昭和時代のプロレス界で“過激な仕掛け人”とうたわれ昨年4月21日に亡くなった元新日本プロレス専務の新間寿さん(享年90)の一周忌法要が墓所がある新宿区の感通寺で営まれた。

 法要には、新間さんがプロデュースした初代タイガーマスクの佐山サトル、新間さんが新日本プロレスへスカウトした前田日明、ストロングスタイルプロレスのスーパー・タイガー、間下隼人、平井丈雅代表らが参列した。

 法要を終え、佐山は「すごく新間さんに会いたいです。来る前から会いたくて…」と声を震わせた。そして「昔、話した歴史の話とかすごく盛り上がった時が懐かしくて。よく面倒見てもらったなと思います」と思いをはせた。

 新間さんが「夢にも出てきます」と明かした佐山。自身の人生にとって新間さんの存在と影響を尋ねると「恩人ですね」と即答した。さらに「良き先輩でもあり、同じ日蓮宗で。お父さんがソビエトに抑留されて。ウチのオヤジもソビエトに抑留されて。すごく似ているんです」と打ち明け「心がありました」とかみしめた。

 今月23日はタイガーマスクが1981年に蔵前国技館でのダイナマイト・キッド戦で登場した記念日から45周年を迎える。28日には後楽園ホールで「45周年記念イベント」を開催するが、新間さんがいないことに「残念でしょうがない」と唇をかみ、これからの決意を「新間さんの遺志だけは継いでいこう、と思っています。

プロレスのスタイルを新間さんが辿ってきた道…その1ミリでも…全部は不可能ですから…1ミリでも多くのエッセンスを含んで継いでいければいいと思います」と決意を明かした。

 法要には前田も参列した。新日本プロレス時代は兄弟のように仲が良かった2人だったが、確執が生まれ距離を取っていた。しかし、昨年の新間さんの通夜・告別式で再会し交流をはぐくんでいる。前田と席を並んで新間さんへ合掌をささげ、佐山は「新間さん本人もうれしいんじゃないでしょうか」と明かしていた。

 新間さんは、1966年10月12日に蔵前国技館で旗揚げした「東京プロレス」に入社しプロレス界に入った。アントニオ猪木さんが72年3月6日に大田区体育館で旗揚げした「新日本プロレス」では同年秋に入社しマネジャー、営業本部長として猪木さんを支え、74年3月19日に蔵前国技館での猪木さんとストロング小林さんとの「日本人対決」。さらには76年6月26日に日本武道館で猪木さんとボクシング世界ヘビー級王者のムハマド・アリさんが戦った格闘技世界一決定戦などをプロデュースし新日本プロレスの黄金時代を支えた。

 また、世界のベルトを統一する「IWGP」構想を掲げ、83年5~6月に「IWGPリーグ戦」を開催し現在、新日本プロレスのタイトルとなっている「IWGP」の礎を築いた。さらに89年には、参院選出馬を表明した猪木さんが設立した政党「スポーツ平和党」幹事長に就任し同年7月の参院選当選をバックアップしたが、その後、確執が生まれ猪木さんとは決別していた。

 2019年には、世界最大の団体「WWE」のレガシー部門で殿堂入り。日本人のフロントで唯一の受賞となった。

晩年は、近年は初代タイガーマスクの佐山サトルが主宰する「ストロングスタイルプロレス」の会長として昭和の過激なプロレス復興を提唱していた。

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