大分県「別府ブルーバード劇場」の館長・岡村照さんは、今月28日に95歳となる。今も、切符売り場で自らお客を迎える日々だが、たった一度だけ「映画館をやめよう」と思ったという。
ノンフィクション作家の黒川祥子さんが、岡村館長の苦楽をたどる――。(後編/全2回)
■タイムマシンのような映画館
湯の町・別府、唯一の映画館である「別府ブルーバード劇場」は、今年で創業77年を迎える。3代目館長である岡村照(てる)さん(94歳)の代になってからは、55年だ。
お客からは佇まいも内装も、「昭和っぽい、レトロ」と評判だが、それはそうだ。劇場は昭和46年に2階に劇場を設置した当時のまま、昭和40年代半ばの人々の息づかいさえ、そこに留めているようだ。
近未来空間のようなシネコンとまさに対極、手作りであたたかみのある空間は優しく、穏やかな空気に満ち、劇場に入ってえんじ色のビロードの椅子に座れば、まるですっぽりと繭(まゆ)に包まれるかのよう。ゆったりとスクリーンに向き合える、今や稀少な映画館だ。
照さんが館長となった昭和40年代は、松竹の映画を上映する専門館として「松竹ブルーバード劇場」と名乗っており、当時はまだ、邦画に勢いがあった時代でもあった。
「松竹時代が、経営は一番安定していました。『男はつらいよ』と『釣りバカ日誌』シリーズをお正月に興行すれば、採算が取れましたから」
■映写技術の変遷を全て経験した館長
この時期、40代になったばかりの照さんは、映写技術を見よう見まねで習得した。
「学校出立ての若いのが見習いで映写技師をしてたんだけど、遅刻するんや、これが。お客が『まだか、まだか』って、待ってるから、見習いでもできるんやから、私が覚えられんことはないやろと思って、見よう見まねで映写機にフィルムをかけるのを覚えてね。
でも、途中でフィルムが切れちゃったり、いろいろ問題が起きて。それを近所の映画館の映写技師さんが助けてくれたの。すごくいい人で、電話すると自転車をとばして3分で来てくれた。とても、よくしてくれてね。やっぱりあたし、ついとったわ、人に恵まれとった。いろんなところでね」
照さんは映写技術の変遷を全て、その身で体験した。
最初は映写機2台で15分ずつフィルムを付け替えていたのが、その後、大きい円盤状のフィルムになり、今やデジタルでブルーレイを1枚セットすればいい。“テケツ”(切符売り場)だけでなく、亡き夫・昭夫(あきお)さんの写真を掲げている映写室も、照さんの仕事場となった。
■映画館を閉めてダンスホールにするか…
人生で一度だけ、「映画館をやめよう」と思った。
ブルーバード劇場は松竹専門館ではなくなり、1999年に「別府ブルーバード劇場」と名を変え、邦画でも洋画でも何でも上映する映画館となった。
邦画はすでに、“冬の時代”に入っていた。しかも1990年代に入り、大規模な駐車場を完備したシネコンが作られ、お客が流れるようになった影響もある。
しかし、最も大きなネックは、映画の「配給制度」にあった。照さんが、60代前半の頃のことだ。
「『フラット』って言ってね、映画の貸し出し料を配給先が決めてくるの。30万とか50万って。こっちは言われるママに従うしかないんだけど、その映画料ほどお客が入らない時があるわけです。もう、閉めようかな、ダンスホールにしようかなって思いましたよ」
ダンスホールというのは、劇場の広さがちょうどいいかなと思っただけ。そこまで、追い詰められた。
「映画料が払えんで、配給会社の九州支社から電話がかかってきて、女の事務員さんが犯人に物言うみたいな口調でね、『早う、送らんか!』って、めちゃくちゃ脅されて。お友達やきょうだいにちょっと借りたりして、送ったりしたこともあるけどね。お客様が入らん時は、しょうがないでね」
■“別府の照さん”独自のプロの一手
お金の工面ほど、人を弱らすものはない。しかし、こんな時でも照さんはマイペースだ。
配給会社の営業マンは九州各地を回り、最終的には別府に戻ってくる。
いいお湯とおいしい食べ物があるからだ。
「よく、『別府の照さんがまた、3人ぐらい男を連れて闊歩(かっぽ)しとる』って言われたけど、営業マンはみんな別府に泊まるんです。それで夜、飲みに出るから、一緒に飲むの。私が、飲み屋に連れてくのよ」
照さんの“戦法”はこうだ。すでに、営業マンからは映画料は30万円だと言われている。この時点での照さんは、大人しい。
「そうですか。高いけど、しょうがないね」
夜になって、照さんが飲みに連れて行った店では話は違う。
「さっき、30万って言ったけど、半分にならん? 半分にしてー」

