【前編のあらすじ】中部地方在住の木梨不二雄さん(仮名・現在66歳)は、2歳年下と妻と25歳の時に恋愛結婚し、長男、双子の次男・三男に恵まれた。次男は「軟骨無形成症」という障害があるため、妻は次男中心の生活を送っていた。やがて息子たちは社会人になり、長男・三男は家を出て、次男は在宅で働くようになった。ところが妻が55歳でアルツハイマー型の若年性認知症と診断されると、木梨さんと次男は介護に巻き込まれていった――。
■父と息子の限界
2020年春。ふだん、木梨不二雄さん(当時60歳)が仕事から帰宅すると3年前にアルツハイマー型認知症と診断された妻(同58歳)は「おかえり」と言いながら玄関まで出てくる。だが、その日は出てこなかった。
木梨さんがリビングに行くと、妻が車椅子の次男(26歳)の前に、無言で立っていた。
聞くと、妻は
「噛みつかれた」
と言いながら腰を抑える。
服をまくると、うっすら血が滲んでいた。
すると次男が静かに口を開いた。
「何度もやめろと言ったのに、聞いてくれなかったから……」
次男によると、鍋を火にかけていた母親が、火そのものや五徳、鍋の熱いところを触ろうとし、何度注意してもやめない。
「危ない! 火傷する!」次男は、とっさに母親の腰のあたりに噛み付くしかなかった。車椅子の彼の目の前にあったのは母親の腰であり、両手は車椅子を操作するために塞がっていた。
木梨さんは、「こんなひどいことをするなんて」と憤る妻に
「息子には注意しておくよ。ただ、誤って火傷してしまうと危ないから、家事を支えてくれるサービスを探そう」
と提案し、次男には、
「母さんのことを任せきりにして悪かった。でも理由はどうであれ、けがをさせるのはいけない」
と注意した。
「とてもつらい出来事でした。自分を責め、妻にも次男にも、謝っても謝りきれない思いでした。しかしあの時、その裏側にある2人の心の中が見えたのです」
■障害のある次男と認知症の妻
木梨さんは、「それまでの私は、『認知症とその介護』という表向きのとらえ方しかできていませんでした」とつらそうに話す。その理由をこう続けた。
「妻は、危険を察知する認知機能が低下していて危ない状況ではありながらも、家族のために温かいご飯を作ろうと必死だったのです。
一方で、次男は『危ないからやめろ』と必死で止めました。次男は、母を守ろうとしたのです。言葉では母に伝わらず、自分には障害があるため、止めるためには噛みつくしかなかったのだと思います。
あの時、私が妻と次男に言ったこと自体は間違っていなかったのかもしれません。でも、その行動の裏にある、妻の『家族に料理を作りたい」という愛情。次男の「母を守りたい」という愛情。その二つの気持ちはどうなるのでしょうか。私の言葉によって、2人の大切な気持ちは否定されてしまったのだと思います。
夫として親として、何ということを言ってしまったのか。私は自分を責め、2人に心から謝りたいと思いました。
そして、このようなことは二度とあってはいけない。
木梨さんは、翌日、包括支援センターを訪ねた。
「ふだんは穏やかで忍耐強い次男が、妻を噛んでしまうほどに追い込まれていた……。もっと早く察してやるべきでした。妻に対しても、次男がどれほど支え続けてくれていたかを、もっと丁寧に話してあげればよかった。次男が妻を噛んだのは『攻撃』ではなく『助けてほしい』という心の叫びだったのだと思います」
前回と同じ看護師に、妻が、家事ができなくなっていることや、障害のある次男のこと、そして木梨さん自身、仕事が終わると買い物をしてから帰宅して、夕食の支度をしているため、心身ともに限界を迎えていることを伝える。
すると、その場で仮介護保険証を渡され、小規模多機能型居宅介護を勧められた。
早速、近くの施設に相談に行くと、その日の夕方にはスタッフが来て、夕食の準備を手伝ってくれることになった。
「名前だけではよくわかりませんでしたが、『必要な時に必要なサービスが使える仕組み』だと聞いて少し安心しました。火の取り扱いを心配せずに済み、息子の負担も軽くなる。ひとまず胸をなでおろしました」
そして妻と相談し、介護認定調査を受けると、結果は「要介護1」だった。
