元日本代表の本田圭佑が、高校時代に覚醒した事情を明かした。

本田は、石橋貴明と三田友梨佳をMCにして新たに始まったスポーツブルの配信『石橋とアスリートが盛り上がって三田』に第一回のゲストとして登場し、これまでのキャリアを振り返った。

中学校からガンバ大阪のジュニアユースでプレーしていた本田。しかし同級生に“天才”家長昭博、後輩に安田理大を擁するチームはタレント軍団で、存在感を示せなかった本田はユースに昇格できなかった。

野心家の本田にとって大きな挫折であり、祖父母からはサッカーを諦めるように言われ公立高校への進学を勧められた。しかし本田はこれを拒否し、父親を説得して高体連の星稜高校へ進学している。

星稜を選んだのは、当時全国ではまだ強豪といえるレベルではなく、プロになる近道として「高校1年からレギュラーになれる」高校だったからだという。

その思惑通り、本田は1年生から活躍。本人の言葉によればたった1か月でレギュラーを獲得したとのことだ。

MCの石橋から「3年間で一番鍛えたところここが足りなかったから(ユースに)上がれなかったんだろうなってところは?」と聞かれると、本田は「体がすごく大きくなった。遅咲きだった」と語り、こう続けた。

「筋肉も高校に入ってからつきましたし、ちょうど高校で今くらいのサイズになった。パワーがついたことで必然的にボールのキープ力とかその辺りは劇的に(良くなった)。具体的に僕が成長したというよりは単純に体の成長に伴ってプレーの幅が広がりました」

具体的に何かを鍛えて向上したというよりは、高校で成長期がきて体が大きくなった結果としてプレーが変わったとのこと。

本田を擁する星稜は、本田が1年時に高円宮杯全日本ユース選手権で準優勝。3年時には主将として全国高校サッカー選手権大会に出場し、石川県勢として初のベスト4を成し遂げている。

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