料理経験も、経営経験も、一切なかった。静岡の家電販売員だった男性が、スペインで25店舗・年商20億円のラーメンチェーンを築いた。
綿密な戦略はない。あったのは「やるしかなかった」という状況と、手放してきた3つのこだわりだけだ。「らーめんかぐら」の小野田圭吾さん(50)を、スペイン在住ライターのきえ・フェルナンデスさんが取材した――。
■閉店前夜、行列ができた理由
「どうせ閉めるんだから、最後くらい好きなものを出してみよう」
2015年8月、スペイン・マドリード。閉店を決めたラーメン店のオーナーが、静かにそう思った。メニューにカレーと寿司を加え、価格を下げた。「最後のお試し」という名の、ささやかな挑戦だった。数日後――1時間待ちの行列ができた。
この人物が、いまスペイン初のラーメンフランチャイズチェーン、25店舗・年商20億円の「らーめんかぐら」を率いる小野田圭吾さん(50)だ。かつては静岡の家電量販店で働く販売員。料理経験も、飲食店経営の経験も、一切なかった。
「起業するタイプじゃなかったんです。
日本にいたら、きっと公務員かサラリーマンを目指していたと思います」
これは「夢を追った成功譚」ではない。綿密な戦略もなく、スペインで突然ベッドから起き上がれなくなった朝もあった。あったのはただ、追い詰められるたびに「やるしかなかった」という状況と、そのたびに手放してきた「3つのこだわり」だった。
■1日10人しか客が来ない日もあったが…
小野田さんがスペインに渡ったのは2005年、28歳の時だ。就職氷河期に静岡の家電量販店に就職し、3年で400万円を貯めてオーストラリアへ語学留学。そこで出会ったスペイン人女性と結婚し、マドリードに移った。
最初の仕事は、日本食の配達員。3年間働く中で質の低い日本食店が急増しているのを目にし、「こんなレベルでいいのか」という疑問が起業への火種になった。
2009年12月に居酒屋「はなくら」を開業し、5年かけて軌道に乗せた。2014年、「自分がラーメンを食べたかった」という動機だけでオープンしたのが「らーめんかぐら」だ。当時、マドリードにラーメン専門店は存在しなかった。
開業から1年間は地獄だった。
「ラーメンとチャーハンだけで勝負する」と決めていたが、ラーメンを知るスペイン人はほとんどいない。客は入ってきても「寿司はないのか」と聞き、ないとわかると帰っていく。
1日の来客が10人の日もあった。赤字が続き、はなくらの利益を食いつぶした。
■「日本のラーメン」を諦めたら活路が見えた
そもそも、日本と同じラーメンを作ること自体が難しかった。当時のスペインには、ラーメン用の食材がほとんど存在しなかったからだ。
「ラーメン用の小麦粉もないし、麺に入れるかん水もない。醤油や酒の種類も、日本みたいに選べませんでした」
かん水とは、ラーメン特有の風味とコシを出すものだ。これがなければ、あの弾力ある麺は作れない。小野田さんは原料を調べ、自分で配合して作ることにした。小麦粉も、パン用の卸業者に片っ端から連絡し、何種類もの粉を取り寄せて試作を繰り返した。
「日本のラーメンを完全に再現するのは無理だと思いました。
だからスペインで作れるラーメンを作ろうと考えたんです」
味の方向性でも、日本から距離を置いた。日本の豚骨スープの強烈な臭みや濃厚さは、スペイン人には合わないと判断。臭みを抑え、濃厚だけど飲みやすい「ちょうどいい濃厚さ」を目指した。
「本格」を手放したその先に、思いがけない答えが待っていた。
■なぜ、おじいちゃんが列に並んだか
スペインでは8月、多くのレストランが夏休みに入る。小野田さんも2週間休業し、その間にメニューを付け加えた。冒頭で触れた「最後のお試し」だ。はなくらで出していたカレーと巻き寿司を持ち込み、10ユーロだったラーメンの価格を当時の日本の相場780円をまねて7.8ユーロまで値下げした。
準備を整え、再オープンした。すると――客が次々と入ってきた。中には「2週間待っていたよ」という客もいた。ラーメンの中身は何も変えていないのに、数日後には1時間待ちの行列ができた。
ピーク時には1日1万ユーロ(当時約140万円)を売り上げた。
なぜ急に客が来たのか。小野田さんは今でも「わからない」と首をかしげる。ただ、スペイン人がラーメンを受け入れた理由には心当たりがあった。スペインには「コシド」という豚骨を長時間煮込む伝統的な煮込み料理がある。
