フォルクスワーゲン、メルセデス、ポルシェ……。世界に冠たるドイツの自動車メーカーが、リストラに追い込まれている。
一体、何が起こっているのか。ドイツ在住作家の川口マーン惠美さんは「EV化をはじめ、極端な脱炭素政策を国が推し進めてきた結果だ。追い詰められているのはメーカーだけではない。EVは高すぎる、ガソリン車の先行きも不透明、そんな中で、市民の“足”にも変化が生まれている」という――。
■“EV補助金”という新たなバラマキ
ドイツ政府は現在、来年度予算案の作成に鋭意邁進中。遅くとも11月までには議会を通さなければならないが、連立与党であるCDU/CSU(キリスト教民主/社会同盟)と社民党が不仲なこともあり、なかなか纏まらない。
昨年の歳入は史上最高だった上、9000億ユーロというやはり史上最高額の借金も通したが、それでも金欠状態は解消されない。
だから今回も多くの増税と、さらに7500億ユーロの借入は避けられない模様。
問題は、収入が足りないのではなく、支出がダダ漏れであることは歴然。このままでは、今後5年で債務の総額は2.8兆ユーロになると言われており、当然、そのツケは次世代に回る。
ところが、此の期に及んでも政府はばら撒きをやめない。
奇しくも5月19日からは、電気自動車の購入補助金の申込も始まった。
新たに始まったばら撒きと言える。
実は、前回の購入補助は、2023年の12月17日に突然、打ち切られている。夜のニュースでそれが報じられた時、あまりにも唐突だったため、私は最初、聞き間違えたと思ったぐらいだ。しかし、アナウンサーがおもむろに「あと5時間です」と言ったので、本当だということがわかった。こんな大混乱の政策も珍しい。
■完全に中国市場に依存していた
当時、中止になった理由は、ショルツ政権(社民党)がコロナ対策費のうち、使い残していた600億ユーロ(約10兆円)を気候対策費に転用しており、それを裁判所に違憲だと判断されたから。
そのため、政権は一気に金欠になり、電気自動車の購入補助どころではなくなった。
それから2年半、補助金のなくなった電気自動車は全く売れなくなった。ほとんどのメーカーが政治の圧力で電気自動車に完全にシフトしており、補助金なしでは壊滅状態。その上、今ではガソリン車も売れず、状況は深刻だ。
景気悪化の大きな理由は、これまでガソリン車を大量に買ってくれていた中国が買ってくれなくなったこと。
ドイツの自動車メーカーは、ここ10年以上、完全に中国市場に依存していた。
ところが、今、中国の景気も落ち込んでおり、高いドイツ車は敬遠される。また、中国人が自分たちの国産車に誇りを持ち始めたこともあるかもしれない。
特に強いのが、made in Chinaの電気自動車だ。
ドイツの自動車メーカーの苦悩は、中国がその自慢の電気自動車をどんどんEUに輸出し始めたこと。
これまで中国の技術力をバカにして、「研究施設だけは中国に移転しない」などと上から目線のドイツ人だったが、市場が電気自動車にシフトした今、中国車の方が自動運転技術は上だと言われるし、価格も安い。すでに勝負がついたも同然だ。
当然の帰結として、フォルクスワーゲンもメルセデスもポルシェも、生き延びるための大々的なリストラに踏み切っており、関連産業も倒れていく。こうなると、国家経済への影響も限りなく、政府の苦肉の策が、電気自動車の購入補助の復活だった。
■「80万台増やす」政策の中身
対象は、今年の1月以降に新規登録した電気自動車、水素自動車、プラグインハイブリッドなどで、補助額は、電気自動車と水素自動車に3000ユーロ、プラグインハイブリッドなどは1500ユーロ。なお、低所得者、および子供の多い家庭には、さらに最高6000ユーロ(現行レートで110万円)までの増額が可能になる。
予算は30億ユーロ(約5500億円)で、29年までの3年という期限付き。ただし、無くなったところで打ち切りなので、早い者勝ち。
これで80万台の電気自動車を増やす計画だという。
ちなみに、23年末に突然中止になった購入補助では、価格が4万ユーロ以下の電気自動車に対して9000ユーロ(政府6000ユーロ+メーカー3000ユーロ)、プラグインハイブリッドに6750ユーロ(政府4500ユーロ+メーカー2250ユーロ)という超大盤振る舞いだった。
ただし、トヨタや日産が強いハイブリッドは、“環境に悪い”という理由で補助対象から外されていた。今回もやはり外されたままだ。
それでも充電の心配のないハイブリッドは結構強い。その上、トヨタや日産は、どんなに批難されようがガソリン車も捨てなかった。この先見の明は、評価されるべきだろう。
それに比べてドイツの自動車産業は、今や問題が山積。慌ててガソリン車にも力を入れようとしているが、前述のように、お得意さん(中国)が冷たいので先行きは暗い。
■必要なのは製造コストを下げること
本来ならば、この重要な基幹産業が国際競争力を回復するためには、補助金などという小手先のカンフル剤ではなく、製造価格を下げなければならない。
決め手は電気代だ。
それも、電気代への補助などというばら撒きではなく、発電コスト自体を下げるための抜本的な修正が必要なのに、政府は全くそれをしない。

