昭和時代のプロレス界で“過激な仕掛け人”とうたわれ昨年4月21日に亡くなった元新日本プロレス専務取締役営業本部長の新間寿さん(享年90)の一周忌法要が墓所がある新宿区の感通寺で営まれた。

 法要には、新間さんがプロデュースした初代タイガーマスクの佐山サトル、新間さんが新日本プロレスへスカウトした前田日明、ストロングスタイルプロレスのスーパー・タイガー、間下隼人、平井丈雅代表らが参列した。

 前田は、法要を終え参列者代表としてあいさつした。新間さんが亡くなった日の朝に自宅へお見舞いに訪れた前田は、亡くなった今も「ふと電話がかかってきたり。どっかでバッタリ出くわして『大丈夫か?』って声をかけられるような思いです」と明かした。

 さらに「思い返してみれば、自分が18歳の時に新間さんがスカウトしていただいて、今の前田日明の生活がある思います。どんなに感謝しても感謝しきれないほどお世話になったと思います」と思いをはせた。

 そして新間さんの功績を「自分も団体経営を何回かしたことあるんですけど新間さんの不可能と思えるような交渉力、実行力。どの時代のどんな会社のどんな交渉をした人にも負けない。素晴らしい結果を生んでプロレス界を隆盛に導いたと思います」と絶賛していた。

 法要には佐山も参列した。新日本プロレス時代は兄弟のように仲が良かった2人だったが、確執が生まれ距離を取っていた。しかし、昨年の新間さんの通夜・告別式で長男の寿恒さんが導き再会し現在は、パーキンソン病とメニエール病と闘う佐山に病院を紹介するなど交流をはぐくんでいる。新間さんが2人の絆を戻したことに「今、昔通りの先輩後輩に戻ったなと思います」と感謝していた。

 新間さんは、1966年10月12日に蔵前国技館で旗揚げした「東京プロレス」に入社しプロレス界に入った。アントニオ猪木さんが72年3月6日に大田区体育館で旗揚げした「新日本プロレス」では同年秋に入社しマネジャー、営業本部長として猪木さんを支え、74年3月19日に蔵前国技館での猪木さんとストロング小林さんとの「日本人対決」。さらには76年6月26日に日本武道館で猪木さんとボクシング世界ヘビー級王者のムハマド・アリさんが戦った格闘技世界一決定戦などをプロデュースし新日本プロレスの黄金時代を支えた。

 また、世界のベルトを統一する「IWGP」構想を掲げ、83年5~6月に「IWGPリーグ戦」を開催し現在、新日本プロレスのタイトルとなっている「IWGP」の礎を築いた。さらに89年には、参院選出馬を表明した猪木さんが設立した政党「スポーツ平和党」幹事長に就任し同年7月の参院選当選をバックアップしたが、その後、確執が生まれ猪木さんとは決別していた。

 2019年には、世界最大の団体「WWE」のレガシー部門で殿堂入り。日本人のフロントで唯一の受賞となった。晩年は、近年は初代タイガーマスクの佐山サトルが主宰する「ストロングスタイルプロレス」の会長として昭和の過激なプロレス復興を提唱していた

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