今年3月、京都の南丹市園部町で小学5年生の男児が行方不明になり、遺体で発見されるという痛ましい事件が起こった。マスメディアの報道も過熱する中、のどかな町の上空には取材陣のヘリが飛び、日常は奪われた。

同町出身のライターが、“私が見た町の景色”そして変わってしまった日常について、葛藤をまじえて書く。





■“事件の町”として知られてしまった園部町



「3月23日から南丹市の日常は大きく変わりました」



 結希君の遺体が発見されたあとの記者会見で、南丹市教育長はそう語った。その言葉は、まさしく町民の思いを代弁しているように聞こえた。



 筆者は園部町で生まれ育ち、現在も定期的にこの町へ帰っている。



 今まで、初めて会う人にこの町に住んでいると話しても、伝わらないことがほとんどだった。



「京都市内から電車で40分ぐらいのところです」



「京都と福知山の間ぐらいの場所です」



「サンガスタジアムがある亀岡市から、さらに20分ほどの町で……」



 そんなふうに説明して、どうにかイメージしてもらう。それが、私にとっての園部町だった。しかし事件以降は違う。



「いまニュースで取り上げられている南丹市の……」と言えば、すぐに伝わるようになった。



 もちろん、町の名前を知ってもらえること自体が悪いわけではない。



 しかし、このような痛ましい事件と結びつく形で知られることには、どうしても複雑な思いが残る。





■防災無線とヘリコプターが変えた、町の日常



 園部町は、人口約1万5,000人の小さな町だ。



 山や田んぼが身近にあり、買い物や外食ができる店も多くはない。今年3月にマクドナルドの園部店ができたことも、かつての同級生に話したくなるほど、嬉しいニュースだった。







 私自身、子どもの頃からずっとこの町が好きだったわけではない。むしろ昔は、田舎で何もないように思えたこの町が嫌だった。しかし、一度外に出て、また戻ってくるようになると、見え方は変わった。



 朝夕に自然の音を聞きながら歩きたくなる道がある。



 道の駅には地元の新鮮な野菜が並び、田畑を耕す人たちとすれ違いざまに挨拶を交わす日常がある。



 利便性が高いとは言えないけれど、ここには毎日の暮らしを静かに受け止めてくれる風景がある。



 そんな園部の日常が、3月23日以降、変わってしまった。



 町民の家庭に設置されている防災行政無線からは、連日、安達結希君に関する情報提供を呼びかける放送が流れた。



 南丹市役所の危機管理対策室によると、警察が3月25日の夜に公開捜査に踏み切ってから、4月13日夕方に結希君の遺体が発見されるまで、毎日3~4回、各家庭に情報提供を呼びかける放送が流れていたという。



 これまで防災行政無線から聞こえてきたのは、大雨への注意喚起や火災予防のお知らせなど、日々の暮らしに関する放送ばかりだった。



 この変化は、園部の日常がこれまでとは違うものになってしまったことを、否応なく住民に知らせる音でもあった。



 ちょうどその放送が流れ始めた頃、筆者は東京と園部の実家をネットでつないで通話していた。実家には、小学生の甥と中学生・高校生の姪が遊びに来ていた。



 子どもたちは、スマートフォンで結希君の写真を見せながら、同じ町で小学生の男の子が行方不明になっていることを教えてくれた。



 通っている学校は違っても、同年代の子どものこととして気にかけている様子が伝わってきた。



 そして、園部の上空には、新聞社やテレビ局のヘリコプターが相次いで飛ぶようになった。



 園部町内の高校に通う姪に聞くと、ヘリコプターによる空撮は、報道が過熱してから遺体が発見されるまでの間がピークだったという。



 当時は、朝から昼頃まで、3台ほどのヘリコプターが飛ぶような状況だった。



「音がうるさくて、授業に集中できなかった」と振り返る。





■事件の前にも後にも、「るり渓」はそこにある



 多いときには40人ほどの報道陣が南丹警察署付近に集まっていたほか、スーパーに買い物に来た地元住民に声をかけ、聞き込み取材をする姿もあったという。ただ、取材を断る住民も少なくなかったようだ。







