育成契約、支配下復帰、大腸がんとの闘い、そして18年ぶりのリーグ優勝──。決して順風満帆ではなかった16年間だからこそ、原口文仁氏は「阪神タイガースの変化」を肌で感じてきた。
【育成からはい上がった16年の軌跡】
── 新刊『道なき道を 大腸がんという宿命を使命に変えて』では、ご自身の幼少期やプロ入り直後の半生についても振り返られています。ユニフォームを脱いだ今、あらためて16年間の現役生活を振り返っていただけますか。
原口 プレーしている間は、1年1年が勝負ですごく長く感じていたんです。でも、こうして過ぎてみたら、「本当に16年もやったのかな」と思うくらい、あっという間でしたね。現役を終えてからのこの半年間は、さらにとてつもないスピードで時間が過ぎていっている感覚です。野球をやっていたときとはまったく異なる時間の過ぎ方だな、というのを今まさに体感しています。
── 本書巻末の成績を見ると、プロ16年に対して実働は10年となっています。育成契約の期間や闘病生活もありましたが、この数字をご自身ではどうとらえていますか。
原口 プロ野球選手としてもっと成績を残す、あるいは一軍での試合出場を増やすという点だけを考えたら、「若い年代からもっと試合に出なければいけなかったな」という思いはすごくあります。ただ、一軍のレベルに達するまでの成長スピードというのは、本当に人それぞれ違いますから。成長がもっと早ければなという気持ちもありつつ、僕の野球人生はこういう形だったんだと受け入れています。
── 一度育成を経験されてから支配下に復帰しました。そのなかで、特に印象に残っている場面やヒットはありますか。
原口 長く二軍生活や育成を経験しましたから、やはり甲子園のジャイアンツ戦で打ったプロ1本目のヒットはすごく印象に残っています。そして、現役最後のヒットもジャイアンツ戦でした。小さい頃に父親によく連れていってもらった思い出のある東京ドームで、「打てるならここだな」という強い気持ちがボールに乗り移ったような、ピッチャー強襲の泥臭いヒットでした。
最後は一塁にヘッドスライディングをしたのですが、プロ生活で一度も一塁へのヘッドスライディングはしたことがなかったんです。じつは、その2、3週間ほど前に二軍の試合で三塁にヘッドスライディングをしていて、その時に「あとは一塁だな」と頭をよぎっていたんです。そのタイミングであの打球だったので、いけると思って体が自然に動きました。最後の1本も自分らしい、泥臭くいいヒットで締めくくることができたと思います。
【金本監督がもたらした組織改革】
── タイガースは2005年以来、なかなか優勝に届かない苦しい時期もあり、原口さんも23年まで優勝を経験していませんでした。そのチームの浮き沈みのなかで、印象に残っていることはありますか。
原口 やはり、金本(知憲)さんが監督に就任して、チームが大きく変わり始めたなと感じました。
もちろん、最初はそんなに簡単にうまくはいかないので、チームとしても若い選手たちが苦しい期間をしっかり経験して、それが23年の優勝、そして去年の優勝へとつながっていった。球団としてすばらしい組織の動きが始まって、本当に常勝チームになりつつあるなと、やっていた側から強く感じていました。それまでの時代がどうこうという意味ではなく、組織としての大きな転換期はその時期だったと思います。
原口 たとえば選手の身体の管理、そしてトレーニングですね。金本さんご自身が現役時代にすさまじいトレーニングをされていたので、それをチームの仕組みとして取り入れました。それまでは技術練習がキャンプの中心だったのですが、技術練習の時間を削ってでも、まずは徹底的な身体づくりをやらせる。
アメリカのメジャーリーグではもともとこういうスタイルですが、それをチームとして取り入れ、選手の数値や体重をしっかり管理するようになりました。そして「日本人の生え抜きで常勝チームをつくれるように」というチーム方針が明確になり、ドラフト戦略も変わっていったんです。
── その改革があったからこそ、今の強いタイガースがあるのですね。
原口 その戦略のおかげで、今やドラフト1位の生え抜き野手たちが多くスタメンで大活躍しています。すばらしい組織の強くなり方を、すぐ近くで見られたことは、将来の僕にとってもものすごい財産になると思っています。なかなか勝てない苦しい時期もありましたが、そういう過程を見られて、さらにその選手たちが中心となって優勝できた。
