わが子が生きづらさを抱えたとき、親にできることは何か。小児外科医の松永正訓さんは「子どもが高校を退学して自宅で大学受験勉強をしていた時期があった。
その頃は、夜遅くになると、不安が昂じて私の書斎に泣きに来るのを、どれだけ時間が経過しても慰め続けていた」と振り返る――。
※本稿は、松永正訓『性別違和に生まれて 父と子で綴った23年』(中央公論新社)の一部を再編集したものです。
■「学校という建物」に入ることが怖い
さて、日々の大学受験勉強も重要だが、その前に高卒認定試験に合格しなければならない。試験科目は八つ。
国語、数学、英語、科学と人間生活、生物基礎、地理、世界史、現代社会。
「科学と人間生活」というのは理科の総合問題である。これを受けない受験生は、(光は生物を選択しているので)物理基礎・化学基礎・地学基礎から2科目を受験する必要がある。要は理科2科目分の内容が含まれている。
これを2日間にわたって受験する。試験日は8月と11月の年に2回。
試験対策は過去問をチェックするくらいで特に大変ではなかったが、問題は「受験する」ことだった。試験会場は、自宅から電車で20分くらいのところにある大学である。
8月の受験はパスして、11月の2日間、15歳の光(仮名)は試験を受けることにした。だが、光は受験を「怖い、怖い」と言って怯えた。不合格になることが怖いのではなく、学校という建物に入ることが怖いのである。
光の予期不安は高校を辞めたあともさらにひどくなっていた。本来、予期不安とは、一度パニックを起こした場所にもう一度行こうとすると、またパニックが起きるのではないかと不安になることをいう。でも、光の場合、「これから何かをする」と少し先のことを考えると不安が生じるようになっていた。悪いことが起きるのでは……怖いことが起きるのでは……、安心できないと思うと恐怖感が湧いてくるのである。
■「学校が怖い」と激しく号泣
また、学校という場所は広場恐怖という次元を超えて、最も忌むべきものになっていた。限局性恐怖症といってもいいだろう。限局性とは、特定の「場所」「状況」「もの」とかの意味である。分かりやすい例は「高所」恐怖症であろう。光は認知行動療法でムリに学校に通っていたため、「学校」という場所が恐怖の対象になっていた。

2018年11月10日、11日が試験日である。光は10月に入ると、毎日のように夜遅くに私の書斎にやってきた。「学校、怖いよ……学校が怖いよ」と涙をポロポロ流した。私はひたすら慰めた。
「そんなことはないよ。光なら大丈夫。怖いなんて幻だよ。試験会場に行ってみればきっと大丈夫。光が一人だけの別室を申請してあるから」
光は泣き疲れると寝室に戻っていった。
試験の1週間前、妻が予行演習のために光を大学に連れていった。だが、これは何の効果ももたらさなかった。帰宅すると光は、「学校が怖い」と激しく号泣した。
私は胃に穴が開きそうだった。
千葉大病院のこどものこころ診療部のE先生からは認知行動療法の再開も「あり」だと言われていた。そんなにしんどいなら、高卒認定試験を来年に延期してもう一度認知行動療法を受けてみるのはどうかと光に提案してみると、光はさらに大泣きになりパニックになった。
「絶対にイヤ! それなら試験を受ける方がマシ」
■とても試験に行ける状態ではなかった
試験日当日になった。私のクリニック出勤と、妻が光を連れて家を出るのはちょうど同じ時刻だった。でも光は泣きじゃくって「怖い、怖い」とうずくまった。とても試験に行ける状態ではなかった。
私は正直なところ落胆した。あれほど毎日励まして、本人も少し前向きなことを言っていたのに。高卒認定試験をパスできなければ大学受験の道も閉ざされる。17歳までにパニック症は治ってくれるのか。治らなければ、大学受験すらできない。

「ムリなものはムリだから、行かなくていいよ。もう泣かないで」
私はそう声をかけてクリニックへ向かった。診察中、私の心はずっと晴れなかった。光の未来はどうなってしまうのだろうか。この日は土曜日で、午前中に53人の患者を診察し、午後2時からは60人の患者にインフルエンザの予防接種を打った。夕方になり、妻にLINEで帰るというメッセージを送って帰宅した。
■まずは3教科受験、残り2教科も翌年合格
玄関の扉を開けると、いつものように妻が出迎えてくれた。そして妻の後ろに光が隠れるように張り付いている。
「ただいま。どうしたの?」

