(38)亡羊補牢
「亡羊補牢」という成語は『戦国策』という漢代に編まれた本の中に出ている故事に基づく語である。
「羊を亡(うしな)いて牢を補う」とそのまま訓読して日本でも使われている。
例えば、私が日頃愛用している小学館の『故事ことわざの辞典』1986年刊。(この辞典、1982年刊の『故事・俗信ことわざ大辞典』という大きな本のダイジェスト版だが、もとの本があまりにも大きすぎて扱いにくいので、普段はダイジェスト版の方で間に合わせている。)
同書に、「羊に逃げられたあとで檻の修理をする。あやまちを悔い改めることのたとえ。また、手おくれになってからことをはじめることにもいう。」とある。
日本語としての使われ方はこんなところであろう。ただし、中国語としての使い方とは、かなりのズレがある。
この語はその出どころである上の『戦国策』には、「亡羊而補牢,未為遅也」と、「いまだ遅しとなさざるなり」が続いている。それでもまだ間に合う、というのである。日本語が、「逃げられてしまってからでは……」とあきらめの方向に転じがちなのに対し、中国語の方は、「逃げられてしまってからでも……」と、なかなか執念深い。
(39)後の祭り
「亡羊補牢」からすぐ思いつく日本語は「後の祭り」である。
確かそういう訳語を充てた中国語辞典があったと思って手元の何冊かを調べてみたが、なかなか見つからない。そんなはずはないと、あれを調べこれを開き、やっと見つかったのが、まさかと思い、いちばん後回しにしていた辞典である。
学生の頃から愛用していた一冊。お二人の編者は共にもう亡くなられたが、うちお一人はわが恩師である。両先生がそんなお粗末な訳語を充てられるとは、とうてい考えられない。応援に駆り出された大院生あたりが書いた原稿を、うっかり見落としてしまわれたのであろう。
「犯人」はともかくとして、上の誤り(中国語ではまずそのような使い方はしないから、「誤り」と断じてよいだろう)、いかにも日本的である。私なども、たまたま中国語での使い方を知っていたからこんな揚げ足とりめいたことを書いているが、そうでなければ「亡羊補牢」を「後の祭り」とすることになんの疑いも差し挟まないであろう。
先の『故事ことわざの辞典』は類句として、「兎を見て犬を呼び、羊を亡(にが)して牢を補ふ諺に異ならず、わが来ることも晩かりき」という、江戸時代の読本(よみほん=通俗小説)の用例を引いている。書き手は滝沢馬琴らしい。馬琴なら「亡羊補牢」の出どころを知らないはずはない。知っていながら登場人物にこのように言わせているところが馬琴らしい。
なお、上の読本の「兎を見て犬を呼び……」も「見兎而顧犬,未為晩也」として、「亡羊而補牢……」の前に出ている。馬琴が原本を読んでいたことは疑いない。(執筆者:上野惠司)
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