初代の「90」は、ご存じ長嶋茂雄監督。首脳陣の番号が70、80番台だった74年に現役を引退し、すぐに監督に就任することになった同年オフ、「90」を背負った。

同年11月の会見で「息子の一茂が『3番、三塁、背番号3だったから全部足して9、それに0をつけた90がいい』と言うんです」と、この番号を選んだ経緯を語っている。

 第1次政権の6年間、指揮官がつけ、堀田徹が背負った後、黒沢修、竹下浩二がつけたが、2人には巨人では1軍の実績がない。主に打撃投手が仕事ではあったが、当時は明確に選手と裏方の番号に区別がなかった時代。選手が足りなくなった時に1軍登録も視野に入れた存在でもあった。

 有名なところでは西本聖。巨人を退団後、中日で4年間プレーし、93年にはオリックスに移籍。その年のオフに自由契約となったものの、同年から長嶋監督が巨人に復帰していた。

 西本は38歳になるシーズンだったが、巨人のテストを受け入団の運びとなった。師と仰ぐ長嶋監督の力になりたいという気持ちと共に「90」を背負うことになったが、1軍登板はかなわず、94年限りで引退となった。

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