「54」で実に鮮烈なデビューを果たしたのが槙原寛己だ。

 愛知・大府から81年ドラフト1位で入団。

2年目の83年、4月16日の阪神戦(甲子園)で初登板先発すると、150キロの速球を武器に0―0のまま9回を投げきり延長戦に突入。自軍がようやく1点を奪うと、その裏もマウンドを譲らず1―0の完封勝利を飾ったのだ。この年、31試合に登板し3完封を含む12勝(9敗1セーブ)を挙げ新人王に輝く。「50」の駒田徳広、「55」の吉村禎章と若手がそろって活躍。「50番トリオ」と称賛された。

 槙原は5年間「54」をつけた後「17」に昇格。その後、高卒の本格派右腕が入団すると「槙原2世」の称号として「54」が授けられることもあった。柳川から86年のドラフト4位指名された樽見金典、近年でも18年のドラフト3位で松商学園から入った直江大輔が背負ったが、槙原ほどの活躍には至っていない。

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