■仕事と介護の両立という戦い
「若年性認知症の方の介護は、実はご家族の負担が大きいんです」
包括支援センターでの相談の中で、木梨さんはこんな言葉を聞き驚いていた。
「高齢者のほうが大変だろうと思っていました。若年性のほうが大変である理由は、定年を迎えて時間に余裕のある世代と違い、働き盛りの世代はずっと収入を維持しなければならず、生活と介護の両立が非常に厳しいからだそうです。確かに私自身、介護離職という選択肢は現実的に不可能です」
木梨さん自身、会社とどう向き合うかが大きな課題になっていた。勤めている会社の社長に現状をありのままに話すと、社長は言った。
「家庭を優先してもらえればいい。勤務時間は融通する。介護で不在の時があれば、関係社員でなんとかする」
給与条件も変わらず維持してくれるとのこと。木梨さんは深く感謝し、仕事と介護の両立を本気で目指す決意を固めた。
2020年秋。会社から帰宅途中の木梨さんに、次男から電話がかかってきた。
家に警察が来ているため、電話を代わると言う。
「近所の○○交番の警察官ですが、今、奥様をご自宅までお連れしました」
どうやら、妻が次男に何も言わずに外に出て、帰り道がわからなくなったため交番に駆け込んだらしい。
木梨さんは平謝りし、警官は「認知症であれば、しっかり監督してくださいね」と言って去った。
聞くと妻は、
「お父さんが早く帰ってきてくれないかと思って見に行ったの。帰り道が分からなくなって交番が見えたから、道を聞いたの」
と言った。
「次男は今までも、私に心配をかけまいと、一人で必死に妻をなだめ、外に出ようとするのを止めていたのでした。『お父さんに早く会いたくて外に出てしまった』という妻も、体にハンディを抱えながらも母を気遣う次男も、とても愛おしく思いました」
■若年性認知症は攻撃性が強く出やすい
ところが、妻はこの頃から日に日に怒りっぽくなっていった。木梨さんが次男の入浴介助をいつも通りやっていても、「ちゃんとやってよ!」と怒り出すのだ。
「その時は、次男の介助に対して怒られているのかと思っていましたが、今思うと、『お願いだから、壊れそうな私をちゃんと見てて。助けて!』という妻自身に対しての不安や恐怖から生まれた心の叫びだったのだと思います」
妻はこの後、徘徊も頻出し始める。
若年性認知症は、脳の前頭葉の萎縮が高齢者の認知症より早く進行する傾向があるほか、若さのために、「病気を隠そうとする無理」「自分の異変に対する焦り」「プライドとの葛藤」などが苛立ちや怒りとして現れやすく、高齢者よりも攻撃性が強く出やすい傾向があると言われている。
徘徊に関しても、高齢者の認知症と比較しても、身体的な行動力がまだ十分にあるため、目的を持って出かけて行方不明になったり、遠方まで移動してしまったりするケースが少なくない。
木梨さんは、小規模多機能型居宅介護を利用し始め、夕飯の準備に関しては楽になった。だが、もともと妻と分担していた次男の介助を、1人ですることになる。
一方次男は、木梨さんが仕事で不在の間、在宅で働きながら妻の監視をしなければならず、負担が重くなっていた。
そこで木梨さんは、包括支援センターに相談。妻には小規模多機能型居宅介護のデイサービスに通ってもらうことが最適ではないかと提案される。
しかし、妻がデイサービスに行けば次男が1人になり、もしものことがあっても助けられない。
するとやはり包括支援センターの看護師から「身体障害支援サービスを受けたらどうか」と提案があり、地元のケアセンターを紹介してもらった。
それからというもの、木梨さんは朝、妻をデイサービスに送り届け、帰りに迎えに行く。夕方にはケアセンターの職員が洗濯物の取り込みや次男の入浴介助をしてくれており、帰宅した木梨さんはすぐに夕飯の支度に取り掛かることができた。
「これならなんとかやっていけそうだ」そう思ったのも束の間、次の試練が襲いかかるのだった。
■次男との別れ
2021年1月14日の朝、61歳の木梨さんは、次男が呼吸不全を起こしているのを見つけた。
すぐに救急車を呼ぶと、
「おひとり、どちらかお乗りください」
と救急隊員に言われる。
