【連載】人生を変えた「恩師」を語る
From佐藤勇人toイビチャ・オシム(中編)
◆佐藤勇人・前編>>オシムとの出会い「挨拶を拒否。あの時はちょっとざわついた」
イビチャ・オシム監督がジェフユナイテッド市原・千葉にもたらした衝撃は、ピッチ上の結果だけではなかった。
オシムチルドレンの佐藤勇人氏が振り返ったのは、主力の座に安住することを許さない「常に競争がある」濃密な日々。鬼気迫る練習の裏側にあった師弟の絆(きずな)と、初タイトル獲得の舞台裏で指揮官が見せた「リスペクト」の真意に迫る。
※ ※ ※ ※ ※
── オシムさんのチーム作りのなかで、印象に残っていることはありますか。「やっぱり、常に競争を与えてくるところですね。まったく絡めていない選手でも、『もしかしたら次の試合でチャンスがあるかもしれない』と思わせるのが、オシムさんのすごいところなんです。オシムさんは試合に出ていないメンバーの練習を見ることがよくありました。本当に一人ひとりのことをしっかりと見てくれるんですよ」
── 勇人さんは主力としてプレーしていましたが、試合に出られなくなるかもしれないという危機感はあったのでしょうか。
「常にありましたね。当時、U-23日本代表に選ばれていたんですが、合宿に呼ばれると行きたくなかったですから。行って帰ってきたら、もうポジションがないんじゃないかって。
一度、インド遠征から帰ってきた時に、オシムさんにガンジス川に行ってきたのかと聞かれて。いや、行ってないですと言ったら、『お前、何をしに行ったんだ』って、謎に怒られたこともありました(笑)。ちょっと話の流れとは関係ないですけど、そんな思い出もありますね」
── オシムさんの練習は日々新鮮で、毎日練習に行くのが楽しみだという話を聞いたことがあります。
「本当に練習を1日も休みたくなかったですよ。ちょっとした痛みがあっても、休みたくなかったです。この人の練習をやったら絶対に上達するし、絶対に強くなるということを実感していましたから。
オシムさんも求めていましたしね。一度、僕が肉離れした時に、『お前、2日で治せ。週末、行くぞ』と言われた時もありました。休ませたくないっていう思いを持たせるのも、オシムさんはうまかったですね」
【一度も褒められたことがない】
── トレーニングの内容は常にブラッシュアップされていくわけですよね。
「毎日でしたね。当時の市原のグラウンドは本当に遠くて、練習を見に来る人はほとんどいなかったんですけど、オシムさんが来てからは、メディアの人たちもそうですし、ファンの人たちもたくさん来ていましたね。
選手を見に来るっていうよりも、オシムさんの練習を見に来るんですよ。
── オシムさんから信頼されていたと感じることはありましたか。
「正直、信頼を感じることはあまりありませんでした(笑)。一度も褒められたことがないんですよ。怒られたことしかなかったですし、ここに書けないような厳しい言葉もぶつけられました。お前のせいだと言われたこともありましたけど、それでも試合に使ってくれましたし、求められることもすごく高かったので、その意味では信頼されていたのかなと。
自分のことを認めてくれていたんだと思ったのは、亡くなる少し前に動画の企画でオシムさんと対談をした時です。その時に『勇人は私にとって、特別な選手だった』と言ってくれたんです。勇人のことがすごく好きだったって。まさかそんなことを言ってくれるとは思わなかったですけど、その時に初めて知りましたね。こういうふうに思ってくれていたんだなって」
── どういう部分を評価されていたと、ご自身で分析されますか。
「やっぱり犠牲になって、チームのために汗をかいて働けるところじゃないですかね。
一度、ミドルシュートで点を取った時に怒られたことがあるんですよ。普通の監督だったら褒めてくれるんでしょうけど、お前は点を決めなくていいんだよって。そんな監督、います? 点を取ることは求められていなくて、チームのために犠牲になって、ハードワークしてればいいんだよと。オシムさんが僕に求めているのは、そこだけだったんでしょうね」
【オシムさんは監督以上に教育者】
── それも愛情の裏返しでしょうか?
