この記事は、毒にも薬にもなりません。
はじめに、この記事は『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序』公開以降、「完結していない物語」として我々の傍に常に存在していたTV版、旧劇場版を含めたエヴァンゲリオンという物語が、ついに完結し思い出となった今。エヴァファン一人一人にエヴァとの出会い、エヴァと向き合った時間があり、それぞれの人生と共にあったエヴァが完結した今。エヴァと共にあった時間を振り返ってみませんか?的な記事です。
時に、西暦1995年
1995年秋、水曜夕方18:30。小6の私は実家のテレビの前で衝撃を受けていた。ブラウン管には、何やらカッチョいい音楽と共に、謎の文字と、様々なキャラクターと、メカっぽい何かが、次々と映し出され、紫色の巨大ロボットの足元に血が滴っていた。「何だコレは!? エヴァン…?? よくわからん! 何だこのヴァってのは?? でも、何だかわからないけど、何かすごい! 何かすごくかっこいいぞ!」
第1話ではない。すでにアスカが登場していたし、零号機も黄色ではなく青だったので、おそらく第8話『マグマダイバー』以降だったと思われる。
話はそれるが、私の実家は九州の佐賀県鹿島市である。佐賀県は毎年認知度・魅力度ランキングともに最下位周辺をウロウロしているため、最下位よりイジってもらえないという不遇のポジションにいるが、視聴可能なアニメ本数が九州一多いアニメ過剰県である。
総面積の3分の1を占める佐賀平野のおかげか、フジテレビ系のサガテレビはもちろん、福岡、熊本、長崎からも電波が拾えるため、田舎であっても大手民放は全て視聴可能で、夕方4時、5時にはどの局もアニメの再放送を流しまくるアニメ天国であった。しかし、夕方6時から7時の間はどの局もいっせいにニュースに切り替わり、子供には退屈でしょうがなかった。
Eテレの天才てれびくんもいいが、アニメが観たい。
しかし、観たい。アニメが観たい。観れる方法があるはずだ。私はテレビの取説をひっぱり出し、チャンネル設定方法を読み、テレビの後ろのツマミをクルクルと回し、新聞に書かれていたTVQの周波数と合わせた。
他の局とは違い、チリチリとした砂嵐混じりの粗い映像しか受信できなかったが、それはたしかにアニメだった。そんなザラザラの映像がエヴァと私の出会いだった。全放送回の前半分を見逃しているにもかかわらず、とにかく紫・黒・緑という主人公機とは思えないカラーリング、ロボットかと思ったら中身は人造人間、張り巡らされた謎、赤目で白い髪の美少女、その他使徒や基地のディティール。
そして、第18話『命の選択を』、第19話『男の戦い』。これでもう完全に持っていかれた。しかし、だんだん様子がおかしくなっていった。第25話と最終話。小6には事態の把握が難しすぎた。今のようにネットで検索もできない時代である。アニメ雑誌を買って情報を得るのは小遣い的にもハードルが高く、ただただ混乱していた。
14歳の夏に観た旧劇場版
TV版が終わり、何だかよくわからないまま中学生になった私は、小遣いの範囲内でエヴァ関連の書籍、主に設定集を読み漁った。前半を見逃している私にとって、フィルムブックが唯一の情報源だった。サントラも買った。エンディング曲の「Fly me to the moon」のバージョン違いが延々と繰り返され、親にもう止めてくれと言われた。そして、1997年。
ファミマにいたそっくりさん
旧劇以降、私にとってのエヴァは、面白かったけどようわからんものとして小中学時代の思い出となった。エヴァの次に庵野監督が監督した『彼氏彼女の事情』にもどっぷりハマり、子供の頃観ていて断片的な記憶しかなかった『ふしぎの海のナディア』をBSの再放送で見直した。大学進学で上京し、県民寮に入った私は、ある日の帰宅途中。商店街のファミマの前を過りかかり、衝撃の光景を目にする。どう見ても、庵野秀明っぽい人物がファミマで立ち読みをしている。ガラス越しにこちらを向いて立っているTシャツ短パンの人物は、雑誌やテレビで観た記憶の中の庵野秀明その人である。
