阪神時代、大腸がんを克服し、一軍復帰を果たした原口文仁氏が、新著『道なき道を 大腸がんという宿命を使命に変えて』(集英社)を刊行した。本を書くまで本人も知らなかった手術中の出来事、人工肛門の可能性と紙一重だった医師の決断、そして横田慎太郎さんとの約束──。
【命を救ってくれた医師の決断】
── ご自身の闘病、そして半生をつづった『道なき道を 大腸がんという宿命を使命に変えて』が発売されました。出版のきっかけは、やはり多くの人に闘病の現実を知ってもらいたいという思いでしょうか。
原口 もうそのとおりですね。自分の野球の実績ということではなくて、病気を経験してどう過ごし、どういう心境で復帰したのか。そして後遺症がありながらも、どうやって一軍の舞台に戻れたのか。プロ野球選手として復帰できた経験を伝えることで、同じ病気の方や、そのご家族にメッセージを届けたいという思いが強くありました。プラス、こうして健康に戻れた人間として、早期発見・早期治療の大切さを数多くの人に伝えていきたいという思いで書かせていただきました。
── 第1章では病気発覚から手術、治療までが克明に描かれています。手術中に肛門の近くにがんが見つかるなど、想定外の事態が起きていたことが、執刀医の証言によって明かされていますが、これらは全身麻酔で意識のない状態で行なわれていたわけですよね。
原口 まさしく僕も、この本を書くにあたって初めて知った事実でした。手術から7年経って、「そんなことがあったのか」と驚きましたし、この本を作らなければ一生知ることはなかったと思います。この本をきっかけに新しい事実を知って、当時よりもさらに周囲への感謝の念が増しました。
── 本のなかでは、執刀医の先生や奥さま、キャッチャーの大先輩である城島健司さん、チームメイトの梅野隆太郎捕手などの証言もあり、ご自身が関知していなかった視点も多く盛り込まれています。医師のパートでの新たな発見はありましたか。
原口 当初から人工肛門になる可能性は聞いていましたが、病院の先生方の具体的な判断基準までは知らなかったんです。肛門から何センチ以内なら人工肛門になるとか、自分がそれほどギリギリの位置に病気を持っていたことも知りませんでした。手術で開腹してみたら腸の外側までがんが見えていたということもまったく知らなくて。主治医の先生とは毎年、数カ月に1回のスパンで会っていましたが、そんな様子はいっさい見せられていなかったので驚きました。「あのとき大人しく安静にしていなかったら、本当に手術後に人工肛門になっていた可能性もあったんだな」と思うと、今さらながらドキドキします。
── 現役アスリートのプレーに支障が出ないよう、医師も一般の方とは違う厳しい判断を迫られたと思います。結果的に、一軍復帰を果たして現役を全うされましたが、この医師の判断を今どう振り返りますか。
原口 当時を思い出すと、僕にとって野球は生きがいであり、生活のすべてでした。「野球ができない」という選択肢は僕のなかに本当になくて、仮に人工肛門になったとしても野球をやりたいという思いでした。当時は無知だったからこそ言えた部分もあるけど、それくらい野球にすべてを注いで生きてきた。
【大病を経て変わった「野球への価値観」】
── 身内であるお母さまや奥さまの証言も掲載されています。当時も今も、身近だからこそ照れくさくて話せない深い部分もあったかと思います。
原口 自分では普段どおり、普通に接していたつもりだったけれど、周りは僕の態度を「変に明るすぎる」と感じて異変を察知していたようです。面と向かってはなかなか聞けない家族の本心が、本にすることで初めてはっきりとわかり、新しい気づきがありました。
── また、城島健司さんや、同年代のライバルでもある梅野隆太郎選手のコメントも印象的です。城島さんとの自主トレのエピソードやコメントについてはどんな思いがありますか。
原口 若い頃にお世話になり、いろいろ教わった大先輩が、僕のことをきちんと見ていてくれたこと、思っていてくれたことがうれしかったですね。本の中で具体的に書いていなかった自主トレ期間中の宴会での一発芸の正体は、じつはスパイダーマンのモノマネや、相川七瀬さんの曲に合わせて面白おかしくダンスすることでした(笑)。本当にハードな練習のなかで、オンとオフの切り替えを学ばせてもらった懐かしい思い出です。
ウメ(梅野隆太郎)に関しては、キャッチャーというひとつのポジションを争う勝負の世界にいたので、現役時代はそこまでベタベタした関係ではありませんでした。だからこそ、彼が当時の僕を見ていろいろなものを感じ、言葉にしてくれたのは本当にうれしかったです。
── シビアな闘病を経て、現役も引退されました。あの闘病期間は、現在の原口さんにとってどのような意味を持っていますか。病気の前と後での一番の大きな違いは?