「オシムさんは、若い選手が活躍して潰されていくのをたくさん見てきたので、調子に乗らないようにあえて厳しく接したのかもしれませんね。一度、(サンフレッチェ広島にいる)寿人との双子対決の試合があって、僕が2点を決めて勝ったんです。それで試合後にメディアの人にずっと囲まれて、いろいろ聞かれたので話していたんですが、突然オシムさんが自分のうしろに来て、思いっきりお尻を蹴られましたから。早くバスに乗れ、みたいな感じで」
── そのあたりもちゃんと管理されていたわけですね。
「正直、納得いかなかったですけどね。2点決めてチームを勝たせたと思っている自分が、いきなり蹴られて怒られるわけですから。
たぶんオシムさんは、サッカー選手の佐藤勇人とは見ていないんですよね。22歳の佐藤勇人として、この選手が人間としてどれだけ成長できるかを考えてくれている。自分が調子に乗らないように、律してくれていただけなんだと、あとになって思うことができました」
── まるで、先生のようですね。
「オシムさんは監督以上に教育者だと思っています。でも、それは僕ら選手だけじゃなくて、クラブスタッフにも、サポーターやファンの人たちにも、地域の人たちに対してもそういうふうに接していたので、そう感じた人はたくさんいると思います」
── 結果的にオシムさんの下ではリーグ優勝を成し遂げられませんでしたが、就任3年目の2005年にナビスコカップでクラブ初となるタイトルを獲得しました。
「やっぱりリーグタイトルを獲りたい、獲らなくちゃいけないという思いはあったんですが、大事な試合を落としてしまって、そこにたどり着けなかったのは僕らの力不足だったと思います。
ただ、オシムさんは率いたチームですべてタイトルを獲得してきた監督なので、ナビスコカップを獲れたことは最低限の成果を出せたと思っています。決勝の相手はガンバ大阪だったんですが、試合もそうですけど、試合前日の前夜祭が印象に残っていますね」
【胴上げを拒否した理由とは】
── 何があったのでしょうか。
「当時、ガンバとジェフはまだタイトルを持っていなくて、どっちが先にタイトルを獲るかって注目されていたんです。ガンバはタレント揃いで、リーグでも調子がよかったので、世間的にはガンバが優勝するだろうっていう空気だったんですよね。そしたら前夜祭で、いきなりオシムさんがメディアの前で、スタメンを発表したんですよ」
── サッカー界ではあまりないことです。
「本当にそんなこと、普通しないじゃないですか。ギリギリまで隠して相手にバレないようにするのが普通ですし、練習を見せないチームもたくさんあるなかで、オシムさんはこのメンバーで行くからと。
それも陽動作戦ではなく、本当にそのままのメンバーで戦ったんですが、なぜ監督がそのようなことをしたかというと、僕の考えでは、そのメンバーに対しての信頼を表したんじゃないかなと。周りはガンバが勝つと思っていようが、お前らなら勝てるというオシムさんなりのメッセージだったと思います。
あとは、緊張を和らげる意味もあったのかなと。
── ボロクソに怒るようなイメージはなかったですけど。
「もうボロクソですよ。それを通訳の間瀬(秀一)さんが訳して言うんですが、途中から間瀬さんにムカついてましたよ(笑)」
── ナビスコカップの決勝では、PK戦でオシムさんがベンチからいなくなるという"事件"もありました。
「僕らはピッチにいたので、オシムさんがベンチから引き上げたところは見てないですけども、あとでチームスタッフに聞いたら、モニターだけは気にしていたらしいです」
── 優勝が決まった瞬間は、どういう想いがこみ上げてきましたか。
「ようやくオシムさんにタイトルを届けられた、という安堵の想いが強かったですね。オシムさんはどんな想いでいてくれているんだろうなと思って、ピッチに戻ってきたオシムさんの表情を見た時に、ちょっと涙目になっているように感じたので、それが本当にうれしかった。
それで胴上げをしようという流れになったんですが、そこでめちゃくちゃキレられるという(笑)。あとでメディアに『なぜ胴上げを拒否したんですか』と聞かれたオシムさんは、『選手に殺されたくないからだ』って言っていました」
【オシムさんはすごく悩んでいた】
── ナビスコカップ優勝を経て、次はリーグ優勝を目指すなか、2006年の夏にオシムさんが日本代表の監督に就任することが発表されました。選手の立場として、どういう感情が湧いてきましたか。
「たしか岐阜でキャンプをやっている時に、ニュースで川淵(三郎/当時・日本サッカー協会会長)さんの映像を見て知りました。まだシーズンの半分も残っていましたから、なんで? と思いましたよ。
翌日の朝にはホテルの外が騒がしくなって、ものすごい数のメディアの人が集まっていました。朝食会場にはオシムさんもいたんですが、そのことには触れられず、練習グラウンドに行った時に、オシムさんから『この状況では君らの練習を見ることができない』と言われました。
オシムさんは遠くから僕らの練習を見ていて、コーチ陣が僕らの練習を取り仕切ったんですけど、集中はできなかったですし、僕らはオシムさんに依存している部分がかなりあったので、そこの不安も拭えませんでした」
── その後はどうなりましたか。
「オシムさんは数日キャンプに残っていたんですが、途中で帰ったんですよね。その後に当時の祖母井(秀隆)GMから話があって、オシムさんはすごく悩んでいたと言っていました。これだけ選手に迷惑をかけるのであれば、ジェフも辞めるし、日本代表の監督も断って国に帰るということも言っていたそうです」
── 最後の挨拶はなかったのですか。
「それも断ったみたいですね。そんなもの必要ないと。でも、それに対して僕らはなんとも思わなかったというか、やっぱり信頼関係がありましたから、オシムさんらしいなと。ただ、もうオシムさんの練習ができないことを考えると、本当に寂しかったですね」
(文中敬称略/つづく)
◆佐藤勇人・後編>>オシムの無茶ぶり「焼きそばの麺と具を分けて出してくれ」
【profile】
佐藤勇人(さとう・ゆうと)
1982年3月12日生まれ、埼玉県春日部市出身。ジェフユナイテッド市原(現・千葉)のジュニアユース、ユースを経て2000年にトップチーム昇格。イビチャ・オシム監督のもとでチームの黄金期を支え、2005年と2006年のナビスコカップ連覇に貢献。2006年に日本代表デビューを果たす。2008年に京都サンガF.C.へ移籍するも、2010年に「愛するクラブをJ1へ戻す」決意で千葉へ復帰。2019年に現役引退。現在はジェフユナイテッド千葉のクラブユナイテッドオフィサーを務める。国際Aマッチ1試合0得点。ポジション=MF。身長170cm。

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