■インドネシアの中国企業が“異例”の抗議
インドネシアの国内で活動し、中国企業からなる商工会議所「インドネシア中国商会総会」が、抗議書簡をプラボウォ大統領に送付した。内容は、インドネシア国内の法規制をはじめとする投資環境について「安定性と継続性を欠く」と批判するもの。
中国があてにしていた優遇措置がとられず、公に不満を噴出させた格好だ。日本は2015年に高速鉄道の受注競争で中国に敗れて以降、「インドネシアは中国寄り」との見方が強かった。だが、それは幻想で「自国ファースト」の国であることが浮き彫りになった――。
「最近、インドネシアで事業を行う中国企業は、過度に厳格な規制、過剰な法執行、さらには所管当局による汚職や恐喝を含む、顕著な問題に広く直面している」。
これは5月中旬に中国商会総会がプラボウォ氏に直接宛てた書簡の冒頭の記述だ。同会は中国共産党の影響下にあり、事実上、中国共産党政府の不満を代弁したと考えて良い。
書簡では具体的には6項目が指摘されている。税金や各種手数料の大幅な引き上げ、天然資源を輸出した際に得られる外貨収益を国内に留保する規制、ニッケルなどの鉱山採掘割り当ての大幅な削減、森林関連の法執行強化による巨額の罰金、大型水力発電プロジェクトでの環境破壊を理由とした突然の工事停止と罰金、就労ビザ審査の厳格化――がそれだ。

(参考:Reuters「Chinese firms warn Indonesia's nickel quotas, tax hikes threaten investment」)

(参考:JAKARTA GLOBE「Indonesia's Nickel Policies Worry Chinese Investors」)
■「ニッケル投資」の誤算
書簡ではさらに、電気自動車(EV)に対する優遇措置の廃止、経済特区(KEK)での税制優遇の縮小などが政府内で検討されていることにも深い懸念を示した。特に中国企業が主導するニッケル産業を巡っては、インドネシアのエネルギー鉱物資源省がニッケル鉱石の公式基準価格(HPM)を引き上げ、ニッケル鉱石の総合調達コストが急騰したと強く主張した。
今回の書簡は、単なる外資企業の苦情と片付けるべきではない。そこに表れているのは、インドネシアの資源政策を巡る中国側の「誤算」だ。

中国は、豊富なニッケル資源を現地で精錬・加工し、ステンレス鋼や、車載バッテリーなど電気自動車(EV)関連産業へつなげる一体型のサプライチェーン構築を進めてきた。
しかし、プラボウォ政権は天然資源から生まれる収益が国外へ流出しているとして、輸出管理や外貨収益の把握を強める姿勢を鮮明にしている。資源主権を掲げる政権の国家戦略と、巨額投資を続けてきた中国企業の事業前提との間で、摩擦が一気に表面化した形だ。
■高速鉄道は“中国寄り”に見えたが…
筆者はプレジデントオンラインで、インドネシアと中国、日本の三国の関係を捉える上で、2015年に中国が日本に競り勝って受注したジャカルタ―バンドン間の高速鉄道「ウーシュ」について報じてきた。日本ではこの一件から、「インドネシアは日本を裏切って中国寄りになった」とする見方が強まった。

(関連記事:最初から「日本の新幹線」を選べばよかったのに…日本を裏切り、習近平にすがるインドネシア新幹線の末路
簡単に経緯を振り返ろう。ウーシュ建設をめぐっては、ジョコ・ウィドド(通称ジョコウィ)前大統領が15年、それまでほぼ受注が決まっていた日本の「政府保証を求める円借款方式」の案を退け、突如中国の「政府保証も国家予算からの拠出も求めない民間投資方式」とする案を採用した。
しかし、コロナ禍や用地買収の難航などで建設費は当初想定を大幅に上回った。運賃収入も想定より伸びず、「走る時限爆弾」(インドネシア国鉄総裁)と言われるほど赤字が膨らんでいる。運営主体の民間企業では賄いきれなくなった結果、プラボウォ大統領が今年、国家予算投入に踏み切らざるを得なくなった。これにより日本の関係者からは「だったら初めから日本の方が利率も低く好条件だったのに」とちゃぶ台返しに呆れ返る声が聞こえてくる始末だ。
■投じた額は“高速鉄道の5倍以上”
実際の利益はともかく、ウーシュは中国の習近平国家主席の巨大経済圏構想「一帯一路」の政治的な象徴となったことは確かだ。

ウーシュ受注後、中国のインドネシアへの投資は激増し、日本を追い抜き、最大級の投資国となった。その大部分はニッケル精錬で、ジェトロによると、米国の非営利調査機関「C4ADS」の調査で“中国関連企業がインドネシア国内精錬能力の約75%を保有している”とされる。事実上の独占状態になっている。

(参考:JETRO「政府が注力する鉱物資源・ニッケル産業の下流化」)
ニッケル関連の中国企業に対する税制優遇も採られていた。その上、中国本土で余ったEVをインドネシア政府が補助金を出すことで国内で販売しやすくして「在庫処分に手を貸した」(日系自動車メーカー幹部)などもあったという。少なくとも昨年時点ではインドネシア政府は「中国寄り」であったことは間違いない。
ただ、プラボウォ政権が今年に入り、資源管理をはじめとして各種規制を強化したのは中国の大きな誤算であった。ウーシュの総事業費は約73億ドルで、その4分の3に当たる約55億ドル(約8760億円)を中国側が融資している。だが、ニッケル事業は300億ドル(約4兆7800億円)と5倍強に上るとされ、文字通り桁違いの打撃だ。

