サッカー日本代表の森保一監督らを育て、Jリーグ広島の総監督を務めた今西和男さんが16日未明、肺炎のため死去したとJ1広島が同日発表した。85歳だった。

 広島市出身の今西さんは1980年代、日本リーグ2部に降格したマツダ(現J1広島)の監督に就き、日本代表監督にもなるハンス・オフト氏をオランダからコーチに招いて1部復帰を果たすなど再建した。総監督として広島で94年Jリーグ第1ステージを制し、2003年に退任した。日本協会強化副委員長のほか、07年から12年まで岐阜の社長などを務めた。

 今西さんと森保監督との出会いは、森保監督が高校生の時。在学していた長崎日大の監督に頼まれ、当時マツダ(現広島)の監督だったハンス・オフト氏(元日本代表監督)を視察に行かせたという。今西さんは生前、「技術もスピードもフィジカルもない選手だったけど、運動量が豊富で視野が広いということで入団させました。高卒の森保には『自分にはサッカーしかない』という覚悟があった。だから真剣に、サッカーで生きていくための勉強をした。指導者としての彼の一番の良さは、人の話を聞けることでしょう。森保は選手に対して説明を惜しまず、チームの和を大切にする指導者です」と森保監督について語っていた。

 ◆今西 和男(いまにし・かずお)1941年1月12日、広島市生まれ。4歳時に広島市で被爆。

市舟入高から東京教育大(現筑波大)へ進み、63年にJ1広島の前身でもある東洋工業蹴球部に入る。69年に腰のけがで現役引退。DFとして活躍し、日本代表としても3試合出場。82年、マツダの総監督に就任し、ゼネラルマネジャー(GM)の草分けとなる。森保一や久保竜彦ら無名の選手を発掘。日本協会の技術部副委員長、岐阜の社長なども歴任した。吉備国際大の客員教授も務めた。

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