【森保一にサッカーをあきらめさせてはいけない】
今西和男さんを悼む。
サンフレッチェ広島の初代総監督、日本サッカー協会の強化副委員長を務めるなどした今西和男さんが4月16日に亡くなられた。享年85。
すでに追悼記事が各媒体から出ているが、日本サッカーにおけるその功績は計り知れない。預かった選手のスキルを伸ばすだけではなく、彼らの引退後の人生を見据え、とりわけ多くの指導者を育て上げた。現職の監督を見渡すだけでも森保一(日本代表)、高木琢也(V・ファーレン長崎)、横内昭展(モンテディオ山形)、片野坂知宏(ロアッソ熊本)、森山佳郎(ベガルタ仙台)、小林伸二(AC長野パルセイロ長野)、風間八宏(南葛SC)と、その門下生は現在の日本サッカーを支える顔ぶれが並ぶ。
これらは今西さんの献身による。サンフレッチェ時代に、ともに人材育成教育にあたったヒューマックスの木村孝代表はこんなふうに言った。
「今西さんは自分のことは後回しで、本当に教え子のために働いていました。私はいろんな人材育成担当の方と仕事をしてきましたが、今西さんは、無私の精神の度合いがケタ違いなんです。それはやはり被爆体験に基づいておられるのではないかと思うのです」
1945年8月6日、当時4歳の少年が見た地獄のような広島の風景。命は永遠ではない。だからこそ、生あるかぎり、後進のために出来るだけの情熱を注いでいきたいと決意したのだろう。目線はつねに低く、謙虚に、若者たちの人生に寄り添った。
今西さんは、日本リーグの東洋工業(のちにマツダ)で現役を引退すると、社業において約7500人の超マンモス男性独身寮の寮監に任じられた。
主に九州、四国から就職してきた10代の若者たちのなかには、家庭に問題を抱えていたり、戻るべき故郷のない者もいた。彼らひとりひとりと向き合い、観察していくと、意外な人材が仕事で力を発揮していった。このときの経験が、サッカー部に復帰した際、どんな選手でも可能性を信じ、親身になって将来をともに考えていくという姿勢が身についていた。
知られているのは、やはり森保一のエピソードであろう。うまくも速くも高くもない長崎の無名の高校生であったが、ボールを持った時の視野の広さに注目し、6人の採用枠の最後のひとりとして獲得を決めた。この時、のちに森保を日本代表で重宝することになるハンス・オフトも一緒にプレーを見ているが、まったく興味を示さなかった。早くからポテンシャルを見抜いた今西さんの慧眼であった。
ところが、採用を決めた年の末に、急に会社側から予算編成の都合で「今年は5人しか採らない」という内定取り消しの通達がなされた。一度下された組織の決定は、通常であれば覆らない。それでも今西さんはなんとか救えないかと奔走する。
森保本人には「とにかく頑張れ。活躍すれば、必ず本社での採用に切り替えるから」と約束し、実際にその通りになった。入社時にマツダサッカー部員のなかで最も下のランクに置かれていた高卒選手は、やがて日の丸を背負ってオフトジャパンの心臓となった。さらに指導者となってからはサンフレッチェの黄金時代を築き上げ、代表監督となり、ワールドカップでドイツ、スペインに勝利し、今年はまたイングランドを聖地ウェンブリーで破った。あのとき、「森保にサッカーをあきらめさせてはいけない」と会社に掛け合った今西さんの尽力がなければ、この栄光はなかった。
献身は成功者にだけ捧げられたのではない。サンフレッチェの総監督時代、志半ばで退団していく選手たちのセカンドキャリアの面倒をすべて見ていた。全国の高校の指導者たちが、「今西さんのいるチームならば、教え子を入団させたい」と口々に言っていたのは、たとえサッカーで芽が出なくとも、誰ひとりとして路頭に迷わせることなく、人生の次なるステップへ導いてくれていることを知っていたからである。
【1億円以上あるFC岐阜の負債の保証人に】
ここで、ほとんど知られていないFC岐阜時代のことを記しておきたい。自身の半生を振り返る新聞連載などでも、今西さんがこの時代のことを多く語っていないのは、誰かを批判したくないからである。
2007年、今西さんはJ2昇格を目指すFC岐阜に、GM(ゼネラルマネジャー)として招聘された。着任して驚いたのは、すでに前任の経営者たちによって、クラブの累積債務が2億円にも膨らんでいたことである。
Jリーグは、FC岐阜の経営基盤の脆弱さを見据えて加盟を渋っていたが、「今西が社長になれば、加盟に向けて推せる」という昇格条件を出してきた。サンフレッチェのみならず、大分トリニータ、愛媛FCの立ち上げにも尽力していたその手腕には大きな信頼があった。