(参考:CSIS「Indonesia’s Nickel Industrial Strategy」)
今回直接書簡で不満を強く表明したのは、「ウーシュはあくまで政治的象徴であり赤字も許容範囲だったが、本丸のニッケル事業にまで大きな影響が出てハシゴを外されたのは看過できなかったから」(日系商社幹部)だろう。
■インドネシア大統領「天然資源は私たちのものだ」
興味深いのはプラボウォ政権がこの書簡を受け取っても、態度を変えているようには見えない点だ。
中国商会総会の書簡が公表されたのは5月12日だが、その直後の20日の国会演説でプラボウォ大統領は「天然資源は私たちのものだ」と語り、輸出価格や外貨収入を国家が管理する必要性を繰り返した。

そして、パーム油やニッケルなど世界有数の生産量を誇る国内資源の価格が、いまだに海外市場で決定されている現状を不条理だと批判。「価格は私たち自身が決める。買いたくないなら、買わなくてよい。子や孫のために地下にそのまま残せばよいだけだ」と語気を強めた。
(参考:Sekretariat Kabinet Republik Indonesia「Presiden Prabowo Terbitkan PP Tata Kelola Ekspor SDA, Tegaskan Kekayaan Alam Harus untuk Kemakmuran Rakyat」)

(参考:kompas「Mau RI Tentukan Harga Emas, Prabowo: Kalau Mereka Enggak Mau Beli, untuk Cucu Kita」)
「資源ナショナリズム」を強く打ち出した格好で、資源輸出を一元管理する国営会社設立も表明した。この演説は海外投資家を大いに当惑させ、ルピア安が加速し日々史上最安値を更新、1ドル=1万8000ルピア台を一時突破した。
今回の一連の事態をどう捉えれば良いか。まず、日本が約10年前にウーシュで「裏切られた」ように、中国もニッケル投資で「裏切られた」ことは間違いない。中国が一帯一路の投資先国で公式に不満を表明せざるを得なくなったのは前例がないことから見ても、インドネシアの独立心と予想不可能性は特筆すべきだろう。インドネシアの外交は「自由かつ積極的な原則・政治(politik luar negeri bebas dan aktif)」が基本方針だが、「空気を読まずに、方針をコロコロ変える」とも言い換えられる。
■「自国ファースト」に中国が困惑
そもそも、ウーシュ事業で日本が先行していたのは、調査を始めたユドヨノ政権(2004~2014年)が、東日本大震災の際に被災地を訪れるなどで日本に親近感があったこと、中国の経済的台頭が進んでいなかったことが大きい。
その後のジョコウィ政権(2014~2024年)でウーシュの受注を機に「中国寄り」が進んだことはすでに書いた通り。
だが、「庶民出身で政界のアウトサイダーだったジョコウィにとっては新興勢力の中国と組まざるを得なかった」(現地政界筋)との事情もあったと見られる。
そして現在のプラボウォ政権は中国優遇よりも自国の利益を最優先にする方針を打ち出し、超大国中国をも当惑させている。「中国人が最も重要視する面子(メンツ)をまる潰しにしても、平気で北京に来てウーシュの負債の支払い先延ばしや利息の減免、大型土木工事案件での投資を求めたりする。中国からすればまさに理解し難い厚顔無恥」(日本の外務省関係者)。
インドネシアにとっては、日本・中国だけでなく、あらゆる外国はしょせん利用する対象なのだ。常に「自国ファースト」であることが、今回の中国商会総会の書簡から明らかになった。
■「厄介でタフな国」に、日本大使は8カ月空席
日本はどう対峙すべきか。中国商会総会が書簡で訴えた内容は、日系企業が日常的に抱いている不満と共通している。韓国や欧米の商工会議所と連携して投資環境の改善に動くのは重要だ。日本の大手メーカー幹部が次のように話すのは当然だろう。
「中国商会総会は書簡で40万人の雇用に影響が出ると言っているが、日本は600万人の正社員雇用を創っている。もっと自国の利益を主張していいはずだ」
また、29年にプラボウォ氏の再選がかかった大統領選挙があることも見逃せない。
先の外務省関係者は「今回中国が不満を関係者を通じて裏から伝えるのではなく、表に出す形で伝えざるを得なくなったのは、インドネシアの中国ロビーがプラボウォ政権中枢と切れたから」と説明。その上で、プラボウォ政権の2期目の選挙が迫っていることについて「中国は自国に都合の良い候補を後押しするための工作を進めている」と述べる。
こうした状況下で、日本政府が今から情報収集などのロビー活動を強める必要があるのは言うまでもない。だが、致命的なことに、現場指揮官の駐インドネシア日本大使は2025年10月から空席となっており、次席公使として明珍充氏が臨時代理大使を務めているが、約8カ月空席の現状では難しい。高市早苗首相には1日も早く新しい大使を任命すべきだろう。さもなければ中国でさえ手に余る「厄介でタフな国」と渡り合うことなどできるはずがない。

(参考:時事通信社「駐インドネシア大使、異例の空席 安保局長人事の余波で」)

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赤井 俊文(あかい・としふみ)

「ジャカルタ日報」編集長・共同創業者

業界紙、時事通信社記者を経て独立。フリージャーナリストとしてネットメディア、週刊誌に寄稿実績を積んだ後、インドネシアを起点にASEANのニュースを日本の読者に伝える。

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(「ジャカルタ日報」編集長・共同創業者 赤井 俊文)

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