【増田俊也 口述クロニクル「茶の間を変えたコメディアン 欽ちゃんのぜ~んぶ話しちゃう!」】#6


 作家・増田俊也氏による連載、各界レジェンドの生涯を聞きながら一代記を紡ぐ口述クロニクル。待望の第2弾は、「視聴率100%男」として昭和のテレビ界を席巻したコメディアンの萩本欽一氏です。


  ◇  ◇  ◇


増田「ご飯から洗濯から全部お手伝いさんみたいな人たちがいて、お母さまは子供のころから身のまわりのことはやらなくてよかった」


萩本「そうそう。それは姉ちゃんに聞いたんだけど、もう本当に間違いない」


増田「小作人もいっぱいいて、お手伝いさんもいっぱいいて」


萩本「そうそうそう。そこの箱入り娘」


増田「お母さまは家事はしないお姫さまだから、そんなのは最初からしないものだと思っていたんですね」


萩本「そうです。親父はじつは母ちゃんと見合いしたんじゃなくて、母ちゃんの隣の家の人とのお見合いで東京から行って、そこのお家の前で『こんにちは』って言ったら、そのお見合いの相手がちょうど留守だったんですって。それで隣に住んでた萩本トミさん(母)が、『先ほどから叫んでますけども、隣の方、今お出かけなんで、そこでずっと叫んでんじゃなくて、うちでお茶でも飲んでお待ちになったらいかがですか』って声かけちゃったの。そしたらその母ちゃんに惚れて」


増田「なるほど」


萩本「嫁さんに来てほしいと言ったらば、そこの親父が『そういう訳の分からない者にやるわけにいかない』って言うの。だけど、母ちゃんが『でもこまめにこうして来てくれる人に、そういうことをしちゃいけないわ』つって『私行く』つって来ちゃったの」


増田「それはお母さまが何歳のときですか?」


萩本「17歳。それはね、実は一昨日わかったんだ(笑)。一昨日、弟に電話して、俺、母親がいくつのとき結婚したのか、どこの人なんだかよく知らねえんだって言ったら資料くれたの」


増田「へえ」


萩本「なんでおまえそんな詳しいのって聞いたら『いや俺は本書くときに母親のこと書いたもんだから、どういう人かっていうんで、資料集めたんだ』って」


増田「なるほど」



「俺、家族の写真がひとつもないから」

萩本「兄ちゃん写真も持ってないだろうって言うの。『俺、母親とずっと住んでたから古い写真とかみんな持ってる』って言うの。俺、写真って1つもないからね。家族の写真とか、1枚か2枚かな。

こんなもんしかないの。そしたら本当に、婆やともう1人女性がいたの。女中さんって昔いったけど今は禁止用語になってるね。いわゆるお手伝いさん」


増田「そういうお姫さま育ちの奥さまとの生活はきっと大変だったでしょうね。でも、結局はお父さまが会社を倒産させてから家族が大変なことになって」


萩本「私が小学校4年時に浦和から東京に引っ越して転校になった。もともと生まれた南稲荷町というね、下谷神社の裏。萩本商会の会社、そこで親父が会社やってたんだね。なんかビルでもあるのかと思ったら、普通の家、普通の家2軒で」


増田「浦和に行ったのは何歳の時ですか?」


萩本「覚えてないなあ。戦争でね、防空突撃衣をかぶったってのは覚えてるけど、次の記憶では浦和にいましたね。疎開するのにすごい近いところへ疎開してるって、なんか変でしょ」


増田「そうですね」


萩本「東京の隣の浦和に行ったんですよ。浦和時代は平穏な生活だった。戦争もあったのかどうかわかんないくらい。

だから玉音放送? そんなことがどこであったんだか覚えがないし。普通に戦争の話、母親から出てこないし、戦争終わったねっていうのも出てこない」


増田「実際に浦和には空襲がなかったんですか?」


萩本「ないないない。浦和に落としてどうなんの。やられるのはダイコンぐらいしかないですよ。弾を落としても何にもならない。でもね、防空壕ありましたよ。でも、これ防空壕っていって、下にね、掘ってあるからそこへ逃げろって言ったけど、逃げた話もないし。縁の下見たらば穴ぼこ開いてましたよ」


増田「そうですか」


萩本「弟はなんやかや覚えてて、あそこに防空壕あったねって」


つづく =火・木曜公開)


▽はぎもと・きんいち 1941年、東京都生まれ。高校卒業後、浅草での修行を経て、66年にコント55号を結成。故・坂上二郎さんとのコンビで一世を風靡した。その後、タレント、司会者としてテレビ界を席巻し、80年代には週3本の冠番組の視聴率がすべて30%を超え、「視聴率100%男」の異名をとった。社会人野球「茨城ゴールデンゴールズ」の初代監督、2015年には73歳で駒澤大学仏教学部に入学するなど挑戦を続け、25年10月にスタートしたBS日テレ「9階のハギモトさん!」は今年4月からSEASON3に突入した。


▽ますだ・としなり 1965年、愛知県生まれ。小説家。北海道大学中退。中日新聞社時代の2006年「シャトゥーン ヒグマの森」でこのミステリーがすごい!大賞優秀賞を受賞してデビュー。12年「木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか」で大宅壮一賞と新潮ドキュメント賞をダブル受賞。3月に上梓した「警察官の心臓」(講談社)が発売中。現在、拓殖大学客員教授。


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