20歳の男性と17歳の女性が出会い、数年後、ふたりは結婚。3人の子供に恵まれた。
女性は約30年間、主に主婦として家事・育児に献身。子供たちが社会人となり、夫婦の自由な時間が増え始めた矢先、女性の身に予期せぬ異変が起きた――。(前編/全2回)
「シングル介護」とは、配偶者や親の介護をたった1人で担っているケースを指す。2023年度の厚生労働省の調査によると、家族・親族による高齢者虐待の相談・通報件数は1万8000件あまりとなり、過去最多を更新。また、2022年の国民生活基礎調査では、家族介護者は全国で約653万4000人(2021年時点)と推計され、主な介護者と要介護者との関係は、同居家族が45.9%、別居家族が11.8%(2022年時点)。同居家族の内訳は、配偶者が22.9%、子が20.7%、子の配偶者が7.5%となっている。
一方、たった1人で介護を担う「シングル介護」は年々増加しており、介護時間の長期化や精神的・身体的負担の大きさが不安視されている。
その当事者をめぐる状況は過酷だ。「一線を越えそうになる」という声もたびたび耳にしてきた。私の取材事例を通じて、社会に警鐘を鳴らしていきたい。

■行方不明になった婚約指輪
2014年初夏。中部地方在住の木梨不二雄さん(仮名・現在66歳)は、55歳の時、2歳年下の妻と2人でランチに出かけた。

その頃妻は、何を思ったのか、木梨さんが25歳の時に贈った婚約指輪を引っ張り出してきて、毎日つけていた。おそらく妻は、自分の中の「異変」に気づいていたのだろう。
「妻は、いつも通り明るく笑顔で、楽しくおしゃべりをしながら私と食事をしてくれました。その日も妻は、婚約指輪をちゃんとはめていました。私が妻にプレゼントした指輪の中で、一番高価な指輪でした」
しかしその数時間後。帰宅してしばらく経った頃に妻は、「指輪がない」と言って血相を変えていた。
慌ててランチをした店に電話したが、「それらしい忘れ物はない」とのこと。
「誰かに持っていかれちゃったのかな……」
残念そうに呟くが、すぐに
「でも、もしかしたら家で外したのかもしれない」
と数日にわたり、家中を探し続けた。
■給料3カ月分をはたいて買った指輪
「私にとってその指輪は、私の給料の3カ月分をはたいて買った指輪でした。それだけにあまりに不注意な妻に当時50代だった私の口調は、だんだん荒くなっていきました」
「ちょっと、しっかりしろよ!」
呆れや怒気をはらんだその言葉に対し、妻は真剣な面持ちでこう言った。
「お父さん、ごめんね。私、自分のお金で似たデザインの指輪を買ってくる!」
それからというもの、妻は貴金属店を周り、同じようなデザインの指輪を探した。

「その時の妻の目を見たら、胸が締めつけられるような思いがしました。だから私は気持ちを切り替えてこう言ったのです。『もう気にするなよ。もう一度同じような指輪を買ってプレゼントするよ。ふたつ目の婚約指輪だ』と」
それを聞いた妻は何度も「ごめんね」を繰り返した。
婚約指輪はセミオーダーメイドだったため、妻と木梨さんは、似たようなデザインで同じような金額のものを探した。
「この時53歳だった妻は、結婚してから約30年、障害のある息子が生まれてから20年以上、息子や私たち家族のために自分を犠牲にして、専業主婦として尽くしてきてくれました。その息子も、特別支援高等学校の商業科を卒業し、就職も決まったところでした。だからこそ私は、この2つ目の婚約指輪は、妻へのご褒美として、十分すぎる価値があると思いました。夫婦ふたり、新しい門出と捉えようと思ったのです」
しかしこの時、木梨さんも、妻にかすかな異変を感じていた。その異変の理由は、この2年後に判明した――。
■海外で教鞭に立つという夢
中部地方で生まれ育った木梨さんは、20歳の時に友達と遊びに行った海で、同じく友達と遊びに来ていた17歳の妻に出会った。
連絡先を渡し、妻から電話をもらって1週間後、木梨さんから交際を申し込んだ。
やがて妻は短大へ進学。卒業した妻は、インフラ関連企業に就職し、総務部で社長秘書として働き始めたが、気遣いが多く心身の負担が重かったため、1年で退職。その後は、父親が経営する従業員20人程度の食品会社で働いていた。
一方、木梨さんは大学を卒業すると、公立中学校の教員として勤務。木梨さんが25歳、妻が23歳の時に結婚した。
結婚してしばらくすると、妻は木梨さんに、「実家の会社を継いでほしい」と言い始める。
教員の仕事を辞めたくなかった木梨さんは断ったが、妻は諦めない。何度断っても諦めないため、遂に、
「海外派遣の夢が叶ったら考える」
と約束してしまう。
そして28歳の時に、文部科学省の派遣教員として、在外教育施設である台北日本人学校に赴任することが決まる。木梨さんの夢が叶ったのだ。
木梨さんは妻とともに台湾に渡り、教員として働いた。