岐阜県知事(当時)の古田肇からも「今西さんに、ぜひ社長をやってもらいたい」とのオファーが届いた。社長になることは、1億円以上ある負債の保証人になることを意味していた。それでも自分が社長にならなければ、このクラブの成長は止まり、あとは規模を縮小し、消滅に向かってしまうことは、明らかだった。今西さんは、それまで県外からどんな好条件のオファーがあっても、障がいを持つ長男のために広島を離れることを拒んでいた。しかし、岐阜の未来のため、悩んだ末に社長就任要請を受けることを決断した。
当時、十六銀行から金庫番としてFC岐阜に出向していた戸田成人はこう言っていた。
「今西さんは困っている人を見ると放っておけないんでしょう。とっくに倒産してもおかしくないFC岐阜の、あの財務状況のなかで社長になるのは、とんでもないお人好しなんですよ。ただ、今西さんをそういう神輿に乗せて、自分もタニマチみたいにクラブに関わっていきたいという人も周囲にいたんです。
類まれなお人好しの、岐阜の社長時代の苦労は、まさに筆舌に尽くし難い。それまでの放漫経営の負の遺産をそのまま引き継ぎ、チーム強化どころか、営業活動に忙殺される毎日であった。遠征の経費を削減し、人件費もカットし、自らの給料も下げ、必死に資金繰りに駆けずりまわるも、胸スポンサーは2年連続で決まらなかった。当然であろう。広島生まれ広島育ちのサッカー指導者は、岐阜に縁もゆかりもない。すでに西濃運輸をはじめとする岐阜の財界は、創設時の不信感からFC岐阜に対して大きく距離を取っていたが、そんなことも知らされないまま、いきなり経営に放り込まれ、愚直に営業を続けても、結果は出ない。
そして出来たばかりのJリーグのクラブライセンス事務局は、ライセンス交付を盾に、地方クラブに対して高圧的だった。今西さんは憤った。
「苦労している地方クラブに、ライセンスという許認可権をちらつかせて怒鳴ったり、恫喝したりするとはどういうことか。クラブあってのJリーグではないのか」
普段は腰が低いが、官僚的なものに対して従順ではない硬骨漢と、出来たばかりのライセンス事務局はそりが合わなかった。そもそもサッカークラブの価値は、赤字か黒字かで換算するものではないというのが、今西さんの意見だった。
【岐阜での「今西おろし」の真相】
FC岐阜の社長として差配を振るった2009年は、選手やスタッフが学校を回る地域貢献活動を一気に充実させた。Jリーグが地域貢献の指標として報告した「ホームタウン活動実績」において、FC岐阜はJ1・J2全36クラブにおいて、最も多くの時間を記録していた。総活動時間は1489時間、Jクラブ平均が519.3時間であるから、他のクラブの約3倍である。
そして今西さんは、母校である東京教育大(現筑波大)のパイプを生かし、岐阜の財界2トップ、西濃運輸(大垣市)の田口義嘉壽会長、インフォファーム(岐阜市)の辻正会長からの支援を取り付けつつあった。ふたりの会長も今西さんの人柄に惹かれていった。
しかし、やがてライセンス事務局の職員は、本来、直接対話すべきFC岐阜の社長ではなく、秘密裏に岐阜県庁や市役所と直接やり取りを重ね、クラブ人事に介入していった。岐阜県庁もライセンス制度を前にして腰が砕け、恩人である今西さんを守ろうとするどころか、排除に向かう。県庁への情報公開請求で明らかになったが、この頃、Jリーグと岐阜県庁は、メールやFAXで頻繁に連絡を取り合い、今西おろしの策動を粛々と進めていた。
県庁はFC岐阜というクラブが、今西社長のもとで真に地域に愛されるクラブづくりに向けて動いている現状を見ずに、ただライセンス事務局の顔色だけを窺っていた。県の商工労働部次長(当時)は、厳秘文書として「JリーグはFC岐阜を『予算管理団体に指定し、発表する予定』」「身の丈に合った形でFC岐阜を位置付け直すことは、今西体制では無理」とのレクチャーをアンダーグラウンドで古田知事に行なっている。
古田知事はとたんに掌を返し、「予算管理団体に指定されても、県は増資をしない」と明言、大恩ある今西さんを叱責し、解任する側に回った。J2昇格時の「県庁は応援しますから、ぜひ社長になってください」という言葉は紙くずのように軽く捨てられた。
試合会場に入る関係者パスまでも取り上げられた今西さんは、それでも最後までスタジアムへ足を運び、一般席の最前列からFC岐阜の選手たちに声援を送っていた。「頑張れ! 落ち着いていけ!」「練習どおりにやれば大丈夫だ!」と、選手を激励するエリアにも入れてもらえないなかでも、必死に声を張り上げるその姿を見て、近しい者は涙が止まらなかったという。
【岐阜の未来を考え、岐阜のために仕事をしなさい】
最終戦が終わると同時に、岐阜の社宅も引き払うように言われていた。古田知事は、すべての負の責任を、広島からやってきてくれた今西さんに押し付け、追い出した。それでも今西さん自身は、解任劇のことはいっさい口にせず、誰かの批判をすることもなかった。ゆえに、こうした内情は表には出ず、「今西さんは、岐阜では経営者としては大失敗した人」という評価が一般的に流通していた。