 筆者自身も、南丹警察署の近くを通った際、ずらりと並ぶ報道陣の姿を何度も目にした。



 また、結希君が通っていた園部小学校へ向かう道で、身を寄せ合うように足早に歩く父子の姿を見かけた。子どもに寄り添う父親の後ろ姿からも、事件が近隣住民に与えた不安の大きさが伝わってきた。



 現在、南丹警察署前に報道陣の姿はない。



 ネットで南丹市のニュースを検索しても、事件直後のように新しい記事が次々と出てくる状況ではなくなっている。



 しかし、報道が去ったあとも、町に残るものがある。



 園部町が“事件の町”として全国に知られてしまった事実。



 これまで疑うこともなかった町の平穏が、ある日を境に揺らいだこと。



 そして、子どもの命が失われる事件は、どの町でも起こり得るのだという重い問いである。



 事件現場とされているのは、「るり渓温泉」へ向かう道にある公衆トイレ付近だと報じられている。



 「るり渓」は、園部を代表する自然景勝地である。







「るり」とは、紫色を帯びた紺色の宝石のこと。



 明治時代にこの地を訪れた郡長が、その美しさに感動して名づけたといわれている。

約4キロの散策道には「るり渓十二勝」と呼ばれる滝や岩が点在し、平成8年には「残したい日本の音風景百選」にも選ばれている。



 そして、その一角には、温泉や宿泊、食事、アクティビティを楽しめる「ASOBIYUKU 京都るり渓温泉」がある。自然の中で遊び、泊まり、癒やされ、食事を楽しめる場所として、地元だけでなく他府県からも多くの人が訪れる場所だ。



 今年2月には、一棟貸しの宿泊施設「ASOBIYUKU VILLA」も開業したばかりだった。そうしたなかで結希君の事件が起き、施設の予約キャンセルが相次いだことも地元紙で報じられた。 



 しかし、事件の前にも後にも、るり渓の自然は変わらずそこにあり続けている。



 清流の音、山の緑、吹き抜ける風。



 その一つひとつが、訪れる人たちの心を、そっと受け止めてくれる。





■報道陣が去ったあとも、町には暮らしが残る



 この場所を知らない人にとって、園部町はしばらく「事件があった町」として記憶されるのかもしれない。



 しかし、ここには、この町で生まれ育ち、この町で子どもを育て、この町の風景に支えられて暮らしている人がいる。その人たちにとって、園部は帰る場所であり、暮らしを続ける場所でもある。



 結希君の事件をめぐっては、メディア報道の過熱ぶりも問題視された。



 テレビやネットニュースで連日のように取り上げられる一方で、これ以上事件を扱い続ける必要があるのか、視聴者に何を届ける報道なのかを問う声も上がった。



 さらに、SNS上では容疑者の勤務先などをめぐる誤った情報も広がった。事件の全容を知りたいという人々の関心が、憶測やデマを拡散させ、関係のない人や施設を傷つけることにもつながっていた。



 私自身も、地元で起きた事件を前に、何かを伝えなければならないのではないかと考えていた。しかし、町民が無遠慮な取材に戸惑っていることも知っていた。



 園部には、かつてお世話になった学校の先生がいる。



 同じ教室で過ごした友人たちがいる。



 直接は知らなくても、どこか遠い親戚のように感じる町の人たちがいる。



 目新しい情報を追うためだけに、顔の浮かぶ人たちの不安や悲しみに踏み込むことには、どうしてもためらいがあった。



 報道には、事件を社会に知らせる役割がある。



 けれど、事件を追う熱量が、いつの間にか誰かの不安や悲しみを“見せる材料”に変えてしまうことがある。



 私自身も伝える側のライターとして、報道のバランスを考えさせられた。

その境界を見失ったとき、報道は、町に残る傷をさらに深くしてしまうのではないだろうか。報道が去ったあとも、町には、日々の暮らしが続いていく。







取材・文:谷口友妃

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