59歳の妻が認知症であることを話し、
「病院名を教えてください。急いで後を追います」
と伝え、妻と2人、自分の車で後を追い、息子たちに連絡を取った。
夕方、他界前の前兆である下顎呼吸が始まったが、再延命は断った。次男は27歳で亡くなった。
「よく『障害のある子を育てるのは大変だね。頑張ってるね』と声をかけられましたが、私たちは一度も『不幸だ』と思ったことはありません。次男がいたからこそ、他人には見えない幸せがたくさんあった。だからこそこの悲しみは、六十余年の人生の中でもっとも深く重いものでした。それは妻も同じだったと思います」
木梨さんは喪主としての務めに追われ、妻のことを十分に気遣えなかった。妻は通夜・葬儀の間、取り乱さなかったばかりか、大声で泣くこともなかった。
「認知症という病気が、悲しみを少し和らげているのではないか?」
木梨さんは漠然とそう思っていたが、それが間違いだということに否応なく気付かされる。
妻の認知症は、この後一気に悪化したからだ。
■手に負えなくなった妻
次男の他界後、木梨さんも妻も無気力状態が続いた。
しかし3カ月が経とうとしていた頃のこと。妻は不穏が強くなっていき、理由もなく木梨さんに怒り出すように。不穏とは、介護業界で「行動が活発になり、落ち着きがない状態」のこと指し、せん妄などさまざまな原因で生じると言われる。
「もう限界です」
深夜になっても怒りが収まらず、何度も掴み掛かってくる妻と取っ組み合いになった日の翌朝、くたくたになった木梨さんは、在宅介護と週5日間の通所に限界を感じ、包括支援センターに電話していた。
「今、奥様はどんな状態ですか? すぐに医療機関の援助を受けましょう! 医療保護入院の受け入れ態勢を整えますので、電話を切ってお待ちください」
状況を察した看護師はこう言ってくれたが、待っている間に木梨さんは冷静になってくる。
「医療保護入院とは何だろう。認知症で入院なんてあるのだろうか?」
そんな疑問の中、電話が鳴る。
「受け入れ先が見つかりました。救急で病院に行きましょう!」
日は西に傾いていた。ほどなくしてインターホンが鳴る。木梨さんは状況変化のスピードに理解が追いつかず、戸惑う。その様子を察した看護師は言った。
「ご主人だけの介護では限界を超えています。自宅にいながら『帰る』と言う様子から考えると、奥様はご主人のことをわからなくなっていますよ。奥様もつらいでしょうから、迷ってはいけません」
しかし受け入れ先の病院に到着し、当直の精神科医師の説明を聞くうちにその迷いは大きくなった。木梨さんが電話したため、三男は職場からタクシーで病院に駆けつけてくれていた。妻の介護が始まってから、「息子がいてくれて心強い」と感じたのはこの時が初めてだった。医師は淡々と説明した。
■暗い病室の窓には鉄格子
「見ての通り古い病院ですから、病室も暗く、窓には鉄格子が入っています。易怒(いど)性が激しく、手に負えない場合はベッドに手足を固定させていただくことがあり、部屋から出られないよう施錠することもあります」
たまらず木梨さんは言った。
「ちょっと待ってください! この病院に入院は、どうしてもできない。今すぐという、心の準備もできない……」
木梨さんの頭の中には、妻がひとり、うす暗い病室でベッドに手足を固定された姿が浮かんでいた。
「俺には、母さんをここに入れることはできん」
隣にいる息子に聞こえるように呟く。
「父さんの気持ち、わかるよ」
三男もうなずいた。
その様子を察した看護師は、
「大丈夫ですよ。明日、もう一度どうされるか電話しますね。ひとりで抱え込んでは絶対にいけませんよ」
と優しく受け止めてくれた。
帰宅した木梨さんは、頭を抱えた。
入院を避けたものの、在宅介護の限界が迫っていることはわかっていた。看護師や医師たちの判断が正しいことは理解できるが、決断できずにいた。そこで、妻が通っている小規模多機能通所施設のケアマネジャーに、昨日の報告もかねて相談する。
「入院がよかったと言われるご家庭もあれば、そうではなかったと答えるご家庭もあるので、何とも言えませんが、合う合わないは大きな問題ですよね」