私も当然知らなかった。教えてくれたのは、岐阜出身の電通マンでワールドカップやオリンピックといった国家的スポーツ事業を手掛けてきた小林住彦(電通スポーツ局サッカー事業室アジア部専任部長)だった。小林はこう言った。
「FC岐阜の社長として孤軍奮闘していた今西さんの仕事ぶりを、私は近くで見ていて本当に感動しました。しかし、このままでは今西さんが単にクラブ経営に失敗した人になってしまいます。今西さんが、岐阜のために全身全霊で尽くしたことについて、岐阜県人が何も知らないままでいいのか。サッカーを仕事としてきた自分としては、それだけは許せない。今西さんの本を書いていただきたい」
それは小林自身、大きなリスクを伴う行動だった。県庁やJリーグ、さらには自身の会社から圧力がかかることも予想されたが、ひとりの岐阜の人間として立ち上がったその姿に私は感動した。それで書き上げたのが、『徳は孤ならず 日本サッカーの育将 今西和男』(小学館文庫)であった。当時のJリーグクラブライセンス事務局職員による、ライセンス交付と引き換えに今西社長を辞めさせろという、地方クラブへの人事介入、そして、その圧に屈した政治家と役人の保身が、純粋な子どものような人物を追い落とした醜悪な解任劇の詳細は、追悼の記事でこれ以上書きたくないので、そちらに譲る。
取材をするうえでは、県庁のメールも情報公開請求の対象になっていたおかげで、酷い事実をあぶり出すことができた。それをもとにJリーグや県庁の当事者たちに直接、当てることができたのである。この不条理な解任とパワハラに憤怒していた岐阜の今西チルドレンたちも、積極的に取材に応えてくれた。彼らの多くも、訃報を聞いて広島の告別式に参列している。FC岐阜のスタッフたちが、今西さんにつねに言われていた言葉があるという。
「『いい選手を連れてこい』とか『いいスポンサーを呼んでこい』じゃないんです。『君たちはいつも岐阜の未来を考えて、岐阜のために仕事をしなさい』と言われていました」
【今西さんの薫陶を受け、魂を受け継いだ人たち】
経済界との意見交換会の議事録でも明らかになっているが、2012年夏には、債務超過解消に向けた今西さんの奔走によって、前出の田口会長と辻会長からも1億5000万円の拠出と継続支援の言質も取れていた。本人も選手育成と理想のクラブづくりのために続投を考えていた。にもかかわらず、目先のライセンス交付に拘泥した古田知事は、岐阜にサッカークラブがあることの幸福や、恩人でもある今西和男というサッカー界の稀有なリーダーの本質を最後まで理解できていなかった。しかし、首長はそうであっても、小林たち、民間で薫陶を受けた人々は、その魂を受け継いでいる。
FC岐阜を離れたクラブスタッフの何人かは、宮崎でヴェロスクロノス都農というチームに携わり、この九州の地で地域に愛され、地域に必要とされるクラブづくり、要は今西イズムを体現しようと活動を積み上げている。メンバーのひとりはこんな言葉を寄せてくれた。
「当時のFC岐阜の選手やスタッフの仲間の多くが、サンフレッチェ広島で薫陶を受けたメンバーと同じように、今西さんの影響のもと頑張っていると感じています。岐阜では最悪な出来事もありましたが、やはり今西さんは今西さんらしく、岐阜でも人を存分に育てて、大いに愛されていました」
岐阜県羽島市に生まれ、現在サンフレッチェ広島に在籍するDFの志知孝明は、今西さんがいた時のFC岐阜のU-18の選手であるが、ピッチ内外で発揮される、責任感あふれるその言動には今西イズムが満ち満ちている。今は背番号が16であるが、タイミングが合えば、在籍クラブで必ず13番を背負ってくれている。FC岐阜出身者が、永久欠番となっている13番を選ぶことの深い意味と意義は、これもまた拙著をお読みいただきたい。
「ワシは岐阜の人の力になりたかっただけなんじゃが、こんなことなら、もう岐阜には来たくない」と漏らしていた今西さんも、毎年、慕って広島にやってくる教え子たちの報告を受けると、自然と再び岐阜に足が向かった。
今西さんの功績は、石もて追われた岐阜でもしっかりと根付いている。クラブ組織として見た時に、サンフレッチェ広島は今西さんがいなくとも成立していたかもしれないが、FC岐阜はこの育将がいなければ、Jリーグ加盟はなされていなかった。ひとりでも多くの岐阜の人にそのことを知ってもらい、そして感謝とともに逝去を悼みたい。今西さん、日本サッカーのために、地域のためにありがとうございました。合掌。

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