東急田園都市線・藤が丘駅(神奈川県横浜市)の目の前に、夜になると真っ暗になる「廃墟モール」がいまでも営業を続けている。1967年開業の「藤が丘ショッピングセンター」は、これまで大規模なリニューアルはされず、シャッターだらけのまま昭和の姿を残す。
なぜ駅前一等地に当時のままの建物が残ったのか。ライターの坪川うたさんが現地からリポートする――。(前編)
■シャッターだらけで夜は真っ暗
二子玉川ライズやたまプラーザテラスなど華やかなショッピングセンターを有する東急田園都市線。ファミリーを中心に根強い人気を誇る路線である。そんな東急田園都市線沿いに、昭和の様相を残す廃墟モールが存在する。横浜市青葉区の藤が丘駅の目の前にある「藤が丘ショッピングセンター」だ。
本連載における「廃墟化」あるいは「廃墟モール」の定義は下記のとおりである。
開くことのないシャッター。むき出しのまま、ガランとした空き区画。撤退したテナントに散乱する備品。買い物や食事を楽しむ人が少なく、ショッピングモールとしての賑わいが感じられない。
藤が丘駅正面口を出ると、なんともレトロな建物が目に入る。
「藤が丘ショッピングセンター」の大きな文字とカラフルなテントが特徴的だ。しかし布は色褪せ、ポールは錆びている。
建物の中を抜ける通路の両側と、建物の外側に並ぶ店舗区画はシャッターだらけで、備品を残したままの区画もある。2026年3月時点で営業しているのは写真店、薬局、カフェの3店舗のみ。看板には、今はない店舗の名前が残されている。
通路を通り抜ける人はいても買い物を楽しむ人の姿はなく、商業施設としての賑わいは完全に失われている。照明がつかないため、夜になるとより廃墟感が増す。
■駅前が衰退しているわけではない
藤が丘ショッピングセンターが廃墟化しているのは、駅前の再整備が決まり、店舗が閉店したり移転したりしたためだ。核店舗であったスーパーのマザーズは2024年10月に閉店した。他にも複数の店舗が駅前の再整備を理由に閉店、移転している。
藤が丘ショッピングセンターは1967(昭和42)年7月にオープンした施設であるにもかかわらず、開業時から見た目が大きく変わらず、施設名が変更されることもなく残ってきた。
59年も前に開業し、姿を変えずに現存しているショッピングセンターは数少ない。
とっくに閉店したり、別のショッピングセンターにリニューアルされたりしていてもおかしくないはずである。
同じ横浜市青葉区の田園都市線沿いで、同年にオープンした青葉台ショッピングセンターは2000(平成12)年に青葉台東急スクエアにリニューアルされ、棟も増え、さらに次なる再開発が検討されている。1968年(昭和43)に開業したたまプラーザショッピングセンターはすでに閉店。隣には巨大ショッピングセンターのたまプラーザテラスがつくられている。
■小型商業施設が生き残れる商圏がある
なぜ周辺のショッピングセンターが刷新されるなか、藤が丘ショッピングセンターは約60年間にわたって営業しつづけられたのだろうか。
駅前施設だから、と考える人も少なくないだろう。だが、駅前に立地しているからといって施設が長く存続できるとは限らない。
モータリゼーションと郊外の大型ショッピングセンターにより、かつて一等地として栄えた駅前の中心市街地がゴーストタウン化している事例が数多くある。たとえば千葉県の木更津駅前は、1988(昭和63)年に木更津そごうを核とするショッピングセンターが開発され、賑わいを見せた。
ところが1997(平成9)年に東京湾アクアラインが開通すると、車や高速バスで神奈川・東京方面へ向かう人が増加し、駅の利用者が激減。アクアラインからアクセスの良いロードサイドの大型施設に活気が移り、駅前ショッピングセンターは廃墟化している。
車への依存度が高い地域だと、この傾向がより顕著に表れている。
岩手県の北上駅前では1986(昭和61)年、イトーヨーカドーや地元専門店の入る商業施設が建てられた。しかし、同様にロードサイドの大型施設に太刀打ちできず、店舗が相次いで撤退。駅前は閑散としている。
一方、藤が丘駅前を歩いてみると、空洞化していないことがよくわかる。藤が丘駅の周辺には、アポラン藤が丘やT-BOX横浜藤が丘といった商業施設が存在している。
アポラン藤が丘は東急ストアとスポーツジムを核とし、パソコン教室や塾、クリニックなど日常生活に便利な店舗が集積。T-BOX横浜藤が丘はハックドラッグとダイソー、クリニックが入っている。
この2施設は平日の昼間でも十分な客入りだ。藤が丘駅周辺は、日常利用の小型商業施設であれば十分成り立つ商圏を抱えているとわかる。
だからこそ藤が丘ショッピングセンターは、1967(昭和42)年7月の開業当初から営業を続けてこられたと考えられる。
■藤が丘は「変化の少ない街」
昭和の姿のままショッピングセンターが生き残った2つめの理由は、すぐに再開発をするほどの人口規模がこのエリアにはなかったことが挙げられる。
藤が丘駅は1966(昭和41)年の開業時から乗車人員の少ない駅だった。
数年後の1970(昭和45)年度時点で藤が丘駅の年間乗車人員は約141万人。それに対し、同年に開業した、たまプラーザ駅は約274万人、青葉台駅は約333万人であった。
藤が丘駅の年間乗車人員は2023年度に約460万人となり、1970年度比で増加率は約226%。一方、たまプラーザ駅は増加率約414%、青葉台駅は約428%と大きく上回っている(『神奈川県勢要覧』)。現在、たまプラーザ駅と青葉台駅は急行が停まるが、藤が丘駅は各駅停車のみである。
「青葉区まちづくり指針」においても、たまプラーザ駅や青葉台駅が「駅勢圏が大きい生活拠点」と定められているのに対し、藤が丘駅は「駅勢圏が小さい生活拠点」の枠組みに入っている。藤が丘駅は田園都市線の中で変化が少ない、小さな街なのである。
そもそも藤が丘は広域から集客するのではなく、近隣住民のための街を前提としてつくられた。藤が丘駅開業の翌年に東京急行電鉄(現・東急)が開発した藤が丘ショッピングセンターがそれを象徴している。
藤が丘ショッピングセンターは2階建て、核店舗のほか店舗は15区画で、日常利用を想定した小ぶりな商業施設であった。それゆえ、再開発の優先順位が低かったと考えられる。
■根本的なビジネスモデルが違う
3つ目の理由が、一般的なショッピングセンターとのビジネスモデルの違いだ。