原口 病気をする前は、自分がどう活躍して一軍に上がるか、結果を残すためだけに生活していました。でも病気を経験した後は、まず「生きていることの尊さやありがたさ」を実感し、人はひとりでは生きていけないのだと、周囲のサポートに深く感謝するようになりました。普通の生活を送れること自体が本当に幸せなことなんだと、価値観が大きく変わりました。復帰した年に、僕が円陣で言った「人生を幸せにするコツは小さな幸せを見つけること」という言葉も、この経験があったからこそ自然と出てきたものだと思います。
【横田慎太郎氏との約束】
── 本のなかで、同じ時期に闘病生活を送り、2023年に脳腫瘍のために惜しくも亡くなった横田慎太郎さんと「ふたりで一軍のお立ち台に立とう」と約束したエピソードは胸を打ちます。
原口 ヨコ(横田慎太郎)のことは、僕だけでなくチームのみんなが大好きで、全員でサポートしていました。お互いに病気をして復帰を目指すなかで、かつての鳴尾浜球場の小さなリハビリ室で一緒に横になりながら、それぞれのトレーニングに励んでいました。彼の懸命な姿をすぐ近くで見ていたからこそ、「ふたりでお立ち台に立とう、頑張ろう」と声をかけ合いました。それが僕にとって大きな心の支えであり、原動力になっていました。
── 2023年9月14日のリーグ優勝の際、岩崎優投手が横田さんの登場曲をかけてマウンドに上がりました。本書には「ヨコとの約束が頭をよぎった」とありました。
原口 ヨコも一度は病気を克服し、引退してからも講演活動などの社会貢献活動を本当に大切に頑張っていました。だからこそ、ザキ(岩崎優)があの曲をかけた瞬間に「絶対に勝てる」と思いました。ヨコが亡くなった年にチームが優勝したことには、何か不思議なパワーのようなものを感じずにはいられませんでした。
── 本のサブタイトルには「大腸がんという宿命を使命に変えて」とあります。病気になったことは宿命であり、それを伝えることがご自身の使命だととらえているのでしょうか。
原口 なってしまった病気は避けて通れなかった道であり、自分の運命、宿命として受け入れています。そして、プロ野球選手として一軍の舞台に復帰し、元気に頑張る姿を見せることこそが僕の「使命」だと強く思っていました。一軍で活躍してこそ多くのメディアに取り上げていただき、全国の患者さんやご家族に届くからです。「活躍できないかも」という恐怖は頭になく、ただ早く一軍に戻ることだけを考えて日々のリハビリを積み重ねました。復帰後は恐怖心もなく、思いきりヘッドスライディングもできました。
── ユニフォームを脱いだ今、あらためてこの本をどのような人に届けたいですか。また、今後のビジョンを教えてください。
原口 病気と闘っている方はもちろん、何かの困難に立ち向かっている方、そして健康に生活している方にも広く手に取っていただきたいです。元気なうちから自分の身体と向き合い、健康に気遣って検査に行く。その結果、何もなければまた楽しい人生を送ればいい。症状を先延ばしにして取り返しがつかなくなることがないように、早期発見・早期治療の大切さを発信し続けることが、タイガースという球団に影響力をいただいた僕のこれからの使命です。今後はいったん球団を離れたからこそ見える広い視野で、野球や社会の勉強をたくさんしていきたいです。少年野球の指導も含め、自分が培ってきたものを野球界や社会へ恩返しする準備を、これからも一歩一歩進めていきます。
つづく>>
原口文仁 (はらぐち・ふみひと)/1992年3月3日生まれ。埼玉県出身。帝京高校3年の2009年、夏の甲子園大会出場。同年ドラフト6位で阪神タイガースに入団。










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