Coffee & Cigarettes 14 | 小沢一敬
「フリッパーズ・ギターが好きな理由? パンクだから」
そう言いながら小沢一敬は、こちらを試すような不敵な笑みを浮かべた。相方の井戸田潤と結成したお笑いコンビ、スピードワゴンの(主に)ボケ担当。2002年の『M-1グランプリ』にて敗者復活戦から勝ち上がり、初の決勝進出を果たしたことで一躍注目を集めた彼ら。中でも「甘い言葉」ネタは、お茶の間に広く認知されるきっかけに。独身を貫き、同期の徳井義実(チュートリアル)らとシェアハウスで共同生活を送るなど、そのユニークなライフスタイルでも知られる小沢は、生粋のTHE BLUE HEARTS好きとしても有名だ。実は、フリッパーズ・ギターの大ファンでもあるという噂を小耳に挟み、その理由を尋ねたときに返ってきたのが冒頭の言葉。即答だった。
「僕は中卒なんだけど、15歳の頃に1つ上の先輩と寮で共同生活をしながら海のそばのホテルで働いていて。その職場には、大学生など年上の人がバイトでたくさん来ていたんだよね。その中の1人に教えてもらったのがフリッパーズ・ギターだった。
小山田圭吾(コーネリアス)と小沢健二により結成されたポップ・デュオ、フリッパーズ・ギター。「恋とマシンガン」などのヒット曲で知られ、ベレー帽にボーダーシャツといったフレンチカジュアルに身を包んだ彼らがパンク? と首をかしげる人もいるかも知れない。だが、アズテック・カメラやオレンジ・ジュース、パステルズらに影響を受け、複雑で洗練されたコードをアコギでかきむしりながら、甘い歌声で美しいハーモニーを聴かせる彼らは、形骸化された当時の「商業ロック」などよりも余程ロックでパンクな存在だったのだ。そんな話を切り出すと、小沢の目が光った。
「アズテック・カメラなんて名前が、こういう取材で出てくるとなんだかワクワクしてくる(笑)。俺の中でTHE BLUE HEARTSとフリッパーズ・ギター、それからダウンタウンはパンクなんだよね。なぜなら、『あ、俺はこういうことがやりたい!』って思わせてくれるのがパンクだと思っているから。もちろん、全然やれないんだけど。勘違いさせられちゃうというかさ……。THE BLUE HEARTSやダウンタウンの真似したやつはいっぱいいたけど、誰も超えられなかったよね。ちなみに以前、マーシーと話す機会があって、その時に『小山田くんにはパンクを感じるんだよね』って言ってて。
Photo by Kentaro Kambe
そう言いながら、少年のように目を輝かせる小沢。マーシーとは言うまでもなく、真島昌利のこと。甲本ヒロトと共にTHE BLUE HEARTSを結成し、現在はザ・クロマニヨンズのギタリスト。「THE BLUE HEARTSは小学校の義務教育で教えるべき」と常々主張する小沢にとって、マーシーは「先生」なのだ。
「マーシーが好きなものを全部知りたくて、映画や本、音楽はマーシーの真似をしたの。昔はそれこそジャック・ケルアックやアレン・ギンズバーグ、ジム・キャロルなどビート文学と呼ばれる本を読んだり、『長距離走者の孤独 』のようなイギリス文学を読んだり。背伸びしてたんだよね(笑)。よくヒロトさんが言ってたのは『あの人の音楽が好き』って思ったら、その音楽を真似するんじゃなくてルーツまで遡れって。だから、フリッパーズとTHE BLUE HEARTSって、やっていることは全然違うけどルーツを遡っていくと共通点があったのかも。そこに同じ『パンク精神』を感じたのかも知れないな」
タバコをくゆらせ、当時を思い出す。そういえば、さっきから彼はひっきりなしにマルボロを吸い続けている。どうやら筋金入りのチェーンスモーカーのようだ。
「1日4箱は吸ってるね。タバコと酒、どっちかやめろともし言われたら酒をやめる。別に好きとか嫌いとかもないし、美味いとも感じてないんだけど(笑)。もう生活の一部みたいになっちゃってるから。そうそう、このあいだ健康診断へ行ったら『70歳の肺です』って言われた。でも全然気にしてないよ」
笑いながらさらに1本くわえる。サブカルチャーにも造詣が深く、最近ではAL(元andymoriの小山田壮平による新バンド)やTHE BOHEMIANSがお気に入りだという小沢が、衣食住などライフスタイルへのこだわりを、ほとんど持っていなかったのは意外だった。唯一あるとしたら「Tシャツの首をハサミで切ること」だという。それもマーシーの影響だ。
