神奈川県横須賀市のパン店「北原製パン所」の店主・北原俊勝さんは、82歳の現役パン職人だ。毎日午前3時から仕込みを始め、配達を含めると15時間働き続ける。
年金だけで生活できるにもかかわらず、「仕事が趣味」と笑い飛ばす。なぜ、これほどまでに働き続けられるのか。そして「老後の不安」とどう向き合ってきたのか。フリーライターの弓橋紗耶さんが取材した――。
■深夜3時に出勤、7時半開店、そして配達へ…
82歳の現役パン職人・北原さんの1日は、夜が明ける前に始まる。深夜1時30分に起床すると、3時に店へと出勤。まずは、惣菜パン用のゆで卵を剥いたり、じゃがいもを裏ごししたりと、仕込みを手際よく終わらせる。
次は、前日に仕込んだパン生地を、オーブンで焼く作業だ。焼き上がった食パンを切ったり、コッペパンに切れ目を入れて具材を挟んだりと、休む間もなく動き続け、6時30分頃には300個のパンが完成する。
店のオープンは7時30分。自ら店頭に立ち、お客さんの応対をする。どうやら通勤中のサラリーマンが、朝食や昼食用に買っていくことが多いらしい。
さて、店頭のショーケースから離れたと思ったら、今度は近隣の病院や保育園へと配達に向かう。配達先は合計8カ所。約2時間かけて、自分でバイクを運転して届けに行く。
■本当に82歳?
配達を終えると、時計の針は11時を指していた。働き始めてから8時間。やっと休憩か――と思いきや、そこからまた店頭へと戻っていく。本当に82歳なのだろうか? 超人的なスタミナに、ただただ圧倒されてしまった。
「疲れるよ。人間だもん。バッテリーで動くわけじゃないもん」
そう本人は笑うが、どこか余裕が感じられる。午後にときどき居眠りしてしまうこともあるらしいが、それはご愛嬌だろう。
夕方16時30分。
働き始めて12時間以上が経っても、まだまだ仕事は終わらない。翌日のパン生地の仕込みをするからだ。店を閉めたのは18時。まさかの15時間労働だった。
■年金で食べていけるのに、なぜ働くのか
このワークスタイルは、長年体に染み付いているものだ。それは今から17年前、65歳で年金を受け取れるようになっても変わらなかった。妻・潤子さんは81歳のため、二人は年金を受給している。それなのに、なぜ未だにハードワークを続けているのか。
「はっきり言って、年金だけでも十分やっていけるんです。だけど、やっぱり従業員やパートさんを抱えてるから、その人たちのお給料のために働いてるようなもので……。自分たちだけだったら、どうってことないです」(潤子さん)
それでも、営業時間を短縮したり、従業員に仕事を任せたりと、自分たちの労働時間を減らす方法はいくらでもあったはずだ。けれど、そうした議論には一切ならなかったらしい。