その間に妻は、26歳で長男を出産。
2年の赴任期間が終わり、帰国すると、妻は双子を出産。次男、三男のうち、次男が「軟骨無形成症」という障害があったため、妻は実家の仕事を辞め、育児に専念することに。
そして「実家の事業を継いでほしい」という妻の希望を叶えるために、木梨さんは帰国から1年後、31歳で義父の会社へ転職した。
■障がいのある次男中心の家族
「私は、家事については『頼まれればやる』というスタンスだったと思います。一方で、子育てについては妻から不平を言われたことはなく、自然に関わってきました。特に次男、三男が双子で生まれてからは、双子育児に加えて次男に障がいがあったこともあり、夫婦2人で必死にやってきたという感覚です」
次男はしばしば呼吸発作を起こし、救急で運ばれた。7~12歳の頃は、脊髄と延髄の狭窄開放手術を2回、長期入院を4回、骨延長術手術は1回受けた。
「私たちは『地域の中で子育てを』にこだわり、次男を小学校の普通学級に入学させました。通学時や体育の授業、実習授業などの際は、学校から呼び出されるとすぐに妻が駆けつけ、次男の介助をしました。小6では、骨延長術を受けるために関西の子ども病院に入院、同時に病院に隣接する養護学校(現特別支援学校)へ編入し、妻は病院近くのアパートを借りて次男の介助と日頃の世話を続けました。次男が生まれてからの妻は、すべてを次男に捧げていたように思います」
それでも妻は明るく、家庭には笑いが絶えなかった。
旅行が好きな妻は、自分で計画を立て、毎年家族でさまざまなところへ出かけた。
「毎週日曜は家族全員で買い物。長期休みは海外旅行。台湾、韓国、香港、上海、タイ、マレーシア、インドネシアなどを旅行しました。次男は車いすでしたが、私たちも若かったし、長男や三男が助けてくれました」
義父の会社を継いだ木梨さんは、次第に経営の中心を担うようになった。必然的に忙しくはなったが、夕飯はなるべく家族一緒に摂るように心がけた。
「子どもたちは3人とも、とても優しくて思いやりのある子どもに育ちました。夕飯の時は、3人が代わる代わるいろいろな話をしてくれました。私が子どもたちの話を肴に長い晩酌をしているせいで、最後は『片付かないからいい加減早く食べて!』と妻の雷がよく落ちました」
■真珠婚式の微かな異変
やがて長男は大学を卒業し、商社に就職。実家を出て一人暮らしを始め、3年後に東京に転勤となった。
次男は公立養護学校高等部商業科を卒業後、2年間の自立訓練を受けて、障がい者枠で自動車部品開発会社に就職し、自宅でテレワーク。
三男は大学を卒業後、海運会社に就職。
実家を出て一人暮らしを始めた。
木梨さんが52歳の頃、義父の会社の経営が厳しくなり、同業界の大手企業に吸収される。吸収後は親会社に移籍して、営業、輸出、品質管理、総合企画などを担当するようになった。
そして2014年。冒頭の事件が起こる。妻が婚約指輪を失くしてしまったのだ。
木梨さんは当初、“妻のうっかり”にイライラしたものの、すぐに「障害のある息子のために、30年近くも自分を犠牲にして尽くしてきてくれた妻へのご褒美として、十分すぎる価値がある」と思い直し、2つ目の婚約指輪をプレゼントした。
「その年、私たちはちょうど結婚30周年でした。真珠婚式というらしいのですが、失くした婚約指輪は、これからの人生を登っていくための約束の指輪。新しく買った指輪は、人生を下っていくための約束の指輪。失くしたのは物だけじゃなく、ゆっくりと変わっていく日常のかたちだったように思いました」
■財布、鍵、定期券、スマホを紛失