とマネジャーは言い、「M病院は評判が良いですよ」と教えてくれた。
すぐに調べてみると、鉄格子のあるあの古い病院とは印象がまるで違う。清潔感があり、ホテルのようだった。
看護師に連絡し、M病院への入院の調整に入る。
それでも木梨さんの心は揺れ続けた。
そこで木梨さんは、「悪いけれど、母さんの診察に立ち会ってくれんか。俺1人では冷静に判断できなくなった。助けてくれ」と、今度は関東に住む長男に連絡。長男は急遽仕事を休み、新幹線で駆けつけてくれた。
そして木梨さんと長男が見守る中、妻のコロナ検査が始まる。結果を待つ間、妻は控え室のドアをこじ開けようとしたり、叫んだりする。それを木梨さんと長男でなだめた。
「嫌です! 私、嫌です!」
そのまま入院が決まり、叫びながら去っていく妻の後ろ姿を目にした時、木梨さんの目から涙がこぼれ落ちた。
一連の手続きを終えると、長男は自宅に帰っていった。
家には木梨さんだけが残された。
■「要介護5」と認定された妻は失語症に
入院した妻は、要介護の再認定調査を受け、一気に「要介護5」と認定された。
約3カ月で退院するが、長男や三男家族が企画してくれた旅行後に不穏が再燃し、退院から1週間後に再入院。そこから約4カ月後に退院するが、7カ月後に再々入院した。
そして2026年。64歳になった妻は、通院と訪問看護を受けながら、穏やかな生活を取り戻している。妻は3回目の退院後も、4度目を考えるほどの不穏が続いたが、木梨さんはもう、入院という解決策を選ばなかった。
「入院に戻らず、暮らしの中でいかに立て直せるか。その問いに真正面から向き合ってくれたのが、今のデイサービスでした。デイでも自宅でも不穏の波は来ましたが、そのデイの連絡帳は、“次に何をしたらいいか”の手がかりで埋め尽くされ、『安全で幸せな生活のお手伝いができればと考えています』と添えられていました。ありがたかったです。最初に通っていたデイだったら、とっくに断られていました」
2021年10月からは、3カ所目のデイサービスに通い始めていた。
「このデイは、3回目の入院が決まった後も、欠員状態のまま妻が戻るのを待っていてくれました。介護者はときどき、孤独の底へ落ちることがあります。自分だけが必死で、世界が遠い気がする夜があるのです。でも、このデイの連絡帳の文字量は、『あなた一人じゃない』と寄り添ってくれていました」
コロナ禍の入院中に妻は、失語症になっていた。言語による自己表現ができなくなったほか、認知症の進行により、自立歩行はゆっくりになっていた。
60歳から取締役になった木梨さんは、木曜日はテレワークだが、それ以外の平日は出勤。妻は、木曜日だけはデイサービスが休みだが、訪問看護師と歯科衛生士の来訪があり、火・金・土曜日はデイサービスと同じ施設で1泊している。
「2024年8月頃に私がヘルニアになり、立っているだけでも激痛があった時期の介助はつらかったですが、介護について、身体的なつらさはそれほど多くありません。一番きついのは精神的なことです。老後になって、ようやく2人で気兼ねなく楽しむ時間ができると思った矢先に、それが叶わなくなりました。障害のある次男のために自分の人生を後回しにしてきた妻だからこそ、『もっと幸せな老後が待っていてほしかった』と思ってしまうことがあります。また、『私を置いて先に逝かないでね』という妻との約束。それを守り抜こうと考えると、気持ちが塞ぐこともあります。結局のところ、介護をする上で一番つらいのは、『何を幸せとするか』を自分なりに見つけ続けなければならないことかもしれません」
妻の不穏が激しくなった時、木梨さんは声を荒らげてしまったこともあった。
「私自身が認知症について、浅い知識しか持っていなかった時期でした。妻を以前と同じ感覚で見てしまっていたのだと思います。私にもっときちんとした知識があって、認知症の方の“考えの成り立ち”を理解できていたなら、もう少し穏やかにできたのかもしれません」
そんな苦悩を和らげる一番の方法は、「休むこと」だった。
