折しも、先週5月12日放送の「いだてん」第18話では、主人公・金栗四三(中村勘九郎)の妻・スヤ(綾瀬はるか)が男児を出産したばかりだ。だが、四三は出産にも立ち会わず、全国をひたすら走り回っていた……。
孝蔵、美川と小梅……戻ってきた彼らを待っていたもの
第18話は「戻る」「帰る」というのが、複数のエピソードに共通するキーワードになっていたように思う。
まず、若き日の古今亭志ん生=三遊亭朝太こと美濃部孝蔵(森山未來)が、地方のドサ回りから久々に東京・浅草に戻ってきた。そこで再会した俥屋の清さん(峯田和伸)から、自分が徳重(とくじゅう/榊英雄)というヤクザ者に狙われていることを知らされ、驚愕する。何でも徳重は、遊女の小梅(橋本愛)と付き合っていたが、もともと浮気っぽい彼女のこと、ほかに男をつくられてしまう。そこで浮気相手は誰かと彼に問い詰められた小梅は、朝太の名を答えたというのだ。以来、徳重は孝蔵に恨みを抱く。もちろん小梅はとっさにウソをついたのだが、孝蔵としてみればとんだ濡れ衣である。おかげで彼は徳重とその手下から身を隠さなければならなかった。
孝蔵を窮地に追いやった張本人の小梅はといえば、四三の中学〜東京高師の同級生である美川秀信(勝地涼。そういえば彼も妻・前田敦子とのあいだに第一子が生まれたばかり)と駆け落ちしていた。思えば、二人が出てくるのも久々で、ドラマに帰ってきたといえる。
夫の留守をいいことに、スヤはここぞとばかりに「美川に言ってもしょうがなかばってん」と何度も繰り返しながら美川相手に愚痴をこぼす。そりゃ、身重ながら上京したにもかかわらず、肝心の夫は留守で、あいかわらず自分の好きなこと(マラソン)に没頭しているのだから当然だろう。
そんなスヤに美川は、四三が日記で彼女について書いたくだりを読ませる(こっそり友人の日記を盗み読んでいたのがまた美川らしいが)。そこには、四三が夢のなかでベルリンオリンピックで金メダルをとり、その祝勝会にて恩師や友人たちに、スヤを妻として紹介する様子が書かれていた(現実にはこの時点で四三の結婚を知っていたのは、播磨屋の一家と美川だけだった)。さらに日記の結びでは、「スヤの励ましと支援に応えるに金メダルほどふさわしきものなし。目が覚めて思う。いつかこの夢をかなえん。スヤと生まれてくる子のために」とあり、スヤは夫が自分と子供のことを常に思っていたことを知る。
結局、四三が夜遅くに播磨屋に戻ってきたときには、スヤは一足先に帰路に就いていた。四三はスヤの乗った市電を追いかけ、次の停留所で追いつくと車内に乗り込む。そして彼女に渡したのは金メダル……ではなく安産祈願のお守りだった。スヤが夫の足もとに目をやれば、何と裸足だ。
四三「泊まらんね?」
スヤ「帰ります」
四三「そぎゃんね。……あっ、俺も夏には帰るけん」
スヤ「そぎゃんね」
四三「いや……うん」
四三とはそんなそっけない言葉を交わし、スヤはそのまま熊本へ帰っていった。結局、彼は出産には立ち会わずじまい。しかし、出産のときのスヤと、走り続ける四三と、その呼吸はぴったり重なり合う。こうして1919(大正8)年4月28日、スヤは無事、男児を出産、明治・大正の元号から1字ずつとって「正明」と命名される。その夏、四三は教え子の秋葉祐之とともに下関・東京間1200キロを20日間で走破。下関に来たなら、九州の熊本まで足を延ばせばいいものを、結局行かずじまい。
そのころ、イギリス留学から戻った東京女子師範学校教授の二階堂トクヨ(寺島しのぶ)は、イギリス仕込みの体操着やダンスを体育のカリキュラムに導入。師匠・永井道明(杉本哲太)に対し、あなたの指導は偏っていたと訣別を告げた。続いてアメリカに留学した可児徳(古舘寛治)も、なぜかサングラスをかけて帰国、東京女子師範の生徒を相手に、カニ歩きなどの動きを教えるとともに、教室で「私は女だ。それがどうした」と連呼させるという謎の授業を行なう。
この間にも四三の挑戦は続く。日光・東京間130キロを駅伝チームと一人で競走した。さすがの韋駄天も駅伝には勝てなかったが、東京に戻ってゴールインしたときも、播磨屋に無理を言ってつくってもらったゴム底の足袋は破れていなかった。それを確認した播磨屋主人の黒坂辛作(三宅弘城)は歓喜する(ちなみに史実では、四三が初めてゴム底の足袋を履いたのは、これより前の下関・東京間を走ったときらしい。ドラマで描かれていたように、辛作が四三の脱いだ足袋に頬ずりして泣いたのもこのとき)。このマラソンを走り終えて、四三は「もう、日本に走る道はなか」と言ったとか。