「光、受験できた」

「え! ほんとに!?」
光が、こくんと小さく頷く。照れくさそうに、少し自慢げに。
妻が続ける。

「それこそ段階的曝露じゃないけど、1教科だけ受けようって言ったの。何年かかったっていいじゃない。1教科ずつ受ければ何年後かに全部受かるって。それでがんばって行ってみたら3教科受験できた」

「すごいじゃないか!」
じわっと目頭が熱くなった。私は、妻と光をまとめて抱き抱えた。
この日、光は、国語・英語・数学の3教科を受けた。そして翌日、地理・世界史・生物基礎を受験した。2週間後に合格発表があり、すべてパスしていた。残り2教科は翌年の8月に合格した。
■つらくなる受験勉強
16歳の頃は、受験勉強がさらにつらくなっていた。やはり数学と物理が重荷だった。Z会の問題を解いて送ると採点されたものが戻ってくるが、その解説が光には不十分だった。

30°の斜面の下端に静止している質量mの物体に、大きさFの力を加えて距離S移動させる。
こういう問題が出ると、光はほとんど答えられなかった。
「父さん、これ分からないよ。どういう意味? 解説を読んでも分からない」

「うっ……」
私にも全然分からなかった。待てよ、いい方法がある。私の兄はエンジニアであり、典型的な理系人間だ。今でも物理の問題は解けるかもしれない。メールを送ると、早速詳しい解説を送ってくれた。光もこれなら分かると笑顔で納得してくれた。
だが、毎日兄に聞くのはいくら何でもムリがある。光は自学自習で数学、物理と格闘した。でもやはり思うように問題は解けなかった。
■夜遅くになると書斎へ泣きに来た
この時期、夜遅くになると、不安が昂じた光は私の書斎へ泣きに来た。次々に質問してくる。
「大学、受かるかな」「浪人してもいい?」「なんでこんな病気になっちゃったのかな?」「嫌いにならない?」「こんな子でもいい?」
私はどれだけ時間が経過しても光を慰め続けた。
「大丈夫だよ。光は抜群に絵も上手いし、勉強だって国語と英語は得意じゃないか。父さんも協力するから、一緒にがんばろうよ。親子じゃないか」

「本当に大丈夫?」

「絶対に大丈夫」

「嫌いにならない?」

「絶対にならない。親っていうのは、自分の子どもの面倒を見られるのが幸せなんだよ」
見る見る間に光の瞳に大粒の涙が浮かび、次から次に頬にキラキラした線を作った。
「お父さんとお母さんがいなくなったら、どうやって生きていけばいい?」

「あ、それは大丈夫。人生ってどうにかなるようにできているから」

「本当?」

「本当だよ」
私はわざと軽い調子であっさりと「本当だよ」と言ったが、本当か本当でないかは実のところ誰にも分からない。私の胸の奥には正直なところ不安がある。だけど、親として「本当だよ」以外の返事はない。私は間髪を容れずに、そう答えていた。
光は涙を拭くと、ちょっと照れたような表情で声をかけてきた。
「父さん、肩を揉んであげる」

「ええー、いいよ。そんなことしなくても」

「でも、ちょっとだけ」
しばらく光は私の肩を揉むと寝室へ戻っていった。

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松永 正訓(まつなが・ただし)

医師

1961年、東京都生まれ。87年、千葉大学医学部を卒業し、小児外科医となる。日本小児外科学会・会長特別表彰など受賞歴多数。2006年より、「松永クリニック小児科・小児外科」院長。13年、『運命の子 トリソミー 短命という定めの男の子を授かった家族の物語』(小学館)で第20回小学館ノンフィクション大賞を受賞。19年、『発達障害に生まれて 自閉症児と母の17年』(中央公論新社)で第8回日本医学ジャーナリスト協会賞・大賞を受賞。著書に『小児がん外科医 君たちが教えてくれたこと』(中公文庫)、『呼吸器の子』(現代書館)、『いのちは輝く わが子の障害を受け入れるとき』(中央公論新社)、『どんじり医』(CCCメディアハウス)などがある。

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(医師 松永 正訓)
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