「正直なところ、以前は自分だけ休むと、『妻は今頃どうしているだろう』と気になったり、『妻に申し訳ないから、自分だけ温泉に行くのはやめよう』と気持ちを抑えたりしました。でも最近は、そこまで抑え込む必要はないと感じています。少し距離を置くと、妻のことが気になって、また自然に戻りたくなる。そして戻ったときには、前より少し新しい気持ちで向き合える。いわば“介護のリセット”のような感覚です。休みなく走り続けることはできません。自分を解放する時間を持つことが、つらさを楽にする一番の方法だと思います」
■2回目のプロポーズ
2022年8月。コロナ禍のため、結婚式を延期していた三男が、身内だけの結婚式を開いた。
当時、妻は3回目の退院をした5日後。正直本調子ではなかったが、木梨さんは前日から妻の体調の波を読んで段取りを組み、参加した。
しかし予定通りには進まず、式に遅刻。席についても妻はじっとしていられず、立ったり歩いたり。木梨さんは妻を支え続けた。
すると、長男が途中で代わってくれた。さらに主役の1人であるはずの三男が、妻の食事の介助を買って出てくれた。
そして最後、木梨さんが新郎の父親として挨拶をする番が来た。通例の挨拶を述べた後、こう続けた。
「妻は見ての通り、認知症で見守りと介護が必要です。進行してこの先、私のことが夫であるとわからなくなったら、私はもう一度妻にプロポーズしたい。『僕と結婚してください』と……」
会場が静まり返る中、木梨さんは息子たちに「愛し続ける覚悟」を示した。
木梨さんの言う通り、介護者は被介護者から離れる時間を設けたほうが、心にゆとりができ、やさしい気持ちで介護に向き合うことができる。
筆者は配偶者が要介護状態になったとしても、介護者は自分の人生を優先するべきだと考えている。なぜなら、被介護者を看取った後も、介護者の人生は続くからだ。今回のように、被介護者が若い場合はなおさらである。
若年性認知症の場合、当人のみならず、その家族も若い。そのため、仕事や家事・育児などと介護との両立が壁となるケースは少なくない。木梨さんの場合、子どもたちは独立していたが、まだ仕事をしていた。木梨さんが在宅介護の限界を感じたのは、介護が、仕事や休息など、自分に必要な時間を圧迫していたことが大きい。どんなに大切な家族であっても、自分の人生を家族の介護に全振りすることは難しく、無理をすれば必ず綻びが出る。
木梨さんは、しばらくは入院という解決策しか選べなかったが、現在のデイサービスに出会ってからは、自分の時間を大切にしながら、妻を在宅介護するということができている。
介護で大切なのは、“後悔を減らす選択肢を自分で選びとること”だ。木梨さんにとっては、思い切って施設に入所させてしまったほうが楽だし、安心かもしれない。それでも今の方法をとっているのは、木梨さんが納得の上で選びとったことなのだ。
「愛情」の形は十人十色。これを認めることが、介護を楽にする秘訣かもしれない。
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旦木 瑞穂(たんぎ・みずほ)
ノンフィクションライター・グラフィックデザイナー
愛知県出身。印刷会社や広告代理店でグラフィックデザイナー、アートディレクターなどを務め、2015年に独立。グルメ・イベント記事や、葬儀・お墓・介護など終活に関する連載の執筆のほか、パンフレットやガイドブックなどの企画編集、グラフィックデザイン、イラスト制作などを行う。主な執筆媒体は、東洋経済オンライン「子育てと介護 ダブルケアの現実」、毎日新聞出版『サンデー毎日「完璧な終活」』、産経新聞出版『終活読本ソナエ』、日経BP 日経ARIA「今から始める『親』のこと」、朝日新聞出版『AERA.』、鎌倉新書『月刊「仏事」』、高齢者住宅新聞社『エルダリープレス』、インプレス「シニアガイド」など。2023年12月に『毒母は連鎖する~子どもを「所有物扱い」する母親たち~』(光文社新書)刊行。
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(ノンフィクションライター・グラフィックデザイナー 旦木 瑞穂)

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