「あっ、いいです」
こんな調子で、半値に落ち着く。「セールス任せの、映画料なのかな」と、照さんはあくまで無邪気なものだ。
今は「歩合」になったため、お金の工面の必要は無くなった。「歩合」とは、映画館と配給会社で収益割合を決めて興行収入から分配するシステムで、映画館が負債を負うことはない。

映画館をやめる一歩手前まで追い詰められた時期、照さんはどうやってつらさをしのいだのだろう。
「あんまり苦にしない。いつまでもクヨクヨしない。嫌なことはパッと忘れ切ること」
最終的に照さんを踏みとどまらせたのは、やはり「自分には映画しかない」という変えようのない信念だった。
■ドラァグクイーンが全国から集まる空間
2017(平成29)年9月、多くの人たちの手によって初めての「BEPPU ブルーバード映画祭」が開催された。その趣旨は、「照さんの功績を讃え、昭和から続く劇場を楽しんでもらうため」。映画祭は照さんがどれだけ、多くの人から愛されているかの証しだった。
映画祭には毎年、役者陣として津田寛治、西村知美、真木よう子、阿部サダヲ、監督の阪本順治、白石和彌など、錚々(そうそう)たるゲストが別府の小さな劇場を目指してやってきた。こうしてブルーバード劇場は年に1回、特別な祝祭空間と化すのだ。
第1回のゲストとして、女装家・ブルボンヌさんが招待され、黒人差別撤廃をテーマにしたミュージカル「ヘアスプレー」を上映後、多様性やLGBTQについてのトークショーを行った。
これがきっかけで、全国のドラァグクイーンたちが毎年、映画祭に大集合することになったのだ。大勢のドラァグクイーンがダンスを踊り、語り合う一大イベントがここ「ブルーバード」で繰り広げられているとは、まさか、アイデアマンだった亡き夫・昭夫さんだって思いもしない。

照さんはニコニコ笑って、全てを受け入れる。ドラァグクイーンが大勢やってくるのは、照さんにすれば「温泉の魅力やね。温泉と食べ物がおいしいから、みんな満足して帰ってくれる」と、別府の魅力に落ち着くのだが、いやいや、彼らがやって来るのは、ひとえに照さんのおおらかな魅力ゆえ。
■別府から離れたことのない世界人
そこは、次女の実紀(みき)さん(66歳)がよくわかっている。
「差別しないとか、そういうのではなく、照さんの“普通”がうれしいようです。誰にでも変わらず、『ああー』って笑う感じが。初対面で男性姿の人が翌日、女性に変わっても、照さんは驚かない。“まんま”なの。何のフィルターもなく、思ったことをそのまんま言う。それが皆さんには心地よく、また来てくれるんだろうと思います」
照さんは、こんな感じだ。
「来た時はヒゲがあったけど、きれいにしたのねー」

