連載:NEXT STAGE~トップアスリートのセカンドキャリア
小松原学インタビュー(前編)
群馬県邑楽郡邑楽町篠塚で「Pass鍼灸整骨院」を営む小松原学は、かつてベルマーレ平塚(現湘南ベルマーレ)などでプレーした元Jリーガーだ。
現役引退後に柔道整復師、鍼灸あん摩マッサージ指圧師などの国家資格を取得し、日本スポーツ協会公認のアスレティックトレーナーとしても活動している。
小松原といえば、平塚在籍時の1998年4月11日、セレッソ大阪戦で17歳9日でのJリーグ初出場を果たし、当時のJリーグ最年少出場記録を更新し、"早熟の天才"と称されたストライカーである。同年6月には、翌年のワールドユース(現U-20ワールドカップ)を見据えた79年組(いわゆる"黄金世代")が中心のU-19日本代表に飛び級で招集されるなど、その将来を嘱望されていた。
だが、たび重なるケガに苦しみ、Jリーグでのプレーは2002年のヴァンフォーレ甲府が最後。その後もJFLの群馬FCホリコシで現役を続けたが、2005年、24歳の若さでピッチを去ると、6年間の専門学校生活を経て、2012年に地元で鍼灸整骨院を開業している。「僕の小さい頃の夢は、サッカー選手か医者でした。医者になるには勉強がダメすぎて、サッカー選手を目指すことにしたのが、小学2年の時です。
小学6年で全国少年サッカー大会3位、中2で関東選抜、中3では飛び級でU-17日本代表入り。Jリーガーになれない人間を『バカなんじゃないか』と思うほど、プロになることを疑っていませんでした」
小松原は19歳だったプロ3年目の2000年、左足第5中足骨骨折の重傷を負ってしまう。適切な処置がなされないまま、無理を重ねてプレーを続けた結果、負傷をかばううちに体のバランスを崩し、2002年に甲府へ移籍した際には、両足を同時に手術する事態にまで悪化。思い描いていたキャリアからは、大きく遠ざかることになった。
「正直、サッカーをやめたときは、二度と関わらないと思っていました。でもいまは、選手を支える側として、自分にしかできない役割があると感じています。
【サッカー関係者との連絡を絶った】
2006年に前橋東洋医学専門学校(現中央スポーツ医療専門学校)に入学。卒業後は鍼灸・あん摩・マッサージに定評のある花田学園(本科)にも通った。手技施術には自信があったが、座学は苦手。それでも国家資格取得のために必死で食らいついた。
「花田学園は渋谷でしたが、群馬県邑楽からの通いでした。昼間は学校で、学費も稼がないといけないので深夜まで接骨院や温泉街のマッサージ屋などでバイトをかけ持ち。最初の3年で柔道整復師の資格だけ取って開業することも考えましたが、長い目でみたら鍼灸やあん摩の勉強もしたほうがいいかなって。渋谷まで通っていたときは毎朝5時半起きで、移動の車のなかで解剖学や生理学などの授業を録音した音声データをずっと聞いていました。当時はサッカー界から離れていましたし、サッカーをやってきた仲間とも一切連絡を絶っていました」
卒業後、すぐに開業にこぎつけたが、貯金もなく、専門学校を卒業したばかりの人間がどうやってお金を工面できたのか。「Pass鍼灸整骨院」には高周波治療器やエコー(超音波観察装置)のほか、トップアスリートが疲労回復やケガの治療促進のために利用する酸素カプセルも設置されているが、たとえばカプセルはひとつ約400万円と決して安くない。開業資金を集めるのも簡単ではなかったはずだ。
「専門学校を出たばかりの人間が銀行や信用金庫に『お金を貸してください』と言っても、最初は門前払いです(笑)。ただ、平塚で選手だった頃から一緒に食事したり、親切にしてくれていた知人が、金融関係の仕事で出世していて、相談したら信用金庫につないでくれました。
専門学校に入学した時もそうでしたが、たぶん『サッカー選手として頑張っていたけど、ケガで挫折した』という背景を含めて、口添えしてくれたんだと思います。その人は年齢的には僕よりだいぶ上ですが、十代の頃から変わらずよくしてくれている。だから僕はまもなく45歳になりますが、いまも平塚に行くと地元に戻ったような感覚で、当時の知り合いのところに顔を出すようにしています。やっぱり人とのつながりや恩は大事ですからね」
【多くのタレントをサポート】
鍼灸整骨院を開業後は、歌手・俳優の梅沢富美男さんや人気アーティスト、トップアイドルからもライブや講演の際に鍼灸・マッサージ師として帯同を依頼され、多くのサポートを行なってきたというが、ひとえに素直でオープンな小松原の人柄があってのことだろう。出張の際には、車に治療器や鍼などの道具一式を乗せて、車内でも治療できるように整備するなど、投資も惜しまなかった。
「最初のきっかけは、知人に梅沢富美男さんを紹介されたことでした。その後は、フットサルを一緒にやった縁で、当時ケツメイシのメンバーだった河野健太さんのツアーに帯同し、体のサポートを担当させてもらったり(河野さんは2025年にケツメイシを脱退)。ナオト・インティライミさんやDOZAN11(三木道三)さん、タレントの彦摩呂さんらの体のケアをさせてもらったこともあります。
タレントさんって、ひとりとつながると紹介が広がることが多いんです。誰を相手にしても、敬意は払いつつフラットに接する。変に下手に出ないところを気に入ってもらえたのかもしれません(笑)」
整骨院は2026年で開業15年目に入った。ただ、年間の3分の1ほどは出張サポートで不在となることもあり、最近は2014年に地元で立ち上げた小学生年代のサッカークラブ、ラファーガFCも軌道に乗ってきて、仕事の軸足を少しずつサッカーの現場に移しているとも話す。
「チームも結果を出せるようになり、いまラファーガには約50人の子どもがいます。それにラファーガとは別で、ここ数年は子どもたちを海外に連れていき、留学を含め大会に参加するなど、サッカーを通じた学びの場を提供するプロジェクトのほうも忙しくなってきました。これまで年2回ほどだった海外遠征も、去年は年8回も行きました。自分のクラブ(ラファーガ)を守りながらなので、ちょっと忙しすぎるんですけどね。
休みは年間10日くらい。クラブの人数が増えれば、バスがないと送迎できないのでバスを買ったり、アーティストのツアーに帯同させてもらうために車に積んで持ち運べる治療器も必要になったり、借金に借金を重ねてきたので、必死に働くしかないんです(笑)」
(つづく)
小松原学
1981年、群馬県生まれ。1999年、ベルマーレ平塚(現湘南ベルマーレ)ユースからトップチームに昇格し、4月11日のセレッソ大阪戦でJリーグ最年少出場記録(当時)を樹立。世代別の日本代表にも飛び級で選ばれるが、ケガのため出場機会には恵まれなかった。その後、ヴァンフォーレ甲府などでプレーし、2005年、現役を引退。引退後は柔道整復師、鍼灸あん摩マッサージ師の資格を取得。またザスパクサツ群馬(ザスパ群馬)ジュニア・ユース(館林)の監督として次世代の指導に携わる。

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