この時、明るかった妻に微かな異変を感じていた木梨さんは、それが間違いではなかったことを噛み締めていく。
2016年。婚約指輪を失くしてからというもの、妻は財布、家の鍵、定期券、スマートフォンなど、いわゆる“貴重品”と呼ばれるものを失くすことが日常茶飯事になっていた。
必ず妻は「どこかで見なかった?」と木梨さんに尋ねるため、いつも一緒に探す羽目になる。もしかして、認知症ではないか。木梨さんは異変の積み重ねからそんな疑いを抱いていた。
「まだ妻は55歳。早いようにも思えましたが、一過性のものなら薬で改善するかもしれないし、医師から『大丈夫』と言ってもらえれば安心できます。そう妻に伝えて、受診することにしました」
できるだけ柔らかい声で、慎重に言葉を選んで受診を促すと、妻は自分でも症状に不安を抱えていたのか、素直に頷いた。
■若年認知症と認知症の違い
木梨さんは妻を連れて地元の神経内科を受診。問診だけで「年齢が若いので認知症ではないでしょう。心配なら大病院でしっかり検査を受けるといいです」と言われ、それから約半年後、「やっぱりおかしいぞ」と思った木梨さんは、大手総合病院で詳細な認知症検査や、生活機能・行動症状の評価、画像検査(CT/MRI)などを受け、「MCI(軽度認知障害)」と言われ、通院することに。
そして6カ月後、ようやく「アルツハイマー型認知症」と診断された。
「『やっぱりね』という感覚で、正直なところ驚きはありませんでした。ただ、それが進行する病であること、この先、症状、特にBPSDの変化によって険しい道を歩まなければならないことを、当時の私は予想もしていませんでした。知識として持ち合わせていなかったのです。医師からも詳しい説明はありませんでした。そのため、認知症とはこんなにも残酷な病なのだと感じる日々が待っていることを、その時の私はまだ知る由もありませんでした」
BPSD(認知症の行動・心理症状)とは、認知症に伴ってあらわれる徘徊、暴言、幻覚、抑うつなどの精神・行動面の問題で、周辺症状とも言われる。
若年性認知症と認知症には症状に大きな違いはなく、一般的に、65歳未満で発症したものを「若年性認知症」と呼び、65歳以上で発症したものを「認知症」と区別している。
■「単なる疲れ」などと勘違いされやすい
ただ、高齢で発症する場合と異なり、年齢的に若いことから、「単なる疲れ」「更年期障害」「うつ病」と勘違いされやすく、専門医の受診が遅れる傾向があるほか、高齢者の認知症より進行が早いケースが多いとされている。
「若年性の場合は体力がある分、BPSDも強くあらわれることがあるのではないかと感じます。老年期に発症する場合と決定的に違うのは、本人も支える家族も『仕事や人生の現役』ということです。認知症と共存しながら仕事や家事をしなければ、生活が成り立たなくなってしまいます。仕事と介護の両立は、決してたやすい課題ではありません」
この頃の妻はまだ介護認定は受けず、同居している次男と3人で日常生活を送っていた。
しかし、認知症の進行とともに、木梨さんの精神的負担は増える一方。だが、大手総合病院では介護者側の相談には十分に乗ってもらえない。
少しずつできないことが増えていく妻を見ていて、どうしても悲観的になってしまう木梨さんは、「誰かに話を聞いてもらいたい」と思うように。
■義姉との確執
そこで木梨さんは、「きっと共感してもらえる」と考え、車で30分ほどのところで、義姉夫婦(妻の姉夫婦)と隣同士で暮らしている義母に電話をした。
しかし電話には義姉が出て、こう言った。
「早く福祉に相談してサービスを受けるべきよ。この日に行きなさい」
