「花子とアン」第8週「想像のツバサ?」(5月18〜23日)では、はな(吉高由里子)が女学校を卒業して、故郷甲府の母校で教師になりました。

生徒の中には、昔のはなと同じに「想像の翼」を広げている少女もいます。
その想像の翼が、生徒達の間で波紋を呼び、事件に発展。結果、はなと朝市(窪田正孝)の関係が、相合い傘でからかわれることになりました(火曜44回)。
とはいえ、残念ながら、ふたりの仲は進展しそうにありません。
5月24日放送の「スタジオパーク IN 山梨」でも、吉高由里子と窪田正孝が、ふたりは「友達以上恋人未満」と発言していました。朝市は薄々気づいているのです。はなが、甲府の狭い世界で人生を満足しそうにないことを。
好きな人と住む世界が違っていく感じって、切ないですね。

やがて、はなは「みみずの女王」という童話を書き、児童向け文芸誌で入賞します(金曜47回)。ところが、せっかくペンネーム「安東花子」にしたにも関わらず、なぜか、「安東はな」に直っていて、落胆。腹心の友・蓮子(仲間由紀恵)が提案してくれたペンネームを使ったというのは、遠く離れた蓮子に気づいてほしかったのかもしれません。はな、結局、蓮子が大好きなんですねえ。

名前の間違いについて、はなは、印刷屋の村岡(鈴木亮平)が勝手に直したと思って憤慨します。
実は直したのは、洋装の職業婦人になった醍醐(高梨臨)で、修和女学校の先生や生徒たちに気づいてほしいという思いからだったのでした(土曜48回)。いや、でも、女学校の人たちは、さんざん、はなが「花子と呼んでくりょう」と言うのを聞かされていて、呼ばなくても、認識はしていたでしょう。にも関わらず、醍醐さんも含めて、認識すらされてなかったってことですか。残念過ぎます。
結局、目下、はなを花子と認めてくれているのは、蓮子しかいないってことなのです。でも、待って。
そんな蓮子も「はなちゃん」と呼んでいるのです。なんでだ・・・。
自分の夢を、たくさんの人に広げることは、なかなか難しいことですね。はな、くじけず、突き進め。

さて、「はなちゃん」と呼び続ける蓮子さま。ちゃんとはなの小説を見つけて、受賞を喜んでいました。

そんな蓮子を、本を読んでいる時が一番楽しそう、と指摘する夫の伝助(吉田鋼太郎)。石炭王としてのし上がった伝助は、ビジネスの才能はあるものの、文字が読めません。インテリジェンスのない男は、蓮子としては物足りないでしょう。それでも、伝助が学校をもっているというので、ゆくゆく自分が経営に関わることを期待していたのですが、その期待も無惨に打ち砕かれてしまいます(金曜47回)。
しかも、伝助には連れ子(冬子)までいました。ショックだらけの蓮子さま。
仕方なく、連れ子に教育をしようとします。食事のマナーと英語と、慣れないことを同時に覚えさせようなんて、ちょっとスパルタな感じです。
蓮子さまはこうしてストレスがたまっていくばかり。彼女のモデルになっている実在の人物・柳原白蓮(本名・あき子 あき=火に華)は、ストレスの後に、ほかに好きな人ができて、駆け落ちするという「白蓮事件」を起こします。蓮子さまはどうなるのでしょうか。

気になるので、「白蓮事件」をチェックしてみます。
これについてはたくさんの書物が出ていることは、千野帽子のレビューに詳しいです。中でも読みやすいのは、『花子とアン』の脚本家・中園ミホと大学時代、同期で、親交も深い林真理子の書いた『白蓮れんれん』です。
ほかに、白蓮をモデルにして、菊池寛が書いたと言われる『真珠夫人』は、事実から大きく想像の翼を広げていて、展開が華麗でダイナミックで楽しめます。
主人公・瑠璃子が、お金のために、恋人と泣く泣く別れ、成金の男に嫁ぎます。彼女は、恋人に操を立て、夫にカラダを許すことを決してしないという抵抗を試みます。夫が死んだあとも、言い寄ってくる男たちを手玉にとっていくという、男たちへの復讐のお話は、今から12年前の02年、東海テレビ制作の昼ドラマになりました。主人公・瑠璃子の恋人の妻が、まだ続いている主人公との関係に嫉妬し、夫に、たわしコロッケを食べさせるアイデアは、ドラマ史上に残る傑作です。ただ、これは、原作小説とは違う、脚本家・中島丈博のオリジナル描写です。
こうして、ひとりの人物、ひとつの出来事が、想像の翼によって、違う世界に枝分かれしていくのですね。「花子とアン」も、翻訳家の村岡花子の自伝を元にしたオリジナルストーリーで、名前も若干違いますし、自伝と違うエピソードも多いです。例えば、花子の童話が受賞したエピソードは、村岡花子の自伝『アンのゆりかご』にある、『少女画報』に寄稿していたことから膨らませたものと思われます。そのとき、売れっ子だったのが、のちに『徳川の夫人たち』を書く吉屋信子。彼女は、はなと同時受賞した宇田川満代のモデルでしょうか。奇しくも、吉屋のデビュー作は『花物語』なのでございます。

このように、話は、作品ごとに違いがありますが、通底しているのは、女性が、男性によって人生を規定されることなく、自分自身で人生を選び取るということです。
明治の時代は、自分の意志とは無関係に、お金のために、出稼ぎに行かされたり、嫁がされたり、パルピテーション(ときめき)を感じることが許されない時代でした。男が、妻だけでなく、他の女性とも関係をもっても何も耐えなくてはならない。そんな状況に疑問をもって、柳原白蓮も、真珠夫人の瑠璃子も、果敢に闘いを挑むのです。「白蓮れんれん」の最終章、長い長い闘いを経て来たあき子の台詞は力強く響きますよ。
「花子とアン」の蓮子は、愛する腹心の友から引き離されて、九州に嫁ぎ、鬱々とした日々を過ごしています。はなは、8週では、学校で英語を教えることを禁じられたとしょげていました(土曜48回)。9週では、お見合いの話があるようです。いろいろ、閉ざされがちな道を、どんなふうに突破するか、楽しみですね。(木俣冬)