野球人生で一度も優勝を経験できずにユニフォームを脱いでいく人もいるなかで、この伝統ある阪神タイガースで優勝できたことは本当に誇りです。先輩たちからも「タイガースで勝つことの難しさ」はずっと聞いていましたが、その難しさのなかで勝てたからこそ、ファンの方々もあれだけ盛り上がるし、熱くなる。本当にやりがいのある球団だなと、16年間やらせてもらって心から感じました。
── 大山悠輔選手がドラフト1位で指名された時、会場のファンからどよめきが起こったのは有名な話ですが、マスコミやファンが驚くような指名でも、きちんと戦略的なものだったということでしょうか。
原口 そうですよ。すでに悠輔は、タイガースの歴史のなかに名を残す偉大な選手です。今の主力メンバーはまだ若いですから、これから名球会に入るチャンスがある選手も何人もいます。もちろん将来的にメジャーに挑戦する可能性のある選手もいるかもしれませんが、ファンの方々はなかなか勝てない時期を一緒に乗り越えてきたからこそ、今は最高に楽しい時期だと思います。
OBとして心配があるとすれば、これからの世代交代ですね。
【「阪神タイガースで勝つ」という重圧】
── 先ほど「阪神タイガースとして勝つことの難しさ」というお話がありました。タイガースならではの難しさとはどういう部分にあるのでしょうか。
原口 僕は埼玉出身なので、関東にいた頃はジャイアンツのニュースばかりでした。でも、実際に関西で暮らし、球団内に入ってみると、タイガースに対する在阪メディアの熱量というのは本当にすさまじい。結果がよくないときは容赦なく批判されますし、よければ大絶賛される。そういった周囲の浮き沈みが、よくも悪くもダイレクトに選手へ伝わってくる環境なんです。
── メディアだけでなく、ファンの熱量もよくも悪くも直撃するわけですね。
原口 ええ。メディアやファンのすさまじい熱量のなかで、いかに周りの声、情報に惑わされることなく、自分たちの野球を貫いて勝つか。そこが本当に難しい。
さらに、甲子園球場というグラウンド自体の特性もあります。天然芝と土というデリケートなグラウンドの難しさがありますし、何より広くて浜風もあるのでなかなか長打が出ない。そのなかでどう勝っていくか。だからこそ、優勝したシーズンのように、ピッチャーの強さと守りを中心とした野球が確立できた時は本当に強いんです。東京ドームや神宮、横浜スタジアムはバッティングがメインの球場になり得るので戦い方がまったく違いますが、甲子園を本拠地にして勝つための野球を組織としてやりきる難しさは、僕自身も身に染みて感じていました。
── 今の主力選手たちは、そのすさまじい重圧や球場の難しさをものともせずに結果を出していますね。
原口 本当にすばらしいことだと思います。今の選手たちはあれだけの大きな期待に応えています。テル(佐藤輝明)を筆頭に、みんながタイトル争いに絡んでくる。甲子園という球場の難しさをものともせず、あれだけのホームランを打って打点を挙げ、ピッチャー陣も球団が自前でしっかり育てた生え抜きの選手たちがタイトル争いをしている。これは本当にすばらしいことです。
原口文仁 (はらぐち・ふみひと)/1992年3月3日生まれ。埼玉県出身。帝京高校3年の2009年、夏の甲子園大会出場。同年ドラフト6位で阪神タイガースに入団。ケガの影響で13年から育成契約となったが、16年4月に支配下登録に復帰すると、強打の捕手として活躍。5月には、育成契約を経験した野手では初の月間MVPを受賞。19年1月、大腸がんを公表。同年6月に一軍復帰し、代打サヨナラ安打を放つなど奇跡の復活を遂げると、7月のオールスターゲームでも2試合連続の本塁打を記録。不屈の精神で病を乗り越えた姿は、多くのファンに勇気を与えた。20年からは代打の切り札として勝負強さを発揮し、23年には38年ぶりのチーム日本一に貢献。25年シーズンをもって、16年間の現役生活に幕を下ろした。引退後は、野球界と社会への貢献を軸に、講演活動やメディア出演を行なっている










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