唐の時代、一人の公主(皇族の女性)が大切にしていた白磁のつぼがある。華やかな模様はなく、丸みを帯びた端正な姿が特徴だ。

一見するとシンプルな日用品だが、このつぼには公主の人生と職人たちの技術が刻まれている。

持ち主は、唐の弘化公主(623年~698年4月18日)。18歳の時、吐谷渾王の諾曷鉢(だくかつはつ)に嫁いだ。これは単なる王族同士の結婚ではなく、唐と周辺の民族・政権との友好関係を築く重要な役割も担っていた。

この白磁のつぼは、現在の河南省鞏義市に当たる鞏県で作られ、長安へ運ばれた後、弘化公主と共に各地を移動したとされる。長い年月の中で、つぼには次第にひびが入った。

普通の生活用品なら、壊れれば捨ててしまっても不思議ではない。しかし、弘化公主はこのつぼを捨てなかった。そこには、故郷や家族、そして長い人生の記憶が詰まっていたからだろう。そこで職人たちは、壊れたつぼを修復することになった。

使われたのは、古くから中国で行われてきた「鋦瓷」と呼ばれる修復技術だ。職人はひびの両側に小さな穴を開け、そこに金属製の小さな「鋦釘」を取り付け、割れた部分をしっかり固定した。

現代の接着剤のように接着するのではなく、金属の留め具で器をつなぎ合わせる方法だ。鋦釘は通常、器の外側に取り付けられるため、修復後も使い続けることができた。

つぼの表面に残る無数の小さな鋦釘は、単なる「修理の跡」ではない。それは、弘化公主が大切にしていた思い出と、当時の職人たちの丁寧な仕事を今に伝える痕跡でもある。

中国では、壊れたものを修理して使い続ける文化は古くから存在した。新石器時代の馬家窯文化(紀元前3100~同2700年)の彩陶からも、破損した器を修復するために開けられたとみられる穴が確認されている。当時の人々は、壊れた部分に穴を開け、ひもなどを使って器を固定していたと考えられている。その後、唐代には鋦瓷が伝統的な修復技術の一つとなり、宋代になるとさらに技術が発展した。

弘化公主は76歳で病のため霊州(現在の寧夏回族自治区・同心県付近)で亡くなり、現在の甘粛省武威市に当たる涼州に葬られた。

そして、この「つぎはぎだらけ」の白磁のつぼは、長い年月を経て地下から発見され、甘粛博物館に収蔵されている。ひび割れも、そこに並ぶ小さな鋦釘も、今もはっきりと残っている。完璧な姿ではないからこそ、このつぼには特別な価値がある。

唐の公主が愛用した白磁のつぼ、割れても捨てなかった理由とは?「つぎはぎ」が伝える1000年以上前の物語
白磁のつぼ

一つ一つの「つぎはぎ」は、壊れた器を直した跡であると同時に、1000年以上前を生きた公主の人生と、物を大切にした人々の思いを伝える「記憶の跡」なのかもしれない。(翻訳・編集/RR)

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