「まったく。人前に出るとなんにも言えなくなっちゃうんだから」。
「気にしすぎなのよ」と母はいつも慰めてくれたが、本当は母の方がずっと気にしていたと思う。小さな僕を「こどもアナウンス教室」に通わせたのだから。しかし、教室のレッスンも効果はなかった。
人前で話せないのは心の問題で、やはり僕自身が克服しなくてはいけないのだ。それはわかっていたが、僕はずっと放置してきた。そして、解決すべき問題から逃げている情けない自分から目をそらすために、ますます現実を避ける。この繰り返しだった。
そんな自分が劇的に変わったのは、高校のあるイベントがきっかけだ。日本のアニメが好きで、僕は中学生の時から日本語を勉強している。
そんなある日、高校の先生がスピーチコンクールに誘ってくれた。「ム、ムリです、僕なんか絶対ムリです!」と抵抗したが、先生は「出るかどうかは後回し、とりあえず一緒に頑張ろう!」と言ってくれた。こうして、全く人前で話せない僕が、どういう巡りあわせかスピーチコンテストに申し込んでしまったのである。
なによりやらなくてはいけないのは、恐怖心を克服することだ。そのため、毎日毎日鏡の中の自分をみつめて練習をした。自分だけを見て、何も考えなければうまくいくのではないかと思ったからだ。このように練習を続けて、ついにコンクールの当日を迎えた。
「それでは、23番の選手どうぞ」。突然、僕の脚は重たくなった。なんとか舞台の中央まで行ったが、声が出ない。
その瞬間「緊張するのは当たり前だよ。大切なのはどんなに険しい山でも自分の脚で越えること。諦めちゃダメ」と、心の中で先生の声が聞こえた。僕はしばらく目を閉じて深呼吸をすると、ようやく最初の一言を発した。「みなさん、今日は少し変わった孫悟空の話をさせてください」。
この一言は、小さな石を投げ込んでできた水面のさざ波のように人々に伝播し、会場は静けさを取り戻した。僕の中でもなにか熱い火の玉が生まれたみたいだった。興味深そうに僕を見つめる聴衆の視線を感じても、もう怖くはなかった。僕のスピーチは、孫悟空のように「觔斗雲に乗ってスイスイと」というわけにはいかなかったが、なんとか話し終えることができた。驚いたことに、スピーチが終わったとたん嵐のような拍手が聞こえた。
この瞬間、僕のほうが感動してその場でウルウルしてしまった。この日のことを思い出すと、いまでも目の奥が熱くなる。今回のスピーチは誰かのためではなく、僕が僕のためにやったものだ。僕は日本語という如意棒を使い、今までできなかったことに挑戦し、そして自分の脚で山を超えたのだ。これが華やかな成功と呼べるものかどうかはわからないが、僕の心の暗闇に勇気という光が射し込んだのは間違いない。
「では、次回は日本語でディベートをやりますよ」という先生の声が、大学の教室に響く。さあ、僕の新たな挑戦が始まる。
■原題:日本語という如意棒――臆病な僕の挑戦
■執筆者:姚尚辰(北京理工大学)
※本文は、第21回中国人の日本語作文コンクール受賞作品集「『推し活』で生まれた新しい日中交流」(段躍中編、日本僑報社、2025年)より転載・編集したものです。文中の表現は基本的に原文のまま記載しています。なお、作文は日本僑報社の許可を得て掲載しています。