「スペインはもともと豚の文化。豚の出汁の味は、みんな慣れている」。ラーメンという食べ方は新しくても、スープの輪郭はどこか懐かしい。その感覚が、スペイン人の舌に届いたのだろう。
驚いたのは客層だった。狙っていた20~30代だけでなく、「スペイン料理しか食べたことのないおじいちゃんが、うちのラーメンを食べて同世代の友達を連れてきたんです」と小野田さん。子供が両親を連れてくることもあった。
想定していなかった客層からも支持されるようになった。
行列ができると新たな声が届いた。
「『鶏スープのラーメンはないか』と聞かれることがありました。宗教上、豚肉を食べられない人もいるので」
小野田さんはその声を拾い、2017年に鶏白湯スープの新ブランド「KURAYA(クラヤ)」を立ち上げた。3店舗目「らーめんエクスプレス」も開業し、1年後には、グループ全店舗が常に1時間待ちの人気店に成長した。
好調の裏で、小野田さんはある申し出を即座に断っていた。
■「フランチャイズはやらない」と断言していたが…
「こんなにも行列ができてるんだから、フランチャイズ化しませんか」
ある日、行列に並んでいた一人の常連客が小野田さんに声をかけてきた。カルロス・バルバディージョ。父親の代からフランチャイズ業界に携わり、マドリードで様々なチェーン展開を手がけるエージェントだった。
「せっかくですが」と小野田さんは即座に断った。

「フランチャイズにすると質が落ちるのは分かっていたので」
実際、店舗を増やした際、スペイン人スタッフへの指示が徹底されず、客に「味が落ちた」と言われた苦い経験があった。
しかもスペインには日本のような製麺所も、スープ業者もチャーシュー業者もない。
すべてを自分で作るしかない状況で、フランチャイズなどできるはずがないと思っていた。しかしバルバディージョは諦めなかった。「話だけでも」と食い下がり続けた。
話を聞いて見えたのは、直営展開の限界だった。自己資金では年に1~2店舗が精一杯。しかもスペインでは従業員は全員正社員が基本で、病欠や長期休暇の取得も手厚く守られている。
「頭が痛いという理由で2週間休む人もいます。直営店を増やせば、その管理を全部自分で抱え込むことになる。資金力もなかったし、それだったらフランチャイズで伸ばしていけたらいいなと思ったんです」
■「いい仕組みを作ればいいんじゃないか」
2019年、舵を切った。
しかし、壁はすぐに来た。スペインの法律上、自分の店舗で作ったものを他の事業者には卸せない。フランチャイズ展開には、食品衛生基準を満たした自社工場が不可欠だった。マドリード郊外ビジャベルデに自社工場を開設し、スープ、麺、チャーシュー、ソースのすべてを自社製造に切り替えた。
「当初は濃縮スープを送って現場で薄める方式を試したのですが、スタッフによって測る量がばらつき、味が安定しませんでした。だったら測らなくていい仕組みを作ればいいんじゃないか」
最初から完成品を送り、店舗では温めて盛り付けるだけにした。原価は上がる。それでも小野田さんは味の安定を手に入れた。同年9月、フランチャイズ第1号店の契約を締結。マドリード郊外で工事が始まった矢先、コロナが襲った。
「工事が半分終わったところで、業者がもう来なくなったんです。『外に出るのは危ない』と言って。スペイン政府から規制が出たわけじゃないのに」
物件の家賃も工事費もオーナーが支払っている。後には引けなかった。何度も業者を説得し、工事を再開させた。2020年7月、宅配のみという異例の形で開業した。
「初めてのフランチャイズだから成功させたかった。もう無理やりでした。でも、やるしかなかった」
フランチャイズ第1号店は初日から好調だった。口コミで加盟希望者が広がり、「当初は10店舗できればいいな」という小野田さんの想定を超え、気づけば25店舗に増えた。自分たちもついていけないスピードだったという。
2023年には工場を1300平米の新拠点に移設し、現在30人が働いている。毎月スーパーバイザーチームが各店舗を巡回する。まだ理想には届かないが、完璧を目指す努力は止めるつもりはない。その終わりのない改善を続けるのは、25店舗を預かる経営者の責任があるからだ。
■人を「型」にはめるつもりはない