今のようにスマホですぐに画像検索できない時代だった。
ここで私は今思うと完全にアウトな行動をとる。後をつけたのだ。そして、後からパソコンのネットで検索できるよう、先ほどガラス越しに見た特徴だけを猛烈な勢いで脳内に刷り込んだ。天パでクリクリの髪、あごひげ、めちゃくちゃでかい福耳、そして意外なほどの高身長。
こ、声をかけたい。いやでも、こんなところに庵野監督がいるわけが……。やがて、そっくりさんは駅近くの小さなビルの中に入っていった。表に貼ってあった社名は、株式会社GAINAX。本人だったああああ! 本人だったという衝撃と声をかけなかったという残念感の両方で崩れ落ちた。そして、その時初めて私が当時住んでいた武蔵小金井のある中央線沿線が、ジブリを始めアニメスタジオが乱立するエリアだということに、超今更気づいたのだった。
序:帰ってきたエヴァンゲリオン
大学を卒業し、就職した2007年。思い出と化していたエヴァが唐突に帰ってきた。中学高校時代に穴のあくほど眺めたTV版エヴァ設定画集(メカニカルデザインの山下いくと氏のコンセプトデザインワークス『それをなすもの』)に描かれていた本来のカラーリングのエヴァがスクリーンの中にいた。そして変幻自在なラミエル(第5使徒ではなく第6の使徒になっていた)の衝撃。また、話自体はほぼほぼTV版の総集編ではあるものの、ラストの月に佇むカヲルくんと、アダムからの宇多田ヒカルの「Beautiful World」。同じじゃない。同じように見えるけど違うエヴァがまた始まったのだと最後の最後でテンションが最高潮になった。
破:ちょっと違うエヴァンゲリオン
椎間板ヘルニア悪化による入院・手術を経て、就職した映像の会社の職種が完全に自分に向いておらず、昔から1人で描いてた絵のほうが性にあってると気づき、退職願いを出した2009年夏。ある意味、人生の転機の年に公開された『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破』。観に行った映画館で、上映開始と同時に隣のおじさんがカリカリカリカリと何やらノートにメモを取り始めた。内心「嘘でしょ?!」と思いながら、気が散るから頼むからやめてくれとお願いした。
破は自分が知っているTV版のエヴァンゲリオンとは、完全に似て非なるものだった。序を上回る兵装ビルのアクション。
Q:見たことないけど懐かしい後味のエヴァンゲリオン
破公開の2009年12月末日付で会社を退職し、翌2010年からフリーランスのCMコンテライター兼イラストレーターとして働き始め、2011年3月11日には打ち合わせに向かっている最中の地下鉄大江戸線で東日本大震災の揺れを経験。日本中が節電したヤシマ作戦の翌年、2012年11月『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q』公開。あの破の続きが観られる! 喜び勇んで観に行ったら、劇中では14年が経過しており、14歳の時に味わった「何がなんだかわけがわからない」を再び味わった。シンジ君もわけがわからないと言っていた。え? 破のラストで観たあの予告は?? それ以降エヴァの予告は予告として信じてはならないものになった。
ゴジラであり、エヴァだった『シン・ゴジラ』
Q公開から4年後。2016年7月、『シン・ゴジラ』公開。小学校高学年、エヴァにはまっていた頃。同時期に同じくらいはまっていたのが平成ゴジラと、平成ガメラシリーズだった。私が子供の頃は、今では当たり前に放送されているウルトラマンシリーズがすっぽり抜け落ちた空白期間だったので、怪獣欲求を海外のグレートとパワード、ゴジラとガメラが満たしてくれていたのだ。当時は歴代ゴジラの身長と体重を暗記し、モスラの歌も空で歌っていた。そのゴジラの総監督を庵野さんがやるというのである。しかも監督は平成ガメラシリーズの樋口真嗣監督だ。
