先日、現役女性アイドルながらバンド空想委員会のベース・岡田典之氏との結婚を発表したNegiccoのNao☆。彼女はファンからも祝福されるアイドルとして新しい未来を開拓した。
そう、結成16年目に突入したNegiccoの3人が歩んでいる道はアイドルとして、まだ誰も歩いたことのない道。彼女たちはなぜこうも長きに渡って不動のメンバーで活動を続けられるのか。今回、『月刊ENTAME』2019年1月号に掲載されたインタビューをノーカットで特別公開。今こそもう一度耳を傾けたい、3人が続けられた理由と続けてく理由──。

──2018年7月20日は結成15周年の日で、その翌日に新潟の朱鷺メッセで単独ライブを開催しました。

Nao☆ 当初、Negiccoは1カ月の期間限定ユニットでスタートしたんですけど、それが朱鷺メッセという大きなステージで結成15周年記念ワンマンライブを行えるまでになって、3人とも声が出ないぐらいビックリしました。
当日は家族も観に来てくれたんですけど、ステージから親がずっとハンカチで目を押さえて泣いているのを見て、いい親孝行ができたなと思いましたね。このライブが終わった後に、次は20周年に向けての新たな目標も見つけられたワンマンライブになりました。

Megu 地元の大きなステージで15周年を迎えられたのも感慨深かったですし、特別な日に、特別な場所でワンマンライブができたのは自信にも繋がりました。

──全31曲を披露して、Negiccoの歴史の深さを感じさせました。

Kaede 本番は良いライブにしようって気持ちでいっぱいだったんですけど、その日のワンマンライブをブルーレイで改めて振り返って観てみたら、あのときの精一杯はできてたのかなと。3人で力を合わせてやりきれたなと思いますね。


──特に印象に残っている曲は?

Kaede 1回目のアンコールでデビューシングルの『恋するねぎっ娘』から『ねぎねぎROCK~私もお家に連れてって~』と続けて「ねぎ曲」を歌ったんですけど、リハよりも自由で全力で楽しみながらパフォーマンスすることができました。

Megu 15曲目の『グッデイ・ユア・ライフ(下りver.)』で、ずっと私たちの曲をプロデュースしてくださっているconnieさんがスペシャルゲストとして出てくださって4人でステージに立ったんです。もともとconnieさんは、Negiccoのファンから曲を作ってくださるようになって、「まさか朱鷺メッセで一緒にライブができるなんて……」ってリハの時点でグッとくるものがありましたね。本番はconnieさんが緊張していたので微笑ましかったんですけど(笑)。思い出に残る1シーンになりました。

Nao☆ connieさんが作ってくださった『雫の輪』の歌詞に、「同じ時代の同じ場所で出会った私たちのMy Colo」ってフレーズがあるんですけど、自分たちが出会えたことが奇跡だなって思うし、それを噛みしめながら朱鷺メッセで歌ったときに、より深く『雫の輪』の良さを感じることができました。


──10年以上に渡って同じ方が音楽プロデュースを担当するって滅多にないことですよね。

Nao☆ 自分たちが、ここまで続けてこられたのはconnieさんの曲あってのことで、そうじゃなかったら自分たちがやりたい音楽にはなってなかっただろうし、もう辞めていたんじゃないかなって話を、たまに3人でするんです。

Megu 初期の頃はNegiccoを応援するような曲が多かったんですけど、私たちが年齢を重ねるにつれて大人っぽい歌詞や曲調になって。ちゃんと私たちを見て曲を作ってくださっているのが伝わってくるんですよね。

──それぞれ今に繋がるターニングポイントを挙げるとしたら?

