globeや華原朋美、SPEEDといった打ち込みサウンド&ハイトーンボイスが全盛だった時代に、アナログ重視のサウンド&ニュートラルな歌声のPUFFYは新鮮な存在だった。
Tシャツ&ジーパンのラフなスタイルに、力みのないパフォーマンス。
徹底した「ゆるさ」で「脱力系」と呼ばれてもその実力は本物。それは、デビューからシングル4作連続ミリオンセラーの記録が証明済みである。

この4作品をあらためて振り返ると、プロデューサー奥田民生や作詞を手掛けた井上陽水の「遊び心」がふんだんに散りばめられているのが面白い。

タモリが大きく関わっている? PUFFYのデビュー曲


1996年5月のデビュー曲『アジアの純真』は作詞井上陽水、作曲は奥田民生という豪華タッグで生まれた。キリンビバレッジ『天然育ち』のCMタイアップ曲であり、ニュージーランドロケをしたPUFFYの2人も出演。妙に耳に残るこのCM効果でPUFFYは一躍お茶の間の人気者となる。
実はこの曲、井上陽水がタモリの『熊猫深山』という歌の影響を受けて作った曲。
陽水はタイトルもそのまま『熊猫深山』を希望したが、スタッフの説得に折れて幻に終わったそうだ。

歌いだしで「北京」に続くのが「ベルリン ダブリン リベリア」の時点でいきなり「アジア」を無視。順に言うとドイツの首都、アイルランドの首都、アフリカの国である。確かに、タモリの得意とする「デタラメな言葉遊び」を感じる次第。
しかし、すべてがデタラメかと思いきや、当時普及し始めたインターネットが裏テーマとの説もある。
『マウスだってキーになって』『アクセスラブ』などのフレーズや、地名、食べ物、楽器など、ジャンルを超えた単語の羅列がネットサーフィンを思わせないこともないが、果たして……?

『これが私の生きる道』に隠されたスポンサー名


1996年10月発売の2nd『これが私の生きる道』は、資生堂『ティセラJUICY』のCMタイアップ曲。
タイトルの元ネタはクレージーキャッツの『これが男の生きる道』なのが渋い。
漢字だけを読むと「私生道(しせいどー)」になる仕掛けは、スポンサーも大満足だったに違いない。
2曲目にして初のオリコン1位を獲得。PUFFYのイメージを決定付け、また最大の売上となった記念碑的作品だ。

吉村由美の実体験が込められた歌詞?


1997年3月発売の3rd『サーキットの娘』は、ヤマハ発動機のバイク『Vino』のCMタイアップ曲。タイトルの元ネタは池沢さとしの大ヒットレースマンガ『サーキットの狼』。「狼」と「娘」の漢字が似ているからと、タイトル先行で出来たそうだ。
前年に自転車で転んで左足を骨折した由美をネタにした「ころんで骨折ったりしないように」なんて歌詞もあるが、バイクのCM的には大丈夫だったのだろうか?

前作と合わせると楽しめる PUFFYのユニーク仕掛け


1997年4月発売の4th『渚にまつわるエトセトラ』は、デビュー曲と同じくキリン『天然育ち』のCMタイアップ曲であり、同じく陽水&民生コンビによるもの。
「カニ食べ行こう」がサビになるなんて、陽水にしか許されない気がする。唐突に出てくるハリソン・フォードも意味不明である。
前作『サーキットの娘』と、このシングルの2枚を横に並べると1枚の絵になる仕掛けもあった。2nd以降のジャケットを飾るこの印象的なイラストは、ロドニー・グリーンブラットのもの。リズムゲーム『パラッパラッパー』のキャラクターデザインと言えば、思い出す方も多いはずだ。

デビュー当時は「長く続くわけがない」なんてレッテルを貼られながらも、なんやかんやで今年で結成20周年。
この長い歴史の中では、PUFFYを主役にしたアニメが全米放送されるという、とんでもない偉業も成し遂げている。
いつだって、さらっと凄いことをやってのけてしまうPUFFYの2人。結果はともかく、T.M.Revolutionの西川貴教やGLAYのTERUをゲットしてしまうのも納得だ。
(バーグマン田形)