なんと、義姉は木梨さんが住む地域包括支援センターへ電話をし、勝手に面談の予約まで取ってしまった。
「私は妻を福祉サービスに丸投げするつもりなど全くありませんでした。日頃の大変さを話したのは、あくまで『夫として妻をどう救えるか』を考えていたからです。そんな気持ちを無視して、夫である私にも妻本人にも相談せず、勝手に段取りを決めて『指示』してくる義姉の態度に腹が立ちました」
木梨さんはつい、声を荒らげてしまう。
「実の姉なのに、何も手を差し伸べないで口だけか!」
そして電話は切れた。
結局、その予約は無視した。
ところが後日、包括支援センターの看護師から直接電話がかかってきた。
「大変そうなので、一度お話だけでも聞かせてもらえませんか?」
その優しい言葉に気持ちが和らぎ、木梨さんは日を改めて、包括支援センターを訪ねた。
■不安や恐怖を1人で抱え込む
予約をすっぽかした理由や今の妻の様子を話すと、担当の看護師はただひたすら話を聴いてくれた。
「具体的な対策が示されたわけではないのに、今まで感じたことのないすっきり感が湧き上がり、『いつでも相談に来てくださいね』という言葉に、何とも言えない安心感を覚えました」
後日、木梨さんは義姉と和解。なぜなら、包括支援センターの看護師に「お義姉さんがとても心配されてましたよ」と言われたからだ。
「義姉には、私の妻への想いを理解してもらえ、私もいっぱいいっぱいだったために言い過ぎたことを詫びました。そして私も、義姉が私を心配していてくれたことだったと理解しました」
義姉は、認知症の妹よりも、介護者の木梨さんを心配していたのだが、当の木梨さんは、認知症である妻のことしか見えていなかった。それぞれの優先順位が違うために起きた摩擦だったわけだ。
「今なら自分が、初期にありがちな『1人で抱え込む』状態にあったのだとわかりますが、あの出来事のおかげで、ただ寄り添って耳を傾けてくれる人の存在が介護者の心をどれだけ軽くするかを知ることができました。妻を思う気持ちを手放さずに、必要なときは人の手を借りていい。『抱え込むこと』と『支えてもらうこと』は両立できるということを気づかせてもらいました」
しかし、その安堵の一方で、木梨家の中では新たな緊張が生まれつつあった――。

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旦木 瑞穂(たんぎ・みずほ)

ノンフィクションライター・グラフィックデザイナー

愛知県出身。印刷会社や広告代理店でグラフィックデザイナー、アートディレクターなどを務め、2015年に独立。グルメ・イベント記事や、葬儀・お墓・介護など終活に関する連載の執筆のほか、パンフレットやガイドブックなどの企画編集、グラフィックデザイン、イラスト制作などを行う。主な執筆媒体は、東洋経済オンライン「子育てと介護 ダブルケアの現実」、毎日新聞出版『サンデー毎日「完璧な終活」』、産経新聞出版『終活読本ソナエ』、日経BP 日経ARIA「今から始める『親』のこと」、朝日新聞出版『AERA.』、鎌倉新書『月刊「仏事」』、高齢者住宅新聞社『エルダリープレス』、インプレス「シニアガイド」など。2023年12月に『毒母は連鎖する~子どもを「所有物扱い」する母親たち~』(光文社新書)刊行。

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(ノンフィクションライター・グラフィックデザイナー 旦木 瑞穂)
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