南海(現ソフトバンク)で内野手として活躍し、近鉄で監督も務めた岡本伊三美(おかもと・いさみ)氏が死去していたことが分かった。95歳だった。

全国野球振興会(日本プロ野球OBクラブ)常務理事、日本少年野球連盟顧問を務めるなど広く野球界の発展に尽力した。

 岡本氏は、中学時代までバスケットボール選手だったが、京都第一工高(現京都工学院高)で野球を本格的に始め、1949年にテスト生として南海に入団。わずか3年のキャリアでプロ入りを果たした。52年に1軍に抜てきされて、二塁のレギュラーに定着した。53年には打率3割1分8厘で首位打者を獲得し、リーグ3連覇に大きく貢献。リーグMVPにも輝いた。蔭山和夫、飯田徳治、木塚忠助らとともに「100万ドルの内野陣」と呼ばれ、南海の黄金時代に欠かせない選手だった。

 63年に引退後は南海、サンケイ、阪神、近鉄でコーチを歴任。84年には近鉄の監督に就任した。大石大二郎や金村義明らを中心選手に育て、86年には西武と激しい優勝争いを演じるも2位。最下位に終わった翌87年限りで退任し、コーチだった仰木彬にバトンを渡した。その後は広い人脈を生かした球団フロントとして、主に編成部門で辣腕(らつわん)を振るい、99年に、ユニホーム組としては当時異例とも言える専務取締役球団代表となり近鉄を支えた。

 82歳だった2013年11月10日にプロ野球経験者(元プロ)が学生野球の指導者になるための学生野球資格回復研修制度の研修会を受講。「まだ元気で球界に恩返しがしたい」と意欲を語るなど、野球界のため精力的に活動していた。

 ◆岡本 伊三美(おかもと いさみ)1931年2月26日、大阪府生まれ。京都第一工高(現京都工学院高)から入団テストを経て49年南海入り。53年に首位打者とMVP獲得。通算成績は1289試合、打率2割5分7厘、125本塁打、513打点、182盗塁。84年から4年間近鉄監督で239勝242敗39分け。右投右打。現役時は173センチ、74キロ。元プロテニスプレーヤーの岡本久美子は次女。

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