そこへフランスから嘉納治五郎のもとへ手紙が届けられる。それはIOC会長のクーベルタン男爵の親書で、翌1920年夏、8年ぶりにオリンピックを開催すると記されていた。この年、パリ講和条約により第一次世界大戦が終結、ヨーロッパに平和が戻り、ついにオリンピックも帰ってくることになったのだ! きょう放送の第19話では、箱根駅伝の創始とあわせ、オリンピック復帰に向けて四三はどう動くのだろうか。
存在感を増す清さんと五りん
本来は接点のないはずの古今亭志ん生(孝蔵)と金栗四三の人生を並行して描く「いだてん」だが、そこで二人の接点となっているのが俥屋の清さんだ。清さんは、二人のテリトリーを行ったり来たりしながら、孝蔵と四三いずれとも付き合う。何しろ俥屋なので、東京市内ならどこへでも行けるし、どんな人でも乗せる(前半では嘉納治五郎も乗せていた)。物語の進行上、便利な役どころといえる。作者の宮藤官九郎によれば、清さんのキャラクターは、志ん生に落語家になるよう勧めたという車夫の「盛さん」と、ストックホルムオリンピックの予選会に車夫が出場していたという実話から着想を得て、創作したものだという(「週刊文春」2019年5月2・9日号)。
その清さんがここへ来てどんどん存在感を増しつつある。先々週放送の第17話では、目標にしていたベルリンオリンピックが中止となり、すっかりふさぎこんでしまった四三をどうにか外に連れ出そうと叱咤激励していた。そして先週の第18話では、ヤクザ者の徳重が手下とともに孝蔵を追ってきたところを、清さんが体を張って阻み、その隙に孝蔵を逃がした。
ここへ来て出番が増えているといえば、昭和30年代のパートに登場する志ん生の弟子・五りん(神木隆之介)もそうだ。
振り返れば、五りんはかつて志ん生相手に、落語の世界はファンタジーで面白くないと、「僕がほしいのはドキュメントなんです」と言ってのけたことがあった。そんな彼が唯一、志ん生の高座で楽しめたのが「オリムピック噺」だった。ここへ来て志ん生が五りんに自分の代わりに史実を解説させているのも、そんな彼のドキュメント志向を踏まえてのことではないか。
ともあれ、五りんの語る「女子体育事始め」は、ガールフレンドの知恵(川栄李奈)に実際に当時の体操着(袴に革靴・たすきがけからチュニックへ)を着せて説明するなど、凝った趣向になっていた。チュニックとは、丈が腰から膝丈程度の短めのワンピースの一種だ。肌の露出は少ないとはいえ、女性は和装がまだ一般的だった大正時代、この服は衝撃であっただろう。
二階堂トクヨが留学したイギリスのキングスフィールド体操専門学校では、このチュニックが制服だった。留学する時点で、すでに女子師範の助教授だった二階堂だが、キングスフィールドで学ぶに際し、教師たちから体育やスポーツについて質問されても何も答えられなかった。そのときの悔しさが、彼女の貪欲なまでに学ぼうという姿勢につながる。ほかの生徒の何倍も練習に打ち込み、なかでも水泳の上達ぶりは、まわりが驚くほどだった。じつは彼女は、水泳の練習は1日30分という決まりをこっそり破って、3時間以上も練習していた。
「いだてん」では、三島弥彦の家の元女中のシマ(杉咲花)が女子師範に入学し、二階堂のもとで学びながら、体育・スポーツに目覚めていく。それも従順に学ぶのではなく、あくまで女性の美しさを重視する二階堂とはときに対立し、マラソンに挑戦したいと訴えてみたり、一人で街頭を走ってみたりする。そんなシマを通して、この時代の女子体育の位置づけや、体育と競技スポーツの違いが浮き彫りとなる。
清さん、あるいは美川は、実在の人物をモデルにしているとはいえ創作の部分が大きいし、小梅、五りんと知恵、シマはいずれも架空の人物だ。フィクショナルな存在の彼・彼女たちによって、四三と孝蔵をはじめ本来は関係ないはずの人々が結びつき、それによって物語が展開していく。「いだてん」の魅力は、そんなところにもある。
(近藤正高)
※「いだてん」第18回「愛の夢」
作:宮藤官九郎
音楽:大友良英
題字:横尾忠則
噺・古今亭志ん生:ビートたけし
タイトルバック画:山口晃
タイトルバック製作:上田大樹
制作統括:訓覇圭、清水拓哉
演出:松木健祐
※放送は毎週日曜、総合テレビでは午後8時、BSプレミアムでは午後6時、BS4Kでは午前9時から。各話は総合テレビでの放送後、午後9時よりNHKオンデマンドで配信中(ただし現在、一部の回は配信停止中)