5月26日から28日までの三日間にわたって、「岩手漫画家応援ツアー」なる計画が実行された。これは、しりあがり寿が発起人となり、市川ラク、寺田克也、三宅乱丈、安田弘之、安永知澄、吉田戦車(五十音順、敬称略)といった漫画家たちが集まり、このたびの震災で大きな被害を受けた岩手県を応援しようというものだ。


この三日間に彼らが岩手でおこなったイベントは、次の3つ。
 1.釜石市立釜石東中学校での漫画体験授業
 2.箱崎半島での瓦礫撤去ボランティア
 3.盛岡MOSS前広場でのチャリティサイン会
このツアーに、わたしもスタッフとして同行してきたので、そのレポートをお送りする。まずは1日目から。


■釜石東中学校での漫画体験授業

朝10時、ツアーの参加メンバーがJR盛岡駅に集合した。少々風は強いものの天気は快晴。駅から外へ出てみると、目の前に広がっていたのは、ごく普通の地方都市の風景だった。盛岡は海岸線からは約70キロもはなれているため、津波の被害がないのは当然として、地震で壊れた建物もとくには見当たらない。出発前には「いよいよ被災地に足を踏み入れるぞ」という気持ちでいたものだから、なんだか拍子抜けしてしまう。

今回のツアーは、漫画家さん7人の他に、その関係スタッフや現地でのコーディネートをしてくれるNPO(SAVE IWATE)の方々など総勢14名での移動となる。そのため、駅前のレンタカーで2台のワンボックスカーを借りる。まずはこれで初日の目的地である釜石東中学校へ向かうのだ。

正確には、われわれが向かうのは釜石東中学校ではなく釜石中学校だ。
海寄りにある釜石東中学校は、校舎をまるごと津波に飲み込まれ、いまでは廃墟となってしまった。3階の窓に自動車が突き刺さっている映像をニュースで見た人もいることだろう。
幸い、この学校では防災教育がしっかりしていたので避難がはやく、ひとりの被害者も出さずにすんだ。しかし、授業を再開しようにも校舎が使えなくなってしまったので、現在は内陸側にある釜石中学校を間借りして、釜石東中学の生徒たちは勉強しているというわけだ。

およそ2時間ほど車を走らせて、釜石市に入った。このあたりまで来ると、ところどころで壊れた家や、ひしゃげたガードレールなどを見かけるようになってくる。災害支援にきている自衛隊の車輛ともたびたびすれちがい、被災地に来たことを実感する。

そうこうするうち釜石中学校に到着した。着いて早々にきかされた言葉に衝撃をうける。
「当校では、生徒たちのうち7割が津波で家を流されました。そのうちの10数人は親御さんを亡くしてもいます」
ニュースではなく直接きかされると、さすがにその事実が重くのしかかる。けれど、外からボランティアにやってくるわれわれよりも、当事者である生徒たちの方がよっぽど心に重いものを抱えているはずだ。
それを表に出さず、一生懸命に日常を取り戻そうとしている生徒たち。
「あまり過敏にならなくても大丈夫です。普通に、明るく、接してあげてください。それだけで十分です」
その通りだな、と思う。そのための「漫画体験授業」でもある。プロの漫画家による原稿制作の実演を見てもらうことで、一瞬でもつらいことを忘れてもらえたら。みんなで一緒に漫画を描くことで、何かが出来上がっていくことのよろこびを感じてもらえたら。そのためにやって来たのだ。

授業は4つのクラスにわかれておこなわれた。教材は、事前に用意してきた各作家たちの漫画原稿(ペン入れだけ済ませたものや、フキダシが空白のものなど)で、これに生徒たちがみずから着色したり、セリフを書き込んだり、スリーントーンを貼り込んだりするなどして、漫画制作の実作業を体験してもらう。
生徒たちは、初めて目にする漫画の原稿に驚きながらも、プロの先生方からアドバイスを受けて漫画制作をするという、一風変わった授業を楽しんでくれたようだった。

こうした授業と並行して、ビッグコミック・スピリッツに連載中の「ひらけ相合傘」から次号掲載用の原稿を用意してきた吉田戦車氏は、授業時間内にペン入れを仕上げるという「手打ちうどん実演方式」で生徒たちの目を惹き付けていた。

また、寺田克也氏は、教室のホワイトボードにいきなり大迫力のイラストをグイグイ描いていくパフォーマンスを見せて、生徒たちの度肝を抜いていた。

授業を終えた一行は、明日の活動に必要なボランティア登録と保険に加入するため、釜石の港にあるボランティアセンターへ向かった。

最初に釜石市内に入ったときには、それほど地震や津波の被害を感じられなかったけれど、このボランティアセンターからさらに海の方へ向かった瞬間、景色がガラリと変わった。さすがに震災から2ヶ月以上経過しているので、支援の車輛が通れるように道路だけは整備されていたが、そのために取り除かれた瓦礫が、道路の左右に山積みになっている。信じられない量だ。
そこからさらに進むと、もう本当に何もない。まるで巨人の手で地面をザーッと薙いでいったようだ。

結局その日は、釜石の港から大船渡を通って、陸前高田の状況を訪れてみた。どれも津波で町ごとさらわれてしまった地域だ。

陸前高田で車を停め、強い海風が吹き抜ける平野に立った。もちろん、元は沢山の建物があった場所だ。それがみんな流されて平野になっている。
鉄骨ごとむしり取られている跡が生々しい。木造家屋が津波で押し流されるのはイメージできても、まさか鉄筋コンクリートの頑丈な建物までもが根こそぎ運び去られているとは想像できなかった。ニュースで散々見て、知ったつもりになっていた場所が、現実としてそこにあった。
(とみさわ昭仁)

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