今年3月、京都市の有識者会議は「京都駅周辺の建物の高さ規制を緩和する」という意見書をまとめた。歴史評論家の香原斗志さんは「自分が死んだらあとはどうなってもいい、という姿勢で意見をまとめているとしか思えない」という――。

■京都の価値を大きく毀損する駅前再開発
京都は1000年を超える古都で、先の大戦でも空襲に遭わなかったため、日本の都市としては文化財や歴史的景観がケタ違いに残る。だから訪日外国人観光客の多くが訪れ、2024年の外国人観光客数は対前年比53.5%増の1088万人だった。2025年も外国人の延べ宿泊者数は14.6%増えたから、1200万人前後になるのではないだろうか。
彼らのほとんどを出迎えるJR京都駅前は、その意味で京都の玄関であると同時に、日本の玄関の役割も負っている。観光スポットはその向こうにあるにせよ、多くの人の第一印象を左右する。その点、ヨーロッパの古都なら、駅前はどこもその都市らしい面持ちをみせるのに対し、京都駅前は日本のほかの大都市にくらべ、高い建物がないことぐらいしか特徴がない。
これからは京都駅前に、もっと京都らしさを加えられないものか。そう考えていたら、それとは正反対の計画が動き出したので驚いている。駅周辺の建物の高さ規制を、現行の31メートルから一挙に60メートルまで緩和しようというのである。
4月15日、この規制緩和を盛り込んだ意見書を、市役所で松井孝治市長に提出したのは、建築や景観などの専門家6人で構成される京都市の有識者会議だった。今後、市民からも意見を募り、来年3月25日に最終的な意見書にするのだという。
有識者会議は「駅前の再生」につなげるためだと説明する。
だが、この規制緩和は、どこからどう検討しても、歴史都市としての京都の価値を大きく毀損するばかりか、およそ持続可能性がないため、近い将来の京都の衰亡につながるものだと断言する。
■日本の野蛮性を見せつけることに
公益財団法人京都市観光協会は、インバウンドの増加を受け、「京都の歴史や文化への関心がある、知的好奇心の高い方々のニーズにしっかりと応えられる、持続可能で質の高い滞在経験を生み出す仕組みづくりが一層重要となります」と訴えている。的を射た方針だと思う。
観光客1人あたりの消費単価で、インバウンドは日本人の3倍を超える。結果として京都市の観光消費額は、2024年に過去最高の1兆9075億円に達した。京都の経済界が、観光だけに依存しない経済を指向しているにせよ、事実として、インバウンドが牽引する観光消費は、京都に大いなる潤いをもたらしている。
ただ、現在は過度の円安の影響で、旅先に日本を選んだ理由が「安いから」である外国人観光客が多い。しかし、インバウンドの観光消費を持続させるためには、今後、円高に転じたとしても「京都の歴史や文化への関心がある、知的好奇心の高い方々」が訪れるに値する魅力を、京都が保持し、また創出する必要がある。
ところが玄関口たるJR京都駅前に、現在の2倍の高さ60メートルのビルをズラリと並べ、その周囲も高さ45メートルまでは認めようというのが、有識者会議の意見である。少なくともヨーロッパの歴史都市には、長年かけて培われたイメージに対するこのような破壊的な前例は一つもない。
規制緩和は「知的好奇心の高い方々のニーズ」とは正反対で、それはすなわち、外国人観光客に対して京都、ひいては日本の野蛮性を見せつけることにほかならない。
■他の新幹線駅よりオフィス空間が少ない
インバウンドがもたらす利益には、観光消費以外にも無視できないものがあるはずだ。
日本の価値を評価する外部の目である。明治時代に日本古来の美術の価値を見いだしたフェノロサのような役割、あるいは、島国ゆえに独りよがりになりがちな日本にとっての、社外取締役のような役割ともいえよう。
ところが残念ながら、そういう目は有識者会議にとっては、考慮の外にあるようだ。海の外からの目よりも、京都市や京都の経済界の目を気にしているのだろう。じつは京都商工会議所の都市整備委員会は、1年前の2025年4月14日に、高さ規制を60メートルまで緩和することなどを求めた意見書を市に提出していたのだ。
京都駅周辺は、新幹線沿線のほかの駅とくらべてオフィス空間が少なく、現状では近隣の都市に対抗できない、という考えが京都の経済界にはある。ディベロッパーやゼネコンの利益を確保し、オフィスや商業空間を増やすためには、拡大型の再開発が不可欠で、それには高さ制限を緩和するしかない、という考え方である。
実際、有識者会議でも「民間の投資としては一定の高さを保証しなければ見合わない」という意見が出されている。それはすなわち、再開発をする以上は従前の建物よりも拡大しなければ、十分なリターンが得られない、という意味に受けとれる。だが、その考え方は、人口が予想を超えて減少している日本においては、致命的にまちがっている。
■持続可能性とは正反対
日本人の出生数は2016年、1899年に統計を開始してはじめて100万人を割り、以後も減少の一途をたどっている。2024年に70万人を割って68万6173人となり、2025年は66万5000人程度だと推計されている。
国立社会保障・人口問題研究所は2023年に公表した試算で、2025年の出生数を74万9000人と見込み、66万人台になるのは2041年としていた。日本の少子化は国の予測よりも16年も速く進んでいることになる。
国土交通省は、日本の総人口が2050年には1億人にまで減少すると見込む。だが、上記の予測が大幅な前倒しになっている以上、1億人の大台を下回るのはもっと早いだろう。その状況で拡大型の再開発をすれば、持続可能性とは正反対に向かうしかない。
現在、全国的にオフィスビル需要は増加し、また、大都市圏のマンション価格が上昇している。たしかに、コロナ禍で進んだリモートワークからの回復もあり、オフィスビルは不足気味のようだが、一時的な現象にすぎない。生産年齢人口は今後減少する一方で、しかもフリーアドレス化は進み、AIは進化する。オフィスビルの総需要は近い将来、どう見積もっても減少に転じざるをえない。
駅前のビルを高層化し、フロアの一部を分譲や賃貸のマンションにすれば、立地のよさから人気を得るかもしれない。しかし、人口減社会においては、人気エリアにあらたに住宅を供給すれば、ほかの地域の空き家の増加に直結する。商業施設も同様で、仮に再開発されたビルの商業施設が賑わえば、ほかのエリアの空洞化を招く。

