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山崎賢人 インタビュー後編

【デビュー14連勝も先立つ不安】

 大学までバレーボールに打ち込んだのち、競輪ファンから競輪学校(現日本競輪選手養成所)に入った山崎賢人(長崎・111期)。

 競輪学校では「消灯時間も含めて分刻みで全部やることが決まっていて、それが一番きつかった」というが、練習には充実感を覚えていた。

「自転車を始めた当時から自分がどんどん強くなっていくのがずっと続いていたので、練習するのがすごく楽しみでした。

自分の成長は実感できていました」

 同時に、オリンピックや世界大会を目指すエリート候補生を特別に強化するクラス「HPD教場」にも選抜され、ナショナルチームのコーチの指導も受けるなど、60人以上いた候補生のなかでもトップレベルの実力を発揮。最終的には成績2位で卒業を果たした。

 KEIRINグランプリの感動から約3年半後の2017年7月、晴れて競輪選手としてデビューした山崎は、そこから破竹の14連勝と結果を残す。しかし本人は「本当は18連勝したかったので失敗という認識。負けた時には『大丈夫かな、俺』という思いがあった」とデビュー当時からすでに上を見据えていた。

 翌2018年8月のオールスター競輪で初めてGⅠに出場すると、いきなり決勝まで駒を進めた。周りからは順風満帆に見えたが、本人は「まだまだ足りない」と実力不足を痛感。さらなるレベルアップのためにふと頭に浮かんだのが、HPD教場での日々だった。

「自分がもっと強くなるためには、HPD教場でやったようなトレーニングが必要。だったらナショナルチームに入るしかない」。

 そう感じた山崎は自ら「行きたいです」とナショナルチーム入りを志願。その願いが叶い、2019年12月、正式に加入することが決まった。

その時にはすでに東京オリンピックに間に合わなかったため、2024年のパリ大会に照準を合わせることになった。

競輪・山崎賢人を突き動かす「記憶に焼きついた光景」とは 失意の時期に見つけた答えで世界一となった過去を明かす
ナショナルチームでの苦難も語った山崎 photo by Manabu Takahashi

【新たな心境で世界一を獲得】

 しかし、世界の壁は高かった。アジア選手権ではスプリントとケイリンで2度金メダルを獲得したものの、世界を相手にするとメダルは遠かった。2021年の世界選手権ではケイリンで決勝に進んだものの5着となり悔し涙を流した。

 ナショナルチーム加入から約4年、必死に結果を追い求めたが、思うような成績を残せず、最終的にパリオリンピック出場の夢は果たせなかった。「それまでの大会で結果を出せなかったので、選ばれなかったのは自分でも納得していた」というが、自責の念に駆られていた。

 なぜ結果を出せなかったのだろう......。自問自答を繰り返すなかで、ひとつの答えにたどり着いた。

「自分は結果を求めすぎていて、気持ちに余裕がなかったのではないか」

 そしてパリオリンピックから2カ月後に開催された、2024年10月の世界選手権では新たな気持ちで挑むことにした。

「その時は、一歩引いて自分を俯瞰して見るような感じにして、目の前にあるレースに全力を傾けようという気持ちに変えたんです。そうしたら、気がついたら決勝を走っていて優勝していたという感じでした」

 さらに気づいたこともあった。

「それまで全然メダルを獲れない時期もありましたが、そんな時でもチームのみんなが『次、頑張ってね』と応援してくれたし、勝ったら自分のことのように喜んでくれました。世界選手権の時には、そんな人たちに自分のメダルで喜んでほしいなという気持ちがすごくありました。

それはパリオリンピックの選考期間とは全然違う気持ちでした」

 支えてくれる人たちの期待に応えたい。それが山崎の体をつき動かす原動力になり、自転車競技の選手であれば、誰もがあこがれるアルカンシェル(世界一の称号)を手にすることができた。

競輪・山崎賢人を突き動かす「記憶に焼きついた光景」とは 失意の時期に見つけた答えで世界一となった過去を明かす
2026年から競輪に専念している山崎 photo by Manabu Takahashi

【再び、あの光景のために】

 ナショナルチームの引退は、サブメンバーでありながらバレーボールを最後まで続けた思いと同様、『自分の決めたこと』に従った結果だ。

「自分で設定した目標をクリアできなかったら辞める、と決めていました。2024年に(世界選手権で)金メダルを獲りましたが、あの時も、もしメダルが獲れなかったら辞めると決めていて、2025年は結局(世界選手権で)メダルを獲れなかったので、ここはもう潔く辞めようと思いました」

 パリオリンピックの不出場には「すごく落ち込んだ」というように、ナショナルチームでの6年間は辛いことのほうが多かったように見えるが、本人は「有意義な時間だった」と振り返る。

「すごくよかったです。一番はメンタル的な面ですね。すごく責任を持ってレースを走りましたし、そのなかで人とのつながりを感じました。応援してくれる人がいて、ダメな時には怒ってくれる人もいました。いろんな人がいて自分は支えられているんだなというのを本当に実感できました」

 最後に辛く厳しい状況の時にどうやって乗り越えてきたかを聞いてみると、山崎は「自分を応援してくれている人がいるのは一番大きいですね」と話したのち、一呼吸おいて語り始めた。

「今もずっと世界選手権の光景が記憶に残っているんですよ。応援してくれる人たち、喜んでくれる人たちがいるので、自分も手を抜けないし、下手なレースもできないですし、弱い自分を見せたくもないです」

 再び、あの光景を見るために――。

 競輪に専念した今、GⅠで優勝すれば、きっと同じような光景を見られるに違いない。山崎にそう語りかけると、「そうですね。またそういう光景が見られると思います。優勝したらまた取材に来てくださいね」。そう言って柔和な笑顔を見せた。

 人を惹きつける魅力を持つ山崎。これからさらに多くの競輪ファンが彼の走りと人柄に魅了されることだろう。それだけの実力と人間性を持っているのだから。

競輪・山崎賢人を突き動かす「記憶に焼きついた光景」とは 失意の時期に見つけた答えで世界一となった過去を明かす
今後は競輪の頂点を目指し全力を傾ける photo by Manabu Takahashi

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【Profile】
山崎賢人(やまさき・けんと)
1992年12月17日生まれ、長崎県出身。175cm、77kg。中学からバレーボールを始め、大学まで続ける。大学卒業後に競輪学校(現日本競輪選手養成所)に入学し、2017年、24歳でデビュー。

14連勝を果たし、翌年にはS級に昇級した。初出場したGⅠオールスター競輪では決勝4着という結果を残す。2019年12月にナショナルチームに加入し、スプリントとケイリンで活躍。2022年6月のアジア選手権のスプリントで金メダル、2024年2月のアジア選手権のケイリンで金メダルを獲得。2024年10月の世界選手権のケイリンで日本人として37年ぶりにケイリンで金メダルを獲得した。2025年12月にナショナルチームを引退。2026年から競輪に専念している。

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