「俺の大好きなマーシーが、ずっとTシャツの首を切ってる。だから俺も、中学生の頃からずっとそうやってる。中学生の頃とかパジャマで登校したことがあるんだけど(笑)、パジャマの首まで切ってるからほんと、頭のおかしいやつだったよね(笑)」
Photo by Kentaro Kambe
マーシーへの思いが強すぎる余り、彼の卒業校に電話して連絡先を聞き出そうとしたこともある。
「誘われたから(笑)。ほんと、どうしようと思ってたんだよね。15歳からプータローというか、1カ月働いたら3カ月遊んで暮らすというのをずっと続けて、気がついたら20歳になっていて。いつの間にか周りの同級生たちは、大学へ行ったり就職したり。あれ?みんな『ずっとプータローやっていようぜ』って言ってなかったっけ?みたいな(笑)。そうこうしているうちに、NSC(新人タレントを育成する目的で設立された吉本興業の養成所)が名古屋に出来て。幼馴染に誘われるがまま入ったら、そこで潤と知り合うんだ」
現在は、コンビとしてだけでなくソロの活動も多いスピードワゴン。小沢は最近YouTubeチャンネルを開設し、好きな音楽や映画、ゲームについて語りつくしている。昨今メディアが多様化していく中、新たな表現手段を探るための挑戦なのかと思いきや、そこも「成り行き」だったときっぱり。
「福岡で一緒に番組をやっていたスタッフが、『小沢さんのYouTubeチャンネル作らせてよ』っていうから『うん、いいよー』って。スピードワゴンだって、潤が『ネタを書け』と言うから書いてるようなものだし。
いい意味で行き当たりばったり、成り行き任せの人生。将来のなりたい理想像などはあるのだろうか。
「それこそ徳井くんなんかは、5年後の自分のことを考えながら毎日生活しているっていうわけ。俺、来週のスケジュールすらよく分かってないから(笑)。こういう話になると『先のことを考えて不安になる』っていう人がいるじゃないですか。存在しないものになんでビビってんの?って昔から思ってる。28歳でM1の決勝に行くまで月収が3000円で、消費者金融にも満額の借金があったけど、なんとも思ってなかったからね(笑)」
過ぎ去った過去も、まだ来ぬ未来も存在していない。あるのは「今、この瞬間」だけ。そこに全力を注ぎ込めば、確かに不安を感じることもないのかもしれない。しかし、多くの人はそれが出来ずに葛藤を抱えているのだ。
「例えばさ、俺は麻雀が好きで結構強いんだけど、それでも負ける時がある。その日もし死んだら俺の人生『負け』で終わるけど、また明日やれば勝つと思っているんですよ。麻雀やっててよかったなと思うのは、どんな状況にあっても『まだ途中だから』って思えるようになったこと。彼女に振られても、めちゃくちゃ仕事で失敗しても、『まあ、人生まだ途中だからな』って。だから挫折とか失敗とか、何とも思わない。恋愛映画でもさ、大抵は『男と女が結ばれました。めでたし、めでたし』でエンドロールが流れるんだけど、人生ってそこでエンドロールなんて流れずに続いていくわけじゃん。だから”ハッピーエンド”じゃなくて”To be continued”が好きなの。だから、何があっても『続き』と思っているから負けても大丈夫」
転がり続ける人生がロックンロールだとしたら、小沢ほどのロックンローラーは音楽界にもそうそういないのではないか。成り行き任せの人生で、これから彼が何を掴み取っていくのか。今後も楽しみでならない。
小沢一敬
1973年愛知県生まれ。お笑いの養成所で知り合った井戸田潤と98年にスピードワゴンを結成。2002年『M-1グランプリ』で敗者復活から決勝戦に進出。麻雀の腕はプロ級。音楽や野球、ゲームにも造詣が深い。また、読書好きで自宅には1000冊以上の本、3000冊を超える漫画を所有している。 スピードワゴン 小沢一敬Official Channel
毎月、主宰ライブを開催中。奇数月はトークライブ「話スピードワゴン」、偶数月は漫才ライブ「東京センターマイク~スピードワゴンと数組の漫才師~」を渋谷・ユーロライブにて。