■守られた景観があっての観光消費
50年、100年先まで見据えて、日本の歴史と文化が凝縮した国際観光都市、京都を磨き上げていく、という視点に立つとき、有識者会議の意見はあまりにも乱暴である。京都商工会議所も同様で、10年か、せいぜい20年先までのことしか考えられていない。自分が死んだらあとはどうなってもいい、という姿勢で意見をまとめているとしか思えない。
私事で恐縮だが、高校時代から京都に通っていた筆者は、1997年に京都駅ビルが完成した後は、10年以上京都に寄り付かなかった。ある地域にかぎって従来の容積率や高さ制限を適用しない「特定街区」が、京都ではじめて適用されたのがあの駅ビルで、コンペでは景観は完全に無視され、ホテルと百貨店のフロア面積がもっとも大きな案が採用された。
結果として、高さ約60メートル、幅約490メートルにわたり巨大な衝立のように町を分断し、さまざまな地点からの古都の景観を大幅に損ねている。国際標準の考え方に照らすとあまりに異常な建物で、こんなものが日本の象徴たる古都の真ん中に建っているのを、外国人観光客に見られてしまうことが、筆者は恥ずかしくて仕方ない。
だが、筆者に限らず、こうした景観破壊への反対の声は大きく、それを受けて2007年に、ようやく「新景観政策」が策定された。その核心は、高さ制限を最高で45メートルから31メートルに、歴史的市街地では31メートルから15メートルに引き下げるというものだった。それまで戦後60年余りにわたり、壊され続けてきた京都ではあったが、辛うじて死なずに済んだ感があった。
世界の歴史都市のなかで、景観が守られている度合いは最低の部類だが、とにかく「新景観政策」のおかげで以後の破壊がある程度食い止められた。守られた景観があっての観光消費であるのは、いうまでもない。

■なぜ京都の人間が京都を破壊するのか
ところが、いままた「新景観政策」を骨抜きにしようとして、京都の要人たちがうごめいている。
自分たちが世界に誇るべき宝を、なぜ簡単に毀損しようと考えるのか。景観を守ってこそ、外国人観光客にとっても日本人観光客にとっても、将来にわたり「京都の歴史や文化への関心がある、知的好奇心の高い方々のニーズにしっかりと応えられる、持続可能で質の高い滞在」が可能な都市であり続けるということに、なぜ気づかないのか。
観光に頼らない経済も大事だ、というのかもしれない。たしかに、規制緩和を実現して高いビルを建てれば、ディベロッパーやゼネコンは一時的に潤うだろう。だが、人口減社会においては、こうしたビルは将来的には負の遺産になり、むしろ禍につながることは、すでに述べたとおりである。
「新景観政策」での高さ制限は、これから人口が減少していくなかで、社会構造を縮小させなければ生き残れない日本の各都市とって、拡大路線から脱却して持続可能な町づくりを進めるためのモデルケースになりうるものだ。短期的にオフィス空間が少しぐらい足りなくても、いいではないか。ほかの都市と違って、オフィス空間が負の遺産にならずに済むのだから。
規制緩和などしなければ、近い将来、京都は持続可能な町づくりにおいて、各都市をリードしうる。ところが、そのための条件をいま、みずから壊そうとしている。これを狂気の沙汰と呼ばずしてなんと呼ぶのか。


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香原 斗志(かはら・とし)

歴史評論家、音楽評論家

神奈川県出身。早稲田大学教育学部社会科地理歴史専修卒業。日本中世史、近世史が中心だが守備範囲は広い。著書に『お城の値打ち』(新潮新書)、 『カラー版 東京で見つける江戸』(平凡社新書)。ヨーロッパの音楽、美術、建築にも精通し、オペラをはじめとするクラシック音楽の評論活動も行っている。関連する著書に『イタリア・オペラを疑え!』、『魅惑のオペラ歌手50 歌声のカタログ』(ともにアルテスパブリッシング)など。

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(歴史評論家、音楽評論家 香原 斗志)
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