※本稿は、田村秀男『現場記者50年の証言 新書 現代日本経済史』(ワニブックス【PLUS】新書)より、一部を紹介する。
■世界金融危機の直後、財務相に
リーマン・ショックの直後、2008(平成20)年9月24日に成立したのが麻生太郎内閣です。自民党内の一部と連立与党である公明党からの福田康夫首相への退陣要求、いわゆる「福田おろし」で、9月1日の緊急記者会見で福田首相は辞職を表明します。そして誕生したのが麻生内閣でした。
その麻生内閣で財務相に就任したのが、中川さんです。私は、中川さんが自民党政調会長時代に二、三度意見交換したことがありました。その彼が、財相に就任する直前にリーマン・ショックが起きたわけです。
リーマン・ショックは「100年に一度の大津波」と、グリーンスパン元米連邦準備制度理事会(FRB)議長に言わしめた、米金融資本大手リーマン・ブラザーズの2008(平成20)年9月15日の経営破綻に始まります。金融危機は同じく米金融大手、モルガン・スタンレーに波及、ウォール街全体に連鎖しかけていました。
私が聞いた中川さんの証言などからこのときのドラマを再現してみましょう。
■ブッシュ政権が頼ったのは三菱UFJ
当時のブッシュ政権で火消しにおおわらわだったのが、ウォール街を代表するゴールドマン・サックス元会長のポールソン財務長官です。
ポールソン氏はモルガンへの救済出資について、旧知の中国共産党幹部、王岐山副首相に打診していました。モルガンには中国の国家投資ファンド、中国投資有限責任公司(CIC)が50億ドル(約5400億円)を出資済みでしたが、損失の拡大を恐れた王氏の返答は要領を得ず、ノーも同然だったのです。
残る希望は日本の三菱UFJ銀行で、何とか90億ドル(当時の円換算で約9500億円)の第三者割当増資引き受け約束を引き出しました。そして、米東部時間22日早朝の基本合意発表をニューヨークの株式市場の取引開始に間に合わせました。それでも、モルガン株の暴落は止まりません。すると三菱側は及び腰になり、約束を実行するかどうか、米側は不安に駆られました。
■アメリカ「財務省が説得してくれる」
頼みの綱が日本の財務省です。中川財相は、10月11日にワシントンで開催されることになった先進7カ国(G7)、新興国を含めたG20の財務相・中央銀行総裁会議出席のため日本を発ちました。中川財相が現地に到着したのは米東部時間の10日、会議の前日です。早速、ポールソン長官は中川財相と財務長官室で会いました。
ポールソン氏の回顧録“On the Brink”によると、長官が「三菱に救済に応じるように話してくれませんか」と頼み込むと、中川財相は「注視していく」と返事をしたそうです。
この口ぶりからして、中川財相は確約したわけではありませんでしたが、東京の財務省幹部が日米財務相会談を受けて、三菱UFJの説得に当たると米側は確信していたのです。日米の当局間では中川訪米に当たり、事前に三菱UFJによるモルガン救済に関する綿密な打ち合わせが行われていたからです。
■ウォール街を救った「90億ドル」小切手
ポールソン・中川会談の3日後の10月13日、「モルガン・スタンレー宛90億ドル」と記した三菱UFJ銀行振り出しの小切手が、ニューヨークの法律事務所で待機しているモルガン・スタンレーの首脳に手渡されました。当日は「コロンブスの日」の祝日で銀行業務は休み、三菱UFJ銀行は急遽(きゅうきょ)小切手で払い込むことにしたのです。
三菱UFJ銀行米州企画部長中島孝明氏ら6人は、当時の円換算で1兆円近い小切手を封筒からとり出し、その巨額の数値が入った小切手がカメラに収められました。ウォール街が救われた瞬間です。
中川財相は実際に、米側の言いなりになったわけではありません。中川財相はポールソン財務長官やバーナンキFRB議長に対して、公的資金投入による金融危機対策を厳しく迫ったのです。これに対し、米国側は「危機を乗り切るためには各国が協調し、すべての経済的・金融的手段をとるべき」と、国際協調をあてにするばかりだったのです。
■北朝鮮に歩み寄ったブッシュに猛抗議
中川財相の真骨頂はポールソン会談後から発揮されます。
11日午前、ホワイトハウスではブッシュ大統領も加わってG7の財務相らと危機対策会合が開かれました。
そのあと、大統領執務室に面した南庭のローズガーデンではホスト役のブッシュ大統領の歓迎スピーチでレセプションが始まりました。
そして、しばし懇談というときになったとき、衝撃的なニュースが中川財相の耳に飛び込んできました。米国が北朝鮮に対する「テロ国家指定を解除する」という決定です。まさに寝耳に水です。