ただし小野田さんの「完璧を目指す」は、スタッフに完璧を求めることとはまったく違う。仕組みで品質を支え、無理に人を型にはめようとはしない――その姿勢の背景には、スペインに来て間もない頃の、ある経験があった。
2007年、スペインに来て2年目。配達員として働いていたある朝、いつものように目覚まし時計が鳴った。「仕事だ。起きなきゃ」と思った。しかし、小野田さんの体は動かなかった。
「突然でした。前の日まで何の症状もなく普通だったのに、急にベッドから起き上がれなくなったんです」
異変に気づいた妻が会社に電話し、仕事を休んだ。翌日も動けず、妻に担がれながら病院へ行った。診断は、うつ病だった。精神科医からこう告げられた。
「自分の言語を話していないことが原因です。日本人のコミュニティに行きなさい」
当時はマドリード郊外に住み、日本人との接点はゼロ。スマホもなく、国際電話もままならない。日本語を話す機会が完全に失われていた。
「自分ではストレスだと思っていなかったんです。でも脳が勝手にストレスを溜め込んでいて、それが爆発したんだと思います」
抗うつ剤を1年間飲み続け、学生時代に続けていたテニスを再開して日本人との交流が生まれたことで、ようやく回復したという。
自分の体ですら思い通りにならない日がある。ましてや他人を自分の型にはめようとすることに、どれほどの意味があるのか――。取材を進めるうちに、この経験が、小野田さんのマネジメントの根幹にあるように感じた。
■指示より、背中を見せる
人の出入りが激しいスペインの飲食業界ではなおさらだ。教えて半年で辞めていく人もいれば、遅刻も珍しくない。日本とは根本的に異なる環境で、人を型にはめようとしても店舗経営は難しい。
「前は怒ってたこともあります。日本だったらこうするのに、とか。でも怒っても何も変わらない。こっちのスタイルに合わせるしかないなって」
小野田さんは続けた。
「誰かがミスをした時、絶対に自分に悪いところがあったと思うんです。子供の時からそうでした。人が間違えたら、自分の指示が悪かったんだと考える」
だから「やっといてね」とは言わない。「6割まで一緒にやれば、こうしたいんだなと分かってくれる。そこで任せる」。指示ではなく、背中を見せる。センターキッチンを作ったのも同じ発想だ。人に無理を強いるのではなく、無理をさせない仕組みを作るのだという。
象徴的なのは、メニュー開発を日本食の知識がないスペイン人スタッフと行っていることだ。
「ラーメン生地で作るピザをサイドメニューに出すとか、日本人なら思いつかないアイデアが出てくる。面白いんですよ」
これを「面白い」と思えるか、「そんなのラーメン店じゃない」と一蹴するか――その分岐点に、小野田さんの経営哲学がある。
■3つの「手放し」が、25店舗への道を開いた
「本格ラーメン」の再現にこだわらず、完璧な品質よりも再現性のある仕組みを選び、日本式のマネジメントを手放した。振り返ればこの3つの「手放し」が、25店舗への道を開いた。
しかし小野田さんは、立ち止まっていない。2026年2月、名古屋の名店「SHISHIMARU麺家獅子丸」のマドリードの運営を引き受けた。 背景にあるのは、スペインのラーメン市場を日本の力で盛り上げたいという思いだ。
「店舗数を増やそうと思っていたわけではありません。気づいたら25店舗になっていた。僕はただ、目の前に出てきたものをこなしているだけです」
オーストラリアへの留学も、スペインへの移住も、起業も、フランチャイズ化も――すべて「やるしかなかった」からやった。小野田さんは言う。
「生きていくために、やる。ただそれだけです」
3つのこだわりを手放した男には、最後まで手放さなかったものがある。目の前のことを、やる。その堅実さが、静岡の家電販売員をスペインのラーメン王へと変えた。

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きえフェルナンデス
スペイン在住ライター

1982年生まれ。美容師として4カ国で働いたのち、北スペインのカンタブリア州へ移住。
インタビュー記事やスペインを題材にしたコラムを執筆している。


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(スペイン在住ライター きえフェルナンデス)
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