藤が丘ショッピングセンターをよく見ると、店舗の上に住居があることがわかる。藤が丘ショッピングセンターは同時期に東急が開発した青葉台ショッピングセンターやたまプラーザショッピングセンターと異なり、住居も店舗も分譲なのだ。
ショッピングセンターは建物を所有するデベロッパーがテナントに区画を賃貸し、家賃を回収するモデルが一般的である。多くの場合デベロッパーとテナントは定期建物賃貸借契約を結んでおり、この契約形態によりデベロッパーは必要に応じてテナントを退店させることができる。売上不振のテナント、すなわち来店客からの支持を得られていないテナントや、施設のコンセプトにそぐわないテナントとは次の契約を結ばず、新たなテナントを誘致するのである。
デベロッパーは施設を統一的に運営し、テナントの入れ替えや設備の改修といったリニューアルを行うことで施設を社会や消費動向の変化に適合させていく。
だが、藤が丘ショッピングセンターは1階を店舗、2階を住居とする分譲物件である。そのため開業から今まで店舗都合による閉店・新規出店はあっても、デベロッパーによる戦略的な入れ替えや大規模なリニューアルが実施されることはなく、今日まで開業当初の姿を残してきたのであろう。
施設名は「ショッピングセンター」を冠しており、自然発生的な商店街ではなく計画的に開発され、核店舗を持つ商業施設であるものの、所有・運営は商店街のような形態なのである。
■「昭和の廃墟モール」も再開発へ
同じ1960年代後半に開業したショッピングセンターが刷新、大型化されていく中で、藤が丘ショッピングセンターが閉店することなく、反対に大きく姿を変えることもなく残ってきた理由は以下の3点であると分析できる。
・日常利用の小型商業施設が営業を続けられる商圏を抱えている。

・藤が丘は周囲の駅に比べて規模の小さい街であることから、再整備の優先順位が低かった。


・分譲のため戦略的な店舗の入れ替えやリニューアルが実施されなかった。
しかし、近くにある昭和大学藤が丘病院が2017(平成29)年3月に耐震性不足との診断を受けたことを機に、駅前一体を再整備する話が持ち上がった。そして2018(平成30)年、横浜市・東急・昭和大学がまちづくり推進に関する協定書を結んだ。
藤が丘ショッピングセンターは2026年から解体され、上層階をマンションとする地上10階の建物に建て替えられることが決まった。これまで変化の緩やかだった藤が丘の街が大きな転機を迎える。“昭和の廃墟モール”が見られるのも、あとわずかだ。

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坪川 うた(つぼかわ・うた)

ライター、ショッピングセンター偏愛家

熊本県出身。熊本大学卒。新卒で大型SCデベロッパーに就職。小型SCデベロッパーへの転職を経て、フリーランスに。国内外で500以上の商業施設を視察済み。宅建・FP2級。

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(ライター、ショッピングセンター偏愛家 坪川 うた)
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