また、もう一つ、生産コストを上げている原因が、膨大な規制や煩雑な報告義務といった官僚主義だ。モンスターのように肥大したこの仕組みが、能率的な労働を阻んでいることは周知の事実だというのに、政府は「改善する、する」と言いながら、実際にはそのための役所を新設したので、官僚の数は増えた。
そして、その結果、やっていることは毎度の如く、3年の間、嫌がる国民の目の前に30億ユーロという人参をぶら下げて、お尻を叩いて電気自動車を買わせようというもの。これで本当に80万台の電気自動車が増えたとしても、「じゃあ、そのあとは?」というのがまるで見えない。
ドイツの電気自動車の価格はいずれ下がるのか? 政府がずっと補助し続けるなどということはあり得ない……。国家の意思で採算が取れないものを作り続けてもうまくいかないことは、中学生でもわかる。
「だったら、しばらくこのままガソリン車に乗り続けようか」と思っても、いつ何時、ガソリン税が引き上げられるかも分からない。電気自動車に買い換えるなら、今でなければ潤沢な補助金は貰えない。しかし、将来の電気代はどうなるのか……? 展望が見えないまま、国民は次第に追い詰められていく。
■そもそも“脱炭素政策”はこのままでいいのか
電気自動車はガソリン車に比べて価格が高い。多くの国民にとっては補助金が付いてもまだ高い。ドイツは中古車市場の発達した国なので、一生、新車など買わない人も大勢いる。

しかし、どうしても買わなければならなくなったら、人々はおそらく中国車を選ぶだろう(日本車を選んでくれればさらに良いが)。そうなれば、すでに電気自動車のバッテリーで完全に中国に依存しているドイツは、自動車市場自体を中国に席巻されることにもなりかねない。
その時にはドイツ政府は、「これでやっとCO2の削減値を達成できる。めでたし、めでたし」と言うのだろうか。
そもそも電気自動車は、バッテリーの製造段階で大量の資源とエネルギーを使い、ガソリン車の約2倍のCO2を排出している。つまり、新車の時点でかなりの借金を背負っているわけだ。その借りは、何万キロも走っている間に徐々にゼロに近づいていくが、万が一、途中でバッテリーの交換などしようものなら元の木阿弥。だから、電気自動車が本当にCO2削減に役立つのかどうかは、まだよくわからない。
また、たとえドイツのCO2値がプラス・マイナスゼロ(カーボン・ニュートラル)になったとしても、それで地球の温度が下がるかどうか? 「下がらない」と結論づけている研究もすでに数えきれないほどある。
それどころか、つい最近、決定的なことがあった。気候に関しては間違いなく世界一の権威であるIPCC(気候変動に関する政府間パネル)の報告書が、これまで脱炭素政策の根拠とされてきた「最悪のシナリオ」について、「現実の経済動向から見て、発生する可能性は極めて低い(非現実的である)」と公式に認めたのだ。
しかし、これまでその非現実的な報告を発表してきた学者らも、それに基づいてさまざまな脱炭素政策を作り続けてきた政府も、そのIPCCの報告をほぼ無視。
また、「地球が沸騰する」などという終末論を好んで広めてきたメディアも同様だ。
本来なら脱炭素政策の的確な修正は、これ以上の脱産業化や国民の貧困化を防ぐ絶好のチャンスなのに、なんと残念なことか(日本も同じ)。
■ドイツで流行する“乗り物”とは…
今、“温暖化で地球が住めなくなる”という長年広められてきた話が脳みそに染み付いてしまったドイツ国民の間では、緑の党推奨の、自転車にくっつけるリヤカーが大流行り。私の住むライプツィヒは、元々自転車人口が多い都市だが、今ではたくさんの自転車がリヤカーを引っ張って走っている。
いや、リヤカーではなく、トレーラー、カルゴ、ワゴンなど、呼び方も様々なら、価格もピンキリ。子供2人を積める素敵なトレーラーも増えている。自転車もリヤカーも、健康的だし、楽しそうだし、異議はない。自然回帰はドイツ人の一番好きなテーマなので理解もできる。
ただ、問題は、雨や雪の日だ。あるいは、通院や夜勤の後は? ドイツも日本も公共交通の完備しているのは都会、それも昼間だけだ。
自転車が選択肢であるうちは良い。しかし、もし、車が贅沢品で庶民の手に届かず、あるいは、電気が逼迫、高騰して使えず、自転車しか移動手段がなくなってしまうとしたら?
それはもう選択肢ではない。
不便だった時代への回帰、東ドイツ時代への逆行だ。悲劇以外の何物でもない。
地球が円盤ではなく球体だと最初に言ったのは、紀元前6世紀、古代ギリシャのピタゴラスだったそうで、それが一般の常識となったのは、16世紀にマゼランが世界一周を達成してからだという。
現在の命題、CO2を減らせば地球の温度が下がるかどうかの決着がつくのは、いったいいつのことだろう。

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川口 マーン 惠美(かわぐち・マーン・えみ)

作家

日本大学芸術学部音楽学科卒業。1985年、ドイツのシュトゥットガルト国立音楽大学大学院ピアノ科修了。ライプツィヒ在住。1990年、『フセイン独裁下のイラクで暮らして』(草思社)を上梓、その鋭い批判精神が高く評価される。2013年『住んでみたドイツ 8勝2敗で日本の勝ち』、2014年『住んでみたヨーロッパ9勝1敗で日本の勝ち』(ともに講談社+α新書)がベストセラーに。『ドイツの脱原発がよくわかる本』(草思社)が、2016年、第36回エネルギーフォーラム賞の普及啓発賞、2018年、『復興の日本人論』(グッドブックス)が同賞特別賞を受賞。その他、『そして、ドイツは理想を見失った』(角川新書)、『移民・難民』(グッドブックス)、『世界「新」経済戦争 なぜ自動車の覇権争いを知れば未来がわかるのか』(KADOKAWA)、『メルケル 仮面の裏側』(PHP新書)など著書多数。新著に『無邪気な日本人よ、白昼夢から目覚めよ』 (ワック)、『左傾化するSDGs先進国ドイツで今、何が起こっているか』(ビジネス社)がある。

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(作家 川口 マーン 惠美)
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