中川財相は政治家として横田めぐみさんら北朝鮮による日本人拉致問題の解決に執念を燃やし、ブッシュ政権に対しては対北朝鮮の核と合わせて拉致問題の交渉を求め、ふたつの問題の同時解決に向け強硬策の継続を求めていたのです。
中川財相は重大ニュースの報告を受けると、ただちにゲストたちと歓談しているブッシュ大統領に向かってダッシュしました。大統領には前日にも会っており面識があり、大統領も振り向きます。
「大統領、北朝鮮に対するテロ指定解除とはどうしてですか。日本人などの拉致問題をどうするつもりですか」と迫る中川財相の剣幕に大統領はすっかり慌てました。「あそこにいるコンディ(コンディーサ・ライス国務長官)に聞いてくれ」と逃げ出したのです。
■ペンタゴンの元高官と一対一で会談
中川財相が帰国して1週間後の2008年10月20日午後、東京・霞が関の財務省本館。財務大臣室で中川財相は訪ねてきた米国防総省(ペンタゴン)元高官のG氏と会いました。
中川さん、G氏のいずれも本書執筆時点で故人になっています。したがって、前述のホワイトハウスでの緊迫したやり取りも、以下のG氏との話し合いも私以外、知る者はいませんから、本編はまさに貴重な歴史証言ともなります。
中川財相はG氏に向かって、ホワイトハウスでのブッシュ大統領への抗議の詳細を打ち明けたあと、おもむろにブッシュへ氏の伝言を託しました。「日本は黙ったままアメリカのキャッシュ・ディスペンサー(現金自動支払機)にはなるつもりはないとね、必ず伝えてほしい」と念を押したのです。
■「米国の現金自動支払機にはならない」
世界最大の国際収支赤字国で最大の債務国アメリカは外部からの資本流入に頼っていますが、なかでも日本は世界最大のスポンサーです。しかも、リーマン・ショックで米国からは資金が逃げ出し、ブッシュ政権は火消しに大わらわで、かの共産中国にまでポールソン財務長官が頼ったのです。
ポールソン長官は前出の回顧録では、ブッシュ大統領が胡錦濤党総書記・国家主席に直接電話してモルガン・スタンレーへの救済出資を頼むことまで考えた挙げ句、さすがに止めたことまで明かしています。その点、日本の三菱UFJ銀行が財務省の後押しを得て応じてくれたお蔭で、窮地からひとまず脱することができました。
しかし、中川財相は拉致問題を素通りした米国の「裏切り」に対し怒りが収まらず、「現金自動支払機にはならない」とブッシュ大統領に伝えよというのです。
■タブーと知りつつ、一言一句そのまま訳した
一方、日本の財務省エリートたちはまさに米国財務省の出先同然で、1985(昭和60)年のプラザ合意や1987(昭和62)年のルーブル合意、そしてブラックマンデー以来、ひたすら米国の意向に従ってきました。そんな官僚たちに中川財相が不信感を抱いていたのは無理もありません。
大統領への伝言を託す米国防総省元高官との会合に官僚を同席させなかったのは、「この発言は財務官僚たちに差し止められるか、妨害される」と思ったからに違いありません。
無論、私もそのまま通訳してよいか、一瞬ですが、躊躇(ちゅうちょ)しました。日米関係を長く洞察してきた者として、同発言がタブーであることはよくわかっています。そして、中川財相のほうに目をやると、「構わん、そのまま訳してくれ」といったしぐさを送ってきます。
一言一句、逃さぬように訳しました。
すると、G氏は神妙な面持ちで、片言の日本語で返しました。「わかりました。ブッシュ大統領に会う機会があるので、必ずこの通り伝えます」と。G氏は日本語がかなり理解できるのですが、正確な理解のための補助として旧知の私を頼りにしてくれました。
■言葉通り、米国向けの資金提供は行わず
「米国の現金自動支払機にはならない」と啖呵(たんか)を切った中川さんは実際それをやってのけました。
先述した2008年10月のワシントン会合では、国際通貨基金(IMF)に新興・中小国向けの新たな緊急融資制度を設けることを提案し、麻生太郎首相の賛同を得ていました。11月には主要20カ国(G20)首脳による金融サミットがワシントンで行われ、出席した麻生首相は「IMFに対し、補完的な資金提供の用意がある」と表明しました。
そして、2009(平成21)年2月13日、14日の両日、イタリア・ローマで開かれた主要7カ国(G7)財務相・中央銀行総裁会議に出席した中川財相は13日、ストロスカーンIMF専務理事との間で、最大1000億ドルの資金提供に関する融資取り決めに署名しました。
IMFの融資財源を暫定的に補完し、国際収支上の問題に直面している新興国や途上国支援のためであり、米国向けではありません。「キャッシュ・ディスペンサーにはならない」の言葉通り、米国向けの資金提供はしなかったのです。
ストロスカーン専務理事は「IMF加盟国一国による補完的な資金提供としては過去最大」とする歓迎声明を出しました。