世間的にはファンだかアンチだかどっちなのかわからない勢からの「風立ちぬで声やったり、ゴジラとか作ってないで、早くエヴァをやれ」という声があった。たしかに、自分自身ゴジラは観たいけど、エヴァも早く観たいという気持ちもあった。
しかし、他にも作品が伸び伸びになっている作家は大勢いるのに、こうまで言われる作家も中々いない。理不尽である。庵野監督だったらいくら叩いてもいいというネット内の風潮が気持ち悪すぎた。クラスであいつだけは、いくらイジメても誰も文句言わないから、ボロカス言ってもかまわないというあれに似た空気だった。
作品を作るというのはメチャクチャ大変な作業である。それこそ、命を削る作業だ。面白かった、つまらなかったという批評はしょうがない。実際いくら頑張って作ったとしても、つまらないものはつまらない。しかし、ボロボロになりながら作ってる人に対して、さっさと作れ、休むなとっととやれはあまりに酷い。そういう気持ちを4コマにぶつけて、ツイッターにUPしたら、庵野監督の奥様の安野モヨコさんの目に止まり、RTしていただいた。
この次の年、2017年7月に株式会社カラーの創業10周年記念作品『よいこのれきしアニメ おおきなカブ(株)』が公開されたが、これを観る限り、庵野監督は心身ともにギリギリの状態であったのではないかと思う。
公開初日に観に行った『シン・ゴジラ』は、間違いなく日本映画史の残る大傑作であり、ゴジラでありエヴァだった。あの曲が流れ出した瞬間鳥肌が立ち、気持ちの中では五体投地で「いくらでも待ちますから、人間ドックとか行ったり、病気とか見つかったらしっかり治して、たっぷり休んでからエヴァ作ってください」と庵野総監督に手を合わせていた。
この時点で新劇場版シリーズは、私にとっては秘仏開帳と同レベルの有り難さとなり、生きている間に拝めたら末代まで語り継ぐ幸運なイベントへと昇華した。ただし、その秘仏開帳にはそこからさらに5年の歳月を経ることになるとは、この時はまだ知る由もない。
シン・エヴァ公開日発表の衝撃
時に、2021年2月26日。コロナ禍における2度の延期を経てついに『シン・エヴァンゲリオン劇場版』の公開日が発表された。公開日は、2021年3月8日。月曜日である。パソコン画面と、カレンダーを三度見したのは生まれて初めての経験だった。金曜日でも、土曜日でもなく、月曜日である。世の中は、様々な職業の方々が平日に出勤してくださっているおかげで回っていて、常日頃その職業の全ての人々に感謝しているが、この時は在宅フリーランスイラストレーターという「その日仕事をするかしないかを自己決定できる仕事」を選んで本当によかったと思った。
前職は有給代休さえまともに取れず、平日勤務なのに土日休めないことがままあるという、自分の予定が全く立てられない職場だったので、この喜びは尚更大きかった。いやもうできることなら、前職を辞めた時の自分に直接会いに行って知らせたかった。
もちろん、その日の午前中は絶対に仕事を受けないと決め、カレンダーに赤字でシン・エヴァと書き込んだ。
深夜の戦い
同年、3月4日午前0時。戦いが始まった。初日チケット予約争奪戦である。予約開始時刻には、深夜にもかかわらず大手シネコンの予約サイトが軒並みパンクし、予約どころかサイトにも入れないと、ツイッターに悲鳴が乱れ飛ぶ地獄絵図と化した。私自身ユナイテッドシネマの初日初回IMAXのチケットを獲得しようとしたが、何十回、何百回とcommand+Rを押しても表示される「申し訳ございません。只今大変混雑しております。しばらく時間を開けてからお試しください」のメッセージ。正直何度も心が折れ、諦めて寝て翌朝再チャレンジするか、いや、いっそのこと明日直接窓口に行ったほうが早いのでは? などと、正常な判断ができなくなりつつあった深夜3時前。ついに扉は開かれた。午前0時ちょうどからはじめて2時間45分である。今まで何度か話題作の予約開始時のチケット争奪戦を経験したが、2時間45分は(個人的には)最長記録だった。
