マシンガンのように話し続ける独自のスタイルで、プロレス実況者時代には“過激実況”とも称された古舘伊知郎。しかし、家庭では「無口な子」として育ち、しゃべりの才能に気づいたのは高校時代のことだったという。
根が暗いからしゃべり続ける
──幼い頃、ご家庭では現在のようにおしゃべりをしなかったと伺いました。
古舘伊知郎(以下同) 無口な少年でした。両親と姉が非常にしゃべる人たちで、ずっと「伊知郎は無口な子」だと言われて育ってきたんです。そのキャラクターを押し付けられてきたとも言えるし、僕自身、そう信じてきました。
──どこでしゃべりの才能が開花したのでしょうか。
潜在的には、「僕もしゃべれる、しゃべりたい」という欲があったと思います。家庭内で無口なキャラクターを押し付けられたことに対する反発もあったでしょう。
転機は、高校生のときです。クラスでプロレスの真似事が流行していたんです。同級生同士でプロレスラー役を決めて取っ組み合って、ギャラリーもいて盛り上がるような、ちょっとした休み時間のイベントでした。
僕は、実況中継のアナウンサー役をやることになったんです。
それまで、家庭の中では“無口な伊知郎”だったけれど、本当は「うまくしゃべりたい」「アピールしたい」という気持ちを培養していたのだと思います。
──本書は「煩悩」がテーマですが、古舘さんは「人生を楽しもうとする欲」が圧倒的だと感じました。
軽妙洒脱に「人生を楽しもう」という域にはまだ達することができていないと感じるんです。どちらかといえば、「人生を楽しまなければならない」と脅迫的に思っているというか。
僕がしゃべり続けるのも、極論、根が暗いからなんですよ。黙って暗くしていると、無口な少年時代に戻されてしまいそうな気がするから。
だから、人といるときはなるべく自分が楽しんで、周りの人も楽しませようとするのだと思います。ひとりで黙っていると、「人間は生まれ落ちたその瞬間から死に向かっているなぁ」とか考えてしまいますから。
──根暗なのに、周囲を楽しませたい……?
僕なんかがおこがましいけれど、“本物のエセ釈迦”でいたいと思っているんです。
姉の死で仏教に目覚め…
──古舘さんの死生観が変わったのは、早くに亡くされたお姉様の影響が大きいですか。
大きいです。姉は僕が36歳のときに、がんで亡くなりました。もちろん僕自身の落胆もすごかったけれど、両親のそれを目の当たりにしたとき、「俺は今まで何をしていたんだろう」と心の乳離れをせざるを得なかったんです。
姉の葬儀の日、斎場から焼き場まで行く途中で、両親は「あとは長男の伊知郎に任せたから」と途中にもかかわらず帰っていきました。
2人で背中を寄せ合ってとぼとぼと坂を登っていき、姿が小さくなっていくのを見て、最初に産んだ我が子の死という悲しみの途方もなさがわかったんですよね。
──古舘さんにとって、死はどのようなものですか。
姉のあと、父が死に、母が死に……と身内の死を僕は経験します。自分が死んだとき、つまり一人称の死はきっと意識することができないから、他者という二人称の死こそリアルでぐっときますよね。
僕は姉の死以降、仏教に惹かれていくのですが、それでもまだ死はとても怖い。よく幼い頃、寝るときに天井のシミが何か怖いものに見えて、布団のなかで死について考えたりしたじゃないですか。いまだに、その感覚を引きずっています。
解脱はできなくても、死の恐怖とは共存できる
──死がある意味で原動力になることもありますよね。たとえば、「死にたくないから頑張る」というような。
そうですね。われわれはどうしても「死んだら終わりだ」と考えてしまうから、資本主義の奴隷になって、金を儲けなきゃ、生産性を上げなきゃ、今度の書籍も売上を作らなきゃ(笑)……となってしまうのだと思います。僕も視聴率の世界で生きてきましたから、痛切に思うわけです。
けれども、競争社会からいい意味で離脱する生き方も確かにあるわけです。それが解脱というものですが、僕はいまだに死を怖がっている。なかなか解脱はできない。ただ、死を怖がっていることは自覚して、死の恐怖と同居できるようにはなりましたね。
──そういえば、書籍に寄せられる人生相談でも、悩みを解消するのではなく、悩みとともに生きていくことの大事さを伝える回答がありましたね。
まさにそこに繋がると思います。闘悩(とうのう)することは必ずしも最善ではなくて、むしろ自我を小さくすることで悩みと共存していくほうがいいと僕は思っています。「悩んでいるけどしょうがないじゃない」と、自分を突き放すことも必要ですよね。
本当は「悩みが全部解決します」と言い切ったほうが、書籍としては売れるのかもしれないけど。この本は劇薬ではない。だから、爆発的には売れないでしょうね(笑)。
──最後に、死に方は選べないとしても、古舘さんが「こう死にたい」と思う理想があったら教えてください。
おっしゃる通り、死に方を選ぶことはできません。こう死にたいということさえ、ひとつの欲ですよね。しかし理想をあえて申し上げることはできると思います。
昔の高僧がいつものように山寺を出て、ゆっくり山道を歩いて、ちょっと疲れたのか樹木の小枝に手をついて歩くように死んでいた――というのは憧れがありますよね。歩きながら死んでいた、あるいは死にながら歩いていた、というように生死の境を隔てない死に方です。
ただ、人間は身体の細胞から何から変わっていくものですから、同じ人間でも昨日と今日の自分は違います。だから僕は、死ぬときのことは死ぬときの自分に任せようとは思っています。
トークライブなどでは、かっこよく「ステージの上で死にたい!」などと宣っていますが(笑)、本心としてはそういったところでしょうか。
#1はこちら
取材・文/黒島暁生 撮影/濱田紘輔
寝ても覚めても煩悩 人生のモヤモヤ、いっしょに悩みます
古舘伊知郎

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