて美しいものにして届けてくれる彼女たちに救われた人は少なくない。
鈴愛が大阪へ
「人生はいろんなことがあるけど その人が真摯に真面目に生きていけば 無駄なことは何もない。すべては何かにつながっていくとおっしゃいました」には76話の朱鷺の記事を思い出す。真摯に真面目にやってることの最たるエピソードではないか。
記事の意味がわからなかった鈴愛は、律が味わった深い悲しみに近いものをようやく味わって、さてどうするというところだろう。
で、どうするかと思ったら、食べ物もそのままに大阪の律の新居に向かっていた。そして、ベランダで洗濯している新妻と目が合って・・・。これ、清(古畑星夏)のパターンではないか(59話)。新興住宅地のようなところで、女がふたりの図からは民放のプライムタイムのドラマのような雰囲気が漂った。
やっちゃいかんだろうってことをやってしまうのは、感情が先に立つのもあるが、どこかにこれやってみたらどうなるだろうという好奇心もあると思う。やっちゃいけないことをやらないとわからないことを知りたくてついカラダが動いてしまう。鈴愛は物語をつくる人・漫画家なのだから余計だろう。知らない感情や知らない体験をこの身で知りたい気持ちは大事。作家じゃなくても、人間誰しも、やらずにやめずにやってみたほうがいい。それこそ「無駄なことは何もない」のだと「半分、青い。」を見ていると思う。
とはいえ限度はもちろんある。
以前、別媒体の記事で昔のドラマは、雨の中、元恋人の家の前で立って待っているような描写が劇的なものとして描かれていたが、いまではそんな表現はNGだろうと書いたことがある。タバコ吸うシーンもいまやなかなか出せないなど、物語の表現も狭まっていて大変だろうなと思う。
言葉遣いや行動や、ダメって言われそうなことを果敢にやり続ける「半分、青い。」は勇気がある。作家も立派だが、全責任を背負っている制作統括の勇気と懐の大きさが尊い。
里芋食べたい
「結婚できてよかったな」「変わり者だし理系オタクだから結婚なんてできないと思っていた」(大意)とせいいっぱい強がりを言って鈴愛は晴との電話を切ると、もそもそと晴の差し入れを取り出し食べる。里芋を2個皿に乗せ、ひとつを半分に割って口に入れると、涙が溢れてくる。
里芋はその後、2回出て来る。
岐阜で晴が鈴愛を思って泣く場面と、秋風が「人生は一方通行だ」と言う場面の間にインサートされる。
次は、鈴愛がいなくなってしまったらしく、ツインズ(MIO&YAE)に言われて秋風たちが部屋にやって来たとき。
三度も里芋が。意味深に。
ツインズについて76話のレビューでニコイチのメタファーであろうと書いたが、2個の里芋もニコイチのメタファーなのか。それで77話はツインズからの里芋なのか。
ともあれ、里芋食べたくなった。
(木俣冬)