※本稿は、星野博美『野馬追で会いましょう 相馬の馬文化と震災後の日常』(集英社新書)の一部を再編集したものです。
■相馬野馬追のすべてがわかる場所
南相馬に来たらぜひ訪れたい場所があった。甲冑(かっちゅう)競馬と神旗(しんき)争奪戦が行われる雲雀ヶ原(ひばりがはら)祭場地の上側に位置する、南相馬市博物館である。ここに行けば、相馬野馬追(そうまのまおい)のすべてがわかる、という触れこみの博物館だ。もっと早くに来たかったが、コロナウイルスの感染拡大の影響で野馬追の時期は閉館していた。
南相馬市博物館では、野馬追に関する展示だけではなく、南相馬の自然や歴史、民俗文化の常設展示を行っている。訪れた日、外は土砂降りで、見学者は数えるほどしかいなかったため、ゆっくり見て回ることができた。
博物館の中には、神旗争奪戦の騎馬のほぼ等身大のレプリカが三体飾られている。武者が左手で手綱を引きながら、右手に持った鞭(むち)で御神旗を奪いあう、迫力のあるレプリカだ。
私が見た3カ月前の野馬追でも、登場した馬の大半が元競走馬のサラブレッドだった。
甲冑をまとって洋種馬に乗るのは、歴史的観点に立てば、実はかなり不自然なことといえる。
■日本の在来馬は絶滅の危機に瀕している
古来、日本に生息していたのは、海外の品種と交雑することなく残ってきた日本在来馬だった。とはいえ、古代に大陸から渡ってきたので、厳密に言えば大陸出身馬である。粗食に耐え、頑健で比較的温厚な、小型の馬だ。体高はほぼポニーで、およそ100から140センチくらいの小ささ。ちなみに、サラブレッドの平均体高は160から162センチである。
日本在来馬は絶滅の危機に瀕している。現存するのは、北海道和種(道産子(どさんこ)とも呼ぶ、北海道)、木曽馬(きそうま)(長野)、野間馬(のまうま)(愛媛)、対州馬(たいしゅうば)(長崎)、御崎馬(みさきうま)(宮崎)、トカラ馬(うま)(鹿児島)、宮古馬(みやこうま)(沖縄)、与那国馬(よなぐにうま)(沖縄)の、わずかに8種類のみ。このうち、最も数が多いのが北海道和種で、関係者たちのたゆまぬ努力により、少し安定し始めているのが木曽馬と与那国馬である。
南部馬(なんぶうま)(岩手)、三春駒(みはるこま)(福島)、甲斐駒(かいこま)(山梨)、三河馬(さんかば)(愛知)、能登馬(のとうま)(石川)、土佐馬(とさうま)(高知)、日向馬(ひゅうがうま)(宮崎)、薩摩馬(さつまうま)(鹿児島)、ウシウマ(種子島(たねがしま))などの純血種は、すでに絶滅してしまった(*1)。
*1 公益社団法人日本馬路協会の統計(令和5年)によると、日本在来馬の総数は1707頭。北海道和種が1143頭で全体の約3分の2を占め、木曽馬の128頭、与那国馬の110頭と続く。
■サムライが乗っていたのはポニーくらいの小さな馬
この現状を猫に置き換えるなら、尻尾の短い和雑種や、招き猫のような三毛猫が絶滅危惧種となって動物園で保護され、巷(ちまた)はペルシャ猫やアメリカンショートヘア、スコティッシュフォールド、ロシアンブルーといった舶来猫に席捲(せっけん)されてしまった、という感じだ。犬の場合は、馬と近いものがあるかもしれない。私は猫に関しても和雑種を偏愛するので、動物に関しては割と愛国主義者といえる。
本物のサムライが生きていた時代、彼らが乗っていたのはポニーくらいの小さな在来馬だった。黒澤明の『影武者』や『七人の侍』、そしてハリウッド映画の『ラスト サムライ』などに登場する、秀麗なサラブレッドにまたがる武者は、完全に虚構なのである。
■日本の馬はなぜ消えたのか
なぜ日本在来馬は消えてしまったのか? 原因は戦争だった。
日本にはもともと、馬を去勢する習慣がなかった。去勢されていない牡馬(ぼば)は、牝馬を見ては隊列を乱す。天下泰平が続き、日本国内にいるだけなら、それでもよかった。
しかし明治維新のあと、日清戦争を皮切りに、日本は国外で戦争をするようになった。
中でも、ロシアやイギリス、アメリカ、ドイツ、フランス、オーストリア=ハンガリー、イタリアとともに共同出兵した明治33年(1900年)の義和団事件(北清事変)が決定的だった。日本の馬は他の7カ国の馬と比較された。隊列を組む馬たちが暴れて制御できず、「日本軍は、馬のような格好をした猛獣を使用している」と欧米諸国から嘲笑され、おおいに恥をかかされた。