「男のおじちゃんかと思ったら、あんた、よう、あんなにきれいになったねー」
ピンヒールを見たら、「よう、そんなんで、歩きよるね」。
照さんの視線は、上からでも下からでもない。
ただ、思ったことを口にする。そしていつも、ニコニコと花のように笑う。それが、“そうじゃない視線”を受け続けてきた人たちにとっては新鮮であり、何一つ肩肘張らなくていい場所が、照さんのいるブルーバード劇場なのだ。
生まれも育ちも別府で、旅行以外、別府から離れたことがない。でももう半世紀以上、照さんは日々、映画で世界中を旅し、人々の喜びや悲しみや理不尽にその身で向き合ってきた。
それこそ、星の数ほどの多種多彩な物語がその胸にはある。だから、照さんはそのまんまの自然体で、好奇心の赴くままに、どんなことでもウエルカムなのか。
■ステーキ1枚、ペロリと食べちゃう
照さんは45年ほど前から一人暮らしだが、「映画館の中にいるから」、一度も寂しいと思ったことはない。
劇場を閉めたら残り物でご飯を済ませながら、遅くまでテレビに熱中する。スポーツが好きで、ジャンルは問わない。
「野球も好きだし、バレーボール、サッカー、スケート、何でも観る。スポーツは、好きやね。アツくなって、応援しちゃう。だから夜は結構、遅くまでテレビを見て起きていて、朝はゆっくりやね」
食べ物の好き嫌いはあまりない。基本、食事にこだわりはないし、自分では作らない。
「朝にちゃんとお味噌汁を飲むとか、そういうのは決めてないの。残ったものを、パッパッっと食べて終わり。お昼は、外で食べることが多いね。あとはお弁当。『食事は三度』とかにも、ちっともこだわらないな。健康に悪いんやろうけども、今も健康やからね。好きなのはお肉、やっぱり肉だったら、ステーキやね。お酒はいつも、コークハイ。甘くて、おいしいから。ケーキも和菓子もあんこも大好き。強いて言うなら、ピーマン、嫌いやわ」
昨夜も実紀さんと2人で、ステーキを食べたという。実紀さんは笑った。
「照さん、ステーキ1枚、ペロリと食べちゃいます。残すのが、嫌いだから。それが、元気の秘訣かもしれない。うちに来た俳優さん、『照さんと一緒にご飯に行ったら、残されへん』って、みなさん、言われます」
■「私の人生は、映画やわ」
元気の秘訣は、ステーキだけではない。映画を通しての、お客とのコミュニケーションが、照さんには楽しくてしょうがない。照さんが毎月、デザインに凝ったネイルをしているのも、切符を渡す際、お客の目に留まって、話の糸口になるからだ。実紀さんは、そんな照さんの様子をいつも見ている。
「自分も映画を観ているから、上映の後に、お客さんから『すごかったね』とか、『よかったね』とか、『面白くなかった』とか言われて、一緒に映画について話せるのがすごく楽しいみたい」
18歳の時から、照さんは映画を通して人の気持ちが循環する場所にずっといる。照さん自身も楽しいけれど、お客はもっとうれしいはずだ。映画の余韻を言葉にして分かち合えるなんて、無機的なシネコンではどうやっても味わえないものだから。
取材も終盤となった頃、実紀さんが苦笑しながら、照さんに問いかけた。
「ママは、好きなように生きているやろ? ストレスなんか、ないやろ? 食べたい時に食べたいものを食べて、夜遅いから、これは食べてはいけないとか、ないやろ? 映画館にいれば、ストレス、ないやろ?」
「そうやねー」と、照さんが頷く。それがまさに、照さんだ。
「私の人生は、映画やわな。自分でも、よく続けられたと思う。悪い時代もあったけど、楽しかったことしか残っていない。苦しかったことほど、やっぱり忘れるよね」
正月も休まない。大晦日だって毎年、夕方まで開ける。それ以外の休みは、台風襲来時。お客が絶対に来ないからだ、だからほぼ無休で、今日も照さんは“テケツ”に座る。
「映画が好き。だから、続けてこられた。好きなことをするのが、一番」
映画と共に生きる人生をこの瞬間も、照さんは現在進行形で生き、映画がくれるさまざまな喜びや悲しみをその身で味わっている。なんと、豊潤な人生だろう。
照さんは今月28日、95歳の誕生日を迎える。

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黒川 祥子(くろかわ・しょうこ)

ノンフィクション作家

福島県生まれ。ノンフィクション作家。東京女子大卒。2013年、『誕生日を知らない女の子 虐待――その後の子どもたち』(集英社)で、第11 回開高健ノンフィクション賞を受賞。このほか『8050問題 中高年ひきこもり、7つの家族の再生物語』(集英社)、『県立!再チャレンジ高校』(講談社現代新書)、『シングルマザー、その後』(集英社新書)、『母と娘。それでも生きることにした』(集英社インターナショナル)などがある。

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(ノンフィクション作家 黒川 祥子)
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