◆革新者の全体像を構築
大田美佐子の秀作『クルト・ヴァイルの世界』は、新たな評伝を書く意欲に満ち満ちている。しかも、ヴァイル自身の定義「今日の演劇が人間を描こうとするならば、音楽はこれまでのような心理的な性格づけの役割を捨てて、人間を描くことを第一に考える必要がある」を、本書のなかで見事に実現している。
ベルリンの南西、デッサウに生まれ、現代音楽の作曲家として出発した。ヴァイル音楽、ブレヒト劇作の『三文オペラ』の成功によって、従来のオペラの枠にとらわれず、新たな音楽劇を作り上げた。アメリカ文化、とりわけジャズの影響を受けて画期的な革新をなしとげた彼は、ナチスに追われてアメリカに亡命し、ブロードウェイの世界でも活動を行った。本書は「二つのヴァイル」を、ひとりの人間の知的な営為として一貫させる。
大衆に迎合したかのような批判は、成功者に対してつきものの論難である。音楽出版社との思惑の食い違いも興味深い。著者は、クラッシックが上、ミュージカルが下とは、考えない。なかでも『闇の中の女』の分析がすぐれている。精神分析や夢判断をテーマとしたこの作品で、ヴァイルがその音楽の身振りをコントラスト豊かに描き分けていると評する。1940年代初頭、強い女性を、アクロバティックな演出で描いた様子は、映画『スター!』(68年)で垣間見ることができる。
本書の特色は、何よりヴァイル自身が書き残した文章を適切かつ簡潔に引用しているところにある。
周到な調査と考察に裏付けられ、読み物としても成熟している。本書の成功は、大田の清涼な文体によるものだ。
【書き手】
長谷部 浩
1956 年生まれ。慶應義塾大学卒。演劇評論家、東京藝術大学名誉教授。 現代演劇から歌舞伎まで幅広く評論活動を展開。著書に『4 秒の革命 東京の演劇1982-1992』(河出書房新社)、『傷ついた性 デヴィッド・ルヴォー演出の技法』(紀伊國屋書店)、『野田秀樹論』(河出書房新社)、『権力と孤独 演出家 蜷川幸雄の時代』(岩波書店)、『天才と名人 中村勘三郎と坂東三津五郎』、『菊五郎の色気』(いずれも、文春新書)、『菊之助の礼儀』(新潮社)など。蜷川幸雄との共著に『演出術』(ちくま文庫)。また、編著に『坂東三津五郎 歌舞伎の愉しみ』、『坂東三津五郎 踊りの愉しみ』(いずれも、岩波現代文庫)などがある。紀伊國屋演劇賞審査委員。
【初出メディア】
東京新聞 :2022年5月7日/中日新聞:2022年5月8日
【書誌情報】
クルト・ヴァイルの世界──実験的オペラからミュージカルへ著者:大田 美佐子
出版社:岩波書店
装丁:単行本(494ページ)
発売日:2022-03-09
ISBN-10:4000226452
ISBN-13:978-4000226455