Nao☆ Perfumeさんが2008年に「GAME」ツアーで新潟に来られたときに挨拶させて頂いたら、Negiccoのことを覚えていてくださっていて、「同じステージに立とうね」って言ってもらえたんです。その言葉があったので、ずっと頑張ってこられたところが大きくて。
それで2014年にリリースしたシングル『光のシュプール』でオリコン5位を獲って、Perfumeさんがナビゲーターを務めていた『MUSIC JAPAN』に呼んで頂いたんです。実は、その前身番組の『POP JAM』に『恋するねぎっ娘』で出たことがあるんですけど、『POP JAM』にいたスタッフさんが、『MUSIC JAPAN』も手掛けていて、「やっとNegiccoを呼ぶきっかけができた」って言ってくださった上に、本番ではステージ上であ~ちゃんが「やっと会えたね」って言ってくれたのがうれしかったし、また頑張ろう! って思えました。

──Perfumeも広島のローカルアイドルから始まって、全国区になって。同じ3人組だし、Negiccoにとって大きな目標となる存在ですよね。

Nao☆ 私たちも新潟を拠点に16年間やらせて頂いてますけど、地元の方から「広島といえばPerfume」って言われているのは羨ましかったし、Negiccoも新潟でそういう存在になれたらいいねって気持ちでやってきたので、大きな目標ですね。Perfumeさんも私たちのことを気にしてくださっていて、「Perfume FES!!2015~三人祭~」にも呼んでくださったんです。
本当にPerfumeさんあってのNegiccoです。

──ちなみに上京しようと思ったことはありますか?

Nao☆ 高校生のときに、Negiccoを辞めて東京に行こうと思ったことがありました(笑)。私たちが通っていたスクールに小川麻琴ちゃんがいたんですけど、モーニング娘。さんに入って活躍している姿が輝いていたんですよね。あとスクールにくるオーディションも、自分の年齢では応募できない状況になってきてヤバいなと。
Negiccoもいつまで続くか分からなかったし、このままでいいのかと親とも大喧嘩までしたんです。それぐらい本気で芸能界に行きたいと思っていたし、1人でエイベックスのオーディションとかも受けていました。

──そこで踏みとどまれた理由は何だったんでしょう?

Nao☆ 何だったんだろう(笑)。

Megu 確か、東京に出たい人・新潟に残りたい人で、メンバー間でも揉めた気がする(笑)。

──2人は上京を考えたことはないんですか?

Megu 漠然とですね。東京に行きたいって気持ちはあったけど、ライブ1つとっても、新潟だとNegiccoで出られるんですけど、東京だと何組もいる中の1つじゃないと出られなくて、その差を感じていたので、上京しても難しいのかなと思ってました。

Kaede 私は進学のことなどもあったので、新潟に残ってやりたいって気持ちが強かったです。それこそ15分のライブのために、東京に行って帰ってくるとかを考えるとどうなのかなと。

Nao☆ 東京でライブをしても、そういう環境だったから、新潟でいろんなステージに出させてもらえるのがありがたいと分かって、「やっぱり新潟で頑張ろう」って気持ちになったんだと思います。

──Meguさんのターニングポイントは何ですか?

Megu 2014年7月にリリースした『サンシャイン日本海』でオリコン10位以内を目指しましょうと言われたんですけど、それまでは徐々に順位を上げていってたので、ちょっとハードルが高いなと思ったんです。当時は他のアイドルさんも、どんどん順位を上げていたし、私たちは新潟でやっているから不安も大きくて。でも挑戦したことは、すごく大きな経験で。結果は11位だったんですけど、ギリギリのところまで行けたのは自信になったし、その悔しさがバネになって、『光のシュプール』で5位になって、喜びもひとしおでした。このときに頑張っていなかったら、今の環境もなかったのかなって思いますね。

──それまで明確な目標を立てて動くってことはなかったんですか?

Megu そうですね。Tパレ(T-Palette Records)に所属して、そういう目標を出してもらったから頑張れました。新潟だけでやっていたら、平坦な活動で終わっていたかもしれないし、今も続けていなかったかもしれません。

Kaede 私のターニングポイントは、まさに今の話に繋がるんですけど、いきなり事務所の社長に連れられてタワーレコードさんに挨拶に行ったとき、机の上にNegiccoのCDが何枚も積んであって、嶺脇社長も含めたスタッフさんが具体的なリリースの話を始めたんですよ。私たちは挨拶だけだと思っていたので、知らないうちに話が進んでいたんだとビックリして(笑)。

Kaede 何の予告もなかった。

Nao☆ 挨拶行くまで、めちゃくちゃ眠かったもん(笑)。

Kaede 振り返ってみると、あの日に、いろんなことが始まったんですよね。

Nao☆ ただTパレに入って、最初にリリースしたCDが、そんなに伸びなくて、現実も知りました。

Kaede でも、それまではランキングに入ることすらなくて、手売りではなく流通に乗ったというのが大きな変化でしたね。

──今までに解散の危機に直面したことはありますか?

