唐代の人々は、いったいどのように離婚していたのだろうか。その答えを知る手掛かりの一つが、海外に残る「放妻書」だ。
20世紀初頭、英国の探検家・考古学者のオーレル・スタインは、敦煌・莫高窟の蔵経洞から大量の古い文書や文化財を国外へ持ち出した。その中には、当時の人々の暮らしや女性の生活を知る上で貴重な資料も数多く含まれている。
現在、英国の大英図書館には、唐代の「放妻書」が12点所蔵されている。これらの文書には、夫婦が別れる理由や、離婚が双方の意思によるものなのか、離婚後にどのような生活を送るのかといった内容が記されており、現代の離婚に関する文書を思わせる部分もある。中でも特に有名なのが、唐代の男性、趙宗敏が記したとされる「放妻書」だ。全文はわずか386字。しかし、その内容は意外なほど穏やかだ。
「妻を捨てる」「妻を追い出す」といった、明らかに女性を一方的に傷つけるような表現は見られない。それどころか、文中では「願う」という言葉が何度も使われ、別れた妻のその後の人生を気遣う言葉が並んでいる。現代の日本語で分かりやすく表現すると、おおむね次のような内容だ。
「夫婦として結ばれたのも、前世からの縁があったからこそ。
さらに趙宗敏は、別れた妻のその後の生活にも気を配り、こう願っている。
「これからも、あなたに3年分の衣食を贈ろう。これを最後の別れの贈り物としたい」「これから先、長生きし、富と幸せに恵まれ、健やかに暮らせることを願っている」
そして、最後には「後日の証しとするため、この文書を自ら記した」としている。
1300年以上前の離婚文書だと考えると、その内容には驚かされる。夫婦の口論も、相手への非難も、ましてや侮辱もない。そこにあるのは、むしろ「これまでありがとう。そして、これからは幸せに暮らしてほしい」という、別れ際の静かな気遣いだ。
ただし、ここから「唐代の女性は現代と同じように自由に離婚できた」と考えるのは正確ではない。当時は、あくまで男性優位の社会だった。伝統的な婚姻制度の下では、夫の方が婚姻関係において大きな権限を持っていた。一般的には、夫から婚姻関係の解消を申し出ることができ、妻が離婚を望む場合にも、夫の意思や同意が大きく関係したと考えられている。
つまり、「放妻書」に見られる穏やかな言葉遣いが、そのまま夫婦の完全な平等を意味するわけではない。むしろ、そこには興味深い歴史的なコントラストが浮かび上がる。男性が優位に立っていた社会の中で、それでも婚姻関係を終える際には、かつての妻に対して「これから幸せになってほしい」と願い、生活のための衣食まで用意し、できるだけ穏やかな言葉で別れを告げる男性もいたのだ。
1枚の古文書は、単に「昔の離婚」を記録しているだけではない。そこには、1300年以上前を生きた人々の結婚観、男女関係、別れに対する考え方、そして相手を思いやる感情が刻まれている。
現代では、離婚や恋人との別れが、時に激しい対立や憎しみを伴うこともある。だからこそ、1300年以上前に書かれた「一別両寛」という言葉が、現代の私たちの心にも意外なほど響くのかもしれない。