■あの「酩酊会見」が放送された
ところが、その翌日の2月14日、現地時間午後3時すぎから開かれた中川財相と白川方明日銀総裁との共同会見で異変が起きました。
たまたま、私も産経新聞東京本社の自室で会見のテレビ実況を見ていました。中川財相はどうしたことか、呂律(ろれつ)が回らなくなり、目はうつろです。一瞬、頭のなかによぎりました。「一服盛られたな」と。
中川財相は当日の昼、財務省の玉木林太郎国際局長や日本から取材で同行した民放テレビの女性記者、イタリア人通訳数人と会食したとあとで聞きました。中川財相は玉木局長と麻布高校の同期で、同席した女性記者は玉木氏が誘ったと言います。
日本メディアは「酩酊(めいてい)、朦朧(もうろう)会見」と非難しましたが、中川財相は昼食で出たワインに口をちょっと付けただけで「ゴクンと呑んだわけではない」と弁明しています。
■「不適切な行動」「酩酊状態」は本当か
「朦朧会見」の直後に、中川財相らはバチカン美術館を約2時間観光しましたが、その際にも中川財相は、美術品に触れる、柵を越えて警報を鳴らす、ラオコーン像の台座に座るなどの、不適切な行動をとっていたと日本メディアに報じられました。
ところが、通訳として中川さんに同行していた日本人神父は、日本の報道に対して「中川の行動に非常識な点はなかった。『あれは間違いである』と繰り返し抗議したが徹底的に無視された」と抗議しています。
「バチカン宮殿の博物館を訪ねたときも酩酊状態で立ち入り禁止区域に入り込んで彫像に手を触れた」と日本メディアは伝えましたが、博物館訪問に同行した上野景文在バチカン日本国特命全権大使(当時)は報道関係者の取材に対し、「(中川財相の様子について)確かに若干くたびれているという感じは見受けられた。とくに酒の匂いがするという感じは私は持ちませんでした」と証言しています。
本当に酒で酔っぱらっていたとは信じ難い、日本メディアに確かな根拠もないのに一方的に非難された可能性が否めません。
■引責辞任から8カ月後、自宅で急死
私自身、中川さんが財務相になる前の自民党政調会長時代に、何度か午前、早めの時間帯で、やはり米国人要人との面会での通訳を頼まれたことがありましたが、当時の朝になって中川議員事務所秘書から電話で「中川は体調が優れず、起きられないのでキャンセルしてほしい」という連絡を受けたことが二度ばかりあります。
原因は就寝前に飲んだ睡眠薬か風邪薬だったのです。要するに、中川さんはちょっとした薬物に極めて弱い体質なのです。とすると、2009年2月14日のローマでも、薬物が絡んだのではないかとも考えられますが、真相は謎のままです。
中川財相は「朦朧」会見の責任をとって、2009年2月17日に辞任しました。そして8月に行われた衆院選挙で落選、10月4日、東京・世田谷区の自宅で急死しました。
----------
田村 秀男(たむら・ひでお)
産経新聞特別記者・編集委員兼論説委員
1946年、高知県生まれ。1970年、早稲田大学政治経済学部経済学科卒業後、日本経済新聞社に入社。ワシントン特派員、経済部次長・編集委員、米アジア財団(サンフランシスコ)上級フェロー、香港支局長、東京本社編集委員、日本経済研究センター欧米研究会座長(兼任)を経て、2006年、産経新聞社に移籍、現在に至る。おもな著書に『日経新聞の真実』(光文社新書)、、『人民元・ドル・円』(岩波新書)、、『経済で読む「日・米・中」関係』(扶桑社新書)、『日本再興』(ワニブックス)、『日本経済は誰のものなのか?』(共著・扶桑社)、『経済と安全保障』(共著・育鵬社)、『日本経済は再生できるか』(ワニブックス【PLUS】新書)、『中国経済崩壊、そして日本は甦る』『米中経済消耗戦争』(ともにワニ・プラス)などがある。
----------
(産経新聞特別記者・編集委員兼論説委員 田村 秀男)

![[のどぬ~るぬれマスク] 【Amazon.co.jp限定】 【まとめ買い】 昼夜兼用立体 ハーブ&ユーカリの香り 3セット×4個(おまけ付き)](https://m.media-amazon.com/images/I/51Q-T7qhTGL._SL500_.jpg)
![[のどぬ~るぬれマスク] 【Amazon.co.jp限定】 【まとめ買い】 就寝立体タイプ 無香料 3セット×4個(おまけ付き)](https://m.media-amazon.com/images/I/51pV-1+GeGL._SL500_.jpg)







![NHKラジオ ラジオビジネス英語 2024年 9月号 [雑誌] (NHKテキスト)](https://m.media-amazon.com/images/I/51Ku32P5LhL._SL500_.jpg)
