メジャーリーグで内野手として活躍し、長年にわたり監督も務めたデーブ・ジョンソン氏が5日(日本時間6日)、82歳で死去した、と米各メディアが伝えた。二塁手として13年間のメジャー生活で4度のオールスターに選出。

1975、76年には巨人でも2年間プレーしたジョンソン氏は、監督として17シーズンにわたり5つのチームを率い、1986年にはメッツでワールドシリーズ制覇を果たしました。

 1965年にオリオールズでメジャーデビュー、リーグ3連覇(1970年にはワールドチャンピオン)した黄金時代の正二塁手としてブルックス・ロビンソン三塁手、フランク・ロビンソン外野手、ブーグ・パウエル一塁手、ジム・パーマー投手といったスーパースターらとともに活躍し3度のゴールドグラブ賞も受賞した。

 1973年、ブレーブスでは43本塁打を放ち、2021年のブルージェイズでマーカス・セミエン(現レンジャーズ)が45本塁打を放つまで、二塁手としてはシーズン最多記録だった。巨人在籍を挟んで1977年から1978年にかけてフィリーズとカブスでメジャーリーグ最後の2シーズンを過ごし、通算1435試合に出場し136本塁打、打率2割6分1厘を残した。

 日本では199試合に出場し39本塁打、打率2割4分1厘。1976年は二塁手としてベストナイン&ダイヤモンドグラブ賞を受賞し巨人のリーグ優勝に貢献した。

 監督としては1984年、ドワイト・グッデン投手、ダリル・ストロベリー外野手を擁したメッツの監督に就任。1986年はワールドシリーズでレッドソックスと対戦し、2勝3敗から逆転優勝に導き、全米を熱狂させ、最終戦の全米視聴率は38・9%(昨年第5戦は9・0%)にも達した。その後もレッズ、オリオールズ、ドジャースナショナルズ、と計5チームで6度地区優勝し最優秀監督賞を2度受賞。通算成績は1372勝1071敗、勝率・562だった。

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