この時点で『シン・エヴァ』は一つの人生訓を教えてくれた。「諦めない」である。そもそもQ以降の9年間を思えば、チケット獲得の数時間などどうということはないのだ。この作品の公開をいかに多くの人間に待ち焦がれていたかを身を持って体験した夜だった(しかし、その時点でも空席の余裕はかなりあったので、ユナイテッドシネマには予約システムの改善を要求したい)。
決戦は月曜日
時に、西暦2021年3月8日、月曜日。9年間待ちに待った朝。天気は晴れ。場所は、ユナイテッドシネマ・キャナルシティ13。IMAXシアター初回9:15。ネタバレが怖くてツイッターは前日から封印している。前々日から、序、破、Qのブルーレイをもう一度見直し、上映前にパンフとステッカーを購入。上映時間154分に対応するため、花粉症の薬を飲んだ以外は水分を取っていない。万全の体調である。周りにはエヴァ関連グッズ及びファッションで武装した同士たち。いざ、『シン・エヴァンゲリオン劇場版』!
14年経ってるってことよ
「あれから14年、経ってるってことよ」Qの劇中、何が何やらわけがわからなくなっている浦島太郎状態のシンジくんにアスカが言い放ったセリフである。14歳の主人公。主人公不在の破-Q間の14年。思えば、エヴァンゲリオンという作品は14年という数字が何かと絡んだ作品だった。
10年ひと昔という言葉があるが、これがどれくらいの年月なのか14年と一言で言われてもあまりピンと来ない。だが、その年月に最適の物差しがある。2007年序公開から、2021年シンエヴァ公開までの年月。これがほぼ14年なのだ。
しかしこれが、コロナ禍の影響を受けず当初の予定どおり、2020年6月に公開されていれば14という数字にはならなかった。エヴァらしいと言えばエヴァらしい。序の年に生まれた子供が14歳になる年である。まさかこれも庵野監督のシナリオのうちではなかろうか。
14年後の世界
震災を始めとする様々な災害、新型コロナ、大きく広がった格差、アメリカの凋落と中国の台頭。エヴァの世界ほどではないが、現実世界もこの14年で大きく様変わりした。では果たして、これから14年後。世界はどう変わっているだろうか。その14年間に秘仏は何度開帳されるだろうか。忘れてはならないのは、今年はシン・エヴァの年だが、『シン・ウルトラマン』(企画・脚本:庵野秀明/監督:樋口真嗣)の年でもあるということだ。公開中にあと何度か、シンエヴァを観に行きたいが、同じ映画を2度、3度も観に行くと、夫婦間に高確率で何かしらのインパクトが生じてしまうため、妻に言い出せないでいる。一般の職業の方なら仕事終わりに映画館に行けばいいのかもしれないが、仕事場が家なので外出するにも理由がいる。これもまた、14年の間に生じた変化である。
今年、第三子である長男が生まれる。エヴァ完結の年に生まれる子である。14年後、彼と一緒にエヴァを観ようと考えているのだが、その時私は碇ゲンドウよりちょっと年上になっている。「嫌だよ、そんなの!」とか言われないか、今からドキドキしている。
ウラケン・ボルボックス
東京から福岡に移住した映画好きのイラストレーター。主な著書『なんてこった!ざんねんなオリンピック物語』JTBパブリッシング、『侵略!外来いきもの図鑑もてあそばれた者たちの逆襲』PARCO出版。
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