「お客さんにも『仕事しすぎだよ』って怒られるんだけどね、やっぱり全部やらないと終われないからダメなんですよ。手抜きができない性格だから。結局、仕事が趣味なの。でなきゃ、こんな馬鹿やってられないよ(笑)」
北原さんの口調は、驚くほど軽やかだった。
■40代でタバコを、60代でお酒をやめた
それにしても、なぜ82歳にしてここまで働けるのだろうか。聞けば、体は丈夫らしく、「過去に膝関節の手術をした以外、病気にかかったことはない」と言う。
厚生労働省の「国民生活基礎調査(2022年)」によると、人口1000人のうち、傷病で通院している80歳以上の男女の総数は727.6人。つまり、70%以上が何かしらの持病を抱えていることになる。となると、「病気知らず」の80代はかなり稀な存在だ。そこで、北原さんの生活習慣を深掘りしてみた。
まず、40代でタバコを、60代でお酒をやめた。喫煙と飲酒は舌を鈍らせてしまうため、「味付けが塩辛くならないように」と決断したことだ。
次に、60歳まではフルマラソンが趣味で、42.195kmを約4時間で走り切っていたという。「今は仕事が運動」と笑うが、15時間働き続けられるのは、長年培った基礎体力があってのことだろう。
さらに、50歳で潤子さんがメニエール病を発症したのをきっかけに、整体師の免許を取得。疲労に伴う肩こりや腰の痛みなど、自分の体のメンテナンスもある程度できるらしい。
■「今も50代のつもりでいる」
食事はというと、朝食は仕事の合間に店のパンを一つかじるだけ。昼食は調理師免許を持つ潤子さんの手作りおにぎり弁当を、夕食は自宅でご飯や鍋焼きうどんを食べている。味付けが塩辛いと感じるため、外食はほとんどしないそうだ。
長時間働くにはエネルギーが必要なのだろう。3食炭水化物を摂取しているが、「糖質は摂りすぎないよう注意している」と潤子さんが言い添えた。
基礎体力を維持するための運動と、禁酒・禁煙。加えて、自ら体のメンテナンスを行う技術があるからこそ、勤続60年という人並み外れた記録を更新し続けられているのかもしれない。
北原さん本人は、「今も50代のつもりでいる」と胸を張る。
ただ、取材が始まってから1時間ほど経った頃、ふと視線を向けると「こっくりこっくり」と頭が船を漕いでいた。起こさないように、その間は潤子さんからお話を聞くことに。「ほら、やっぱり疲れてるんですよ」とサッパリした口調で言うが、その目はやさしかった。
■「お互いにね、プライベートは大事にしてるんですよ」
ここまで話を聞いてきて、一つ気になることがあった。毎日15時間働いて、定休日は日曜日のみ。これだけ仕事に費やしていると、プライベートの時間がほとんどないのではないか。
ところが、意外にも長年打ち込んできた趣味があるという。それは、30代から続けているボーイスカウトの育成だ。昔は夏になるとキャンプの引率が続き、その都度家族に協力してもらっていたそうだ。今もなお顧問として活動を続けており、行事があると、必ずパンを差し入れている。
「やっぱりパワーがあったんだよね、昔は。逆に、仕事以外に夢中になれることがあったから、パン屋も続けられたんじゃないかな」
潤子さんもまた、着付けの講師として活躍し、現在も10人ほどの弟子を抱えている。
かつては、二人で詩吟を習っていた時期もあったそうだ。
「お互いにね、プライベートは大事にしてるんですよ。そうしないとね、やっぱりストレス溜まっちゃうよね。タイムイズマネーじゃないけどさ。できるだけいろんなことをやらなくちゃ」
ちなみに、ゴルフにも挑戦したことがあるが、あっさりやめてしまったらしい。
「『ゴルフやってんなら、仕事しとった方がいいや』って思っちゃって。ホールインワンより、パンが全部売れた方がうれしいし、すごいことだもん」
満面の笑みで言い切る姿を見たら、「仕事は趣味」という言葉が嘘ではないことが、実感として迫ってきた。
■嫌な仕事でも、60年働き続けた原動力
さて、今は「仕事が趣味」と語る北原さんだが、もともとは「パン屋を継ぐのは嫌だった」そうだ。それでも家業に入ったのは、後継者である兄が、夜逃げ同然でいなくなってしまったためである。
「しょうがない。やるしかない」とロケットエンジニアの夢を諦め、パン職人の道に進んだわけだが、なぜ「勤続60年」を迎えるまで働き続けられたのだろうか。その理由は、幼い頃から体に刻み込まれてきた、仕事観にあった。
聞けば、小学6年生の頃から夜中の仕込みを手伝い、「嫌だな」と思いながらも、じゃがいもの皮を剥いていたそうだ。しかし、親の背中を見て育つうちに、気がつけば「働くことが当たり前」と思うようになっていたらしい。
「要するに、勤労の精神っていうの植え付けられたんだよね。男はね、ぷらぷらしてちゃいけないよと(笑)」
また、店頭や配達先でお客さんが喜ぶ姿を見ることがうれしく、50歳を迎える頃には「仕事が趣味」へと変わっていたそうだ。そうして真面目に働き続けてきた結果が、今の北原さんを形作っているのだろう。テレビ番組に取り上げられたのも、秋篠宮殿下をきっかけに皇室へパンが届けられるようになったのも、もしかすると単なる偶然ではないのかもしれない。
「やはりどこかで助けられるんですよね、長い間やってれば」
その言葉は、じんわりと心の奥に沁みた。
■「老後の不安」は考えたことがない
終始、軽快かつ穏やかに取材に答えてくれた北原さんだが、ここで一つ率直に聞いてみたいことがあった。「プレジデントオンライン」の読者には、定年後の生活に漠然とした不安を抱えている人も多いはずだ。80代になっても現役を貫くこの人なら、何か答えを持っているのではないか――そう思い、「定年後はどう過ごすのがいいか」「老後の不安とどう向き合ってきたのか」を聞いてみた。
「少しでもいいから、働き続けた方がいい。できれば、(定年後も)同じ仕事を続けるのが一番ですよ。ゼロから覚え直す必要がないから。あとは勉強したり、新聞を読んだり。とにかく、前向きに動き続けることですよね」
そこへ、傍で聞いていた潤子さんが、ハツラツとした声で言い添えた。
「老後が不安だ、嫌だって言ったってさ、やっぱり努力しないとね。精一杯生きていれば、そんな不安もへったくれもないでしょ。老後の不安だなんて、あんまり考えたことないよね」
「そう」と北原さんは頷く。
「だからね、振り返ってみたら『あれ、俺歳取ってんな』って気づくの。いやだね。自分ではそう思ってないんだもん(笑)」
この二人は「老後」を意識する暇もないほど、実直に仕事に向き合ってきたのだろう。「老後の不安」は人によって違うし、解消する方法も異なる。ただ、目の前で笑い合うこの二人の姿は、紛れもなく一つの答えだと感じられた。
■100歳まで店に立ち続ける
「うちの親父はね、100歳まで店に立ち続けたんですよ」
創業者である先代は、晩年はパンを作ることはできなくなっていたが、店の片隅に座って、訪れるお客さんと言葉を交わしていた。人との会話が、何より生きがいだったのだろう。北原さんはその背中を間近で見てきたからこそ、「辞める」という選択肢が頭の片隅にも浮かばないのかもしれない。
「一生懸命働いてさ、お客さんにエネルギーもらってさ、100歳までがんばれるよ」
笑いながらそう言い切った顔に、迷いはなかった。今夜も街が寝静まった頃、作業場の明かりが静かに灯る。

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弓橋 紗耶(ゆみはし・さや)

フリーライター

1987年、神奈川県生まれ。2010年からインフラ企業で営業・営業企画を経験し、2022年に独立。現在は、ストーリーライティングを軸とした取材・記事執筆などを手がける。企業の広報から経営者インタビューまで、営業現場で培った人との対話力を活かし、企業の持つ本当の価値や想いを言葉にして伝えている。

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(フリーライター 弓橋 紗耶)
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