相鉄バスに「分譲住宅」という名前のバス停があります。地名が入っているわけでもない、一般名詞だけのバス停名、なぜ生まれたのでしょうか。
相鉄本線の希望ヶ丘駅から相鉄バスに乗ると、次に差し掛かるバス停は「分譲住宅」という変わった名前のバス停です。
相鉄バスの「分譲住宅」バス停(乗りものニュース編集部撮影)。
周囲は昔ながらの店舗が並ぶ商店街で、路地に一歩入ると住宅地が続きます。一見何の変哲もない街の風景ですが、なぜこのような「大雑把な」バス停の名前になったのでしょうか。
相鉄に聞いてみたところ、このバス停名になった経緯については記録がないとのこと。しかし、相鉄グループの社史を紐解いていくと、興味深いことがわかります。
希望ヶ丘駅前の住宅開発が始まったのは、戦後間もない1947(昭和22)年。相鉄グループの開発する住宅地としては記念すべき第1号でした。神奈川県で唯一の建設省住宅供給代行業者の資格と年間200戸建設の認証を得て建設と販売が行われました。当時の住宅は1戸あたり土地300平方メートル、建物40平方メートルで分譲価格は12万円だったといいます。
今では「分譲住宅」、つまり不動産会社がまとまった区域を整備し、そこに土地と住宅をセットで売り出す、という概念は一般的です。しかし当時、新しい家を持つにはまだ、土地を自分で購入し、家屋は自前で職人を雇って建てるのが当たり前でした。
つまり、「あなたは買うだけですよ」という状態で住宅が販売されることは、それ自体が当時はアピールポイントだったのです。戦後間もなく、住宅不足が深刻だった時代、早くきちんとした一軒家に住みたいという需要が高まっていました。
このバス停が生まれたのは1959(昭和34)年7月16日です。バス停の名前には、「ここに話題の『分譲住宅』があります」という、宣伝の意味も込められていたのではないでしょうか。
ちなみに相鉄バスには「高層住宅前」という、こちらも大雑把な名前のバス停が大和市にあります。相鉄不動産が建設した「相鉄コープ南瀬谷」の最寄りなのですが、実はこの物件も「第1号」で、1973(昭和48)年販売開始、相鉄では最初となる集合住宅でした。

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