明治時代の軍馬関連の本を読んでいると、いきなり船で海を越えさせられ、戦場に連れて行かれた和種馬が、軍事的観点から「役に立たなかった」ことについて、「劣悪」「猛獣」「軽舟に移すにも甚しく困難」「貨車を見て畏怖逡巡(しゅんじゅん)容易に乗車せざる」「汽車輸送を拒絶せらるゝ」「貨車を破壊」などの罵詈雑言(ばりぞうごん)が並び、和種馬に対して心底気の毒になる(*2)。
*2 武市銀治郎『富国強馬 ウマからみた近代日本』講談社選書メチエ、1999年、67頁。
いくら軍事的に「役に立たなかった」からとはいえ、あたかも和種が劣等種かのように扱うのは、失礼すぎる。日本の馬は、江戸初期を最後に250年近くも戦に駆り出されなかったため、のんびりしていただけなのだ。江戸時代、ある藩が騎馬を使った教練をするだけで「謀反の疑いあり」とされ、厳重警戒の対象となった。だからこそ相馬野馬追も、祭りの形を借りてひそかに馬に乗り続けた。
■大砲に度肝を抜かれた和種馬
こうして日本のサムライがのんびりしている間に、海外では轟音(ごうおん)を発する銃や大砲を用いた戦い方が主流となった。和種馬は度肝を抜かれ、心底脅(おび)えたことだろう。
欧米に対して劣等感と、征服される恐怖心を抱き、追いつき追い越せだった明治の日本人は、和種馬にも自らの劣等感を重ね合わせたといえる。
プライドをいたく傷つけられた日本陸軍は、国を挙げて馬匹(ばひつ)改良に着手した。明治34年(1910年)に「馬匹去勢法」を発布して去勢術を普及させるとともに、軍馬の改良と増殖のため、洋種馬の血を入れ、馬を速く、大きく改造する方向に舵(かじ)を切った。馬事振興のため、おおいに活用されたのが競馬である。競馬がことのほか好きだった明治天皇の存在も振興に一役買った。
こうして和種馬は、日本から姿を消していった。日本の馬は、戦争を理由に、国家主導で可及的速やかに駆逐されたのである。
■野馬追にサラブレッドが出場する現実
私がこれまで訪れたモンゴルでもスペインでもトルコでも、人々はその土地の馬を愛し、誇りにしていた。人々の生活に密着し、人とともに生きてきた馬は、その土地の歴史を背負った文化でもある。
モンゴルで国民的祭典「ナーダム」の際に子どもたちがまたがっていた馬は、チンギス・ハーンの時代から、サイズも風貌もさほど変わっていないだろう。スペインが誇る馬、アンダルシアンは、元をたどればイスラーム・スペイン時代に北アフリカのバルブ種の血が入った馬だが、ナポレオン率いるフランス軍に侵攻された際は、修道士たちによってひそかに匿(かくま)われ、純血を保った。カッパドキアの馬は、かつてアナトリア半島を行きかったアラブ馬とアナトリア馬の混血だった。
そんなことを思い出すと、日本固有の馬が、戦争を理由にほぼ駆逐されてしまったことが悲しくなる。野馬追のお行列を眺めていた時も、「本来ここにいるべきは和種の馬だったのに」という思いがどうしても拭えなかった。
しかし裏を返せば、在来馬を駆逐してしまったことが日本の歴史なのであり、ここに稀少な在来馬が出ることのほうが、現状を無視した絵空事となってしまう。野馬追にサラブレッドが出場するのは、日本の現実として正しいことなのかもしれない。
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星野 博美(ほしの・ひろみ)
ノンフィクション作家
1966年、東京生まれ。著書に『謝々! チャイニーズ』『転がる香港に苔は生えない』(大宅壮一ノンフィクション賞)、『のりたまと煙突』(以上、文春文庫)、『迷子の自由』(朝日新聞出版)、『愚か者、中国をゆく』(光文社新書)、『コンニャク屋漂流記』(文春文庫。読売文学賞、いける本大賞)、『島へ免許を取りに行く』(集英社文庫)、『戸越銀座でつかまえて』(朝日文庫)、『みんな彗星を見ていた──私的キリシタン探訪記
』(文藝春秋)、『今日はヒョウ柄を着る日』(岩波書店)ほか。Twitter:@h2ropon
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(ノンフィクション作家 星野 博美)

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