Nao☆ メンバーそれぞれで思うところはあったんでしょうけど、思い切って解散って話が出たことはないですね。ただ2009年にGyaOの『勝ち抜き!アイドル天国!!ヌキ天』に出るって話があったときに、Kaedeは辞めようと思っていたらしくて、それを私とMeguは知らなかったんです。正直、出る前は、「2回戦ぐらいまで進めればいいね」ぐらいのノリで、あんまり期待もしていなかったんですよ。

──絶対に勝ち抜いてやろうって気持ちではなかったんですね。

Nao☆ 期待し過ぎると裏切られるってことを、ずっと経験してきましたからね。それは今もそうなんですけど(笑)。大人の世界は怖いので、期待し過ぎないようにして受けてみたら、どんどん勝ち抜いて、みんな本気になっていくうちに、スタッフさんや審査員の方も応援してくれて。結果的にはグランプリを獲得したんですけど、そこに至るまでは落選とかいろんなことがあって、このまま辞めようって思ったこともあったんです。でも、この番組を通じて吉田豪さんと出会えたのも大きかったし、誰かが辞めようとしているタイミングで誰かしら周りの方がNegiccoを助けてくれるので、良い縁に恵まれているんだなって思います。

──Kaedeさんは、どうして辞めようと思ったんですか?

Kaede ちょうど進学の時期で、県外の大学に行こうと思っていたので、スタッフさんに「辞めます」って話をしたら、「『ヌキ天』の話が来ているので、ちょっと待ってくれ」と止められたんです。それで勝ち抜いたらメジャーデビューの権利が得られるって話だったので、メジャーデビューしたら何か変わるかもと思って辞めるのを踏みとどまりました。

──15年間やってきて、3人の関係性に変化ってありましたか?

Nao☆ 結成当時は小・中学生というのもあって、みんなバチバチしていて、それぞれを素直に受け入れるって感じではなかったですね。通っていたスクールがなくなって、先生もいなくなって、ライブハウスの一角を借りて自分たちで練習していたときは、リーダーとして2人に注意するのが精神的にも辛くて……。今も仕事上で意見をぶつけ合うことはあるんですけど、ずっと仲が良いから今まで続けられているんですよね。仲が悪かったら一緒にいるのも無理ですしね(笑)。

──やっぱりグループが長続きする秘訣は仲の良さなんですね。

Kaede それもありますし、スタッフさんに恵まれているのも大きいですね。続けさせてもらえている信頼感というか、やりたいことも言えますし、3人だけではここまで来られなかったですね。

──朱鷺メッセでのワンマンライブを終えた後、20周年は野音(日比谷野外大音楽堂)でワンマンライブをやりたいという明確な目標を掲げました。

Nao☆ 20周年は野音でっていう目標は3人の共通した意見だったんですよ。それまで意見がまとまったことなんてなかったんですけど、それだけ2015年8月16日に野音で開催したワンマンライブが楽しかったんですよね。

──野音は他のステージと何が違ったんですか?

Nao☆ ずっと地元でお祭りのイベントに出させて頂いていて、その雰囲気に近いのがあるのかな。

Kaede 私は好きなアーティストさんを野音で観ていて、いつかNegiccoも、このステージに立ちたいって言い続けていたので、余計に思い入れが強いです。野音でライブをやりた過ぎて、何のイベントもない日に写真を撮りに行ったこともありましたからね(笑)。

Megu 野音はお客さんとの距離が近くて、ステージから1人ひとりの顔が見えて感動的なんですよ。その光景を20周年記念ワンマンライブでまた見たいですね。

Nao☆
なお。4月10日生まれ。O型。メンバーカラーはイエロー。

Megu
めぐ。6月3日生まれ。AB型。メンバーカラーはブルー。

Kaede
かえで。9月15日生まれ。B型。メンバーカラーはピンク。

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