日本分割計画はなぜ実行されなかったのか?
この計画案では、第二次世界大戦で日本と交戦したアメリカのほかイギリス、ソ連、中国の連合国が、日本を分割して管理するという案が示されていた。具体的にはソ連が北海道・東北地方、アメリカが関東・信越・東海・北陸・近畿地方、中国が四国地方、イギリスが中国・九州地方をそれぞれ管理下に置き、さらに東京は上記の4ヵ国が、大阪地区はアメリカ・中国が共同統治するものとされた。
同じく8月16日には、ソ連首相のスターリンが、アメリカ大統領トルーマンに書簡を送り、日本の北海道の北半分の分割占領を要求する。だが、トルーマンはこれに対し、「北海道、本州、四国、九州から成る日本列島の日本軍隊の降伏は、すべてマッカーサー将軍に対して行なうよう私の意図ですでに手配が進められている」と返答し、スターリンの要求をはねのけた。要求書簡を受け取ってから48時間後のことであった。この瞬間、JWPCの計画も意味を失い、トルーマンの手に渡るまでもなく、事実上、廃案となって消滅する(玉井勇夫ほか『NHK「日本の戦後」取材記 上 日本分割』学習研究社)。
アメリカによる日本分割占領案の存在は、1974年、当時広島大学の助教授だった五百旗頭(いおきべ)真がアメリカの国立公文書館の所蔵資料から確認した。その2年後、五百旗頭から話を聞いたNHKの取材班は、この計画の全貌をあきらかにすべく取材を始める。その成果は、1977年4月に放送開始されたNHK特集の大型シリーズ「日本の戦後」の第1回でとりあげられた。くだんの占領案について、五百旗頭は初めて見たとき、《信じられないという気持ちと、やっぱりという気持ちがあい半ばする、複雑なショックを受けた》と後年記しているが(五百旗頭真『日米戦争と戦後日本』講談社学術文庫)、おそらく当時NHKの番組を見た人たちも衝撃を受けたことだろう。
再現ドラマにより占領下の日本を描いたNHK「日本の戦後」
NHK特集「日本の戦後」は、「日本分割──知られざる占領計画」と題する第1回を皮切りに、1978年2月まで全10回が放送され、現在、NHKオンデマンドでも配信中である。このシリーズでとりあげる「戦後」は、日本が敗戦後、連合国に占領され、マッカーサーを最高司令官とするGHQ(連合国最高司令官総司令部)の間接統治のもと新憲法の制定をはじめ諸改革を推し進め、1951年のサンフランシスコ講和条約の調印(条約発効は翌年4月)により独立するまでの約7年間を指す。シリーズのラインナップは次のとおり。
・第1回 日本分割──知られざる占領計画
・第2回 サンルームの二時間──憲法GHQ案の衝撃
・第3回 酒田紀行──農地改革の軌跡
・第4回 それは晩餐から始まった──財閥解体への道
・第5回 一歩退却二歩前進──二・一ゼネスト前夜
・第6回 くにのあゆみ──戦後教育の幕あき
・第7回 退陣の朝──革新内閣の九ヵ月
・第8回 審判の日──極東軍事裁判
・第9回 老兵は死なず──マッカーサー解任
・第10回 オペラハウスの日章旗──サンフランシスコ講和会議
「日本の戦後」ではシリーズ全編にわたり、再現ドラマを軸に、そこに当事者の証言や専門家による解説を織り込むという構成がとられた。このためにドラマや教養、報道などNHKの各セクションからスタッフが結集される。
俳優たちについては、ほぼすべての回に登場する吉田茂に扮した松村達雄をはじめ、その似せっぷりに驚かされる。第7回では、初めて社会党から首相になった片山哲を、黒澤明監督の映画「七人の侍」や「隠し砦の三悪人」などで知られる千秋実が演じているが、これも本人の人柄まで伝わってくるほどそっくりだ。また第5回では、当時30代だった地井武男が、1947年に計画された二・一スト(官公労働者によるゼネラル・ストライキ)で中心的役割を担いながらも、マッカーサーの命令でスト中止へと追い込まれる全官公庁共闘議長・伊井弥四郎を熱演している。
脚本では、映画監督としても活躍した恩地日出夫(テレビドラマの代表作に「傷だらけの天使」「戦後最大の誘拐 吉展ちゃん事件」など)が第1回を手がけたのをはじめ、朝ドラ「雲のじゅうたん」や大河ドラマ「武田信玄」などの作品がある脚本家・田向正健(第4回)、NHK記者からノンフィクション作家に転身した柳田邦夫(第7回)などが参加している。特筆すべきは、劇作家の別役実が、第2回と第10回の脚本を担当していることだ。不条理演劇で知られる別役が、なぜ起用されたのか、気になるところではある(アメリカに主導権を握られた占領状態が、一種の不条理ということなのか?)。
先に書いたように、このシリーズはドラマのなかに証言などのドキュメンタリー要素を差し挟むというスタイルをとっている。しかし、戦後の教育改革をとりあげた第6回ではちょっとびっくりするような演出が見られる。この回では、戦時中に軍国主義教育を行なった教職員が、GHQの指令により追放されたという事実が、長野県でのケースを通して描かれた。その再現ドラマ中、長野県庁に設けられた教職員適格審査委員会で、ある国民学校(戦時下の小学校)の校長が、告発者の証言に対し反対尋問を行なう。教師はそこで審査委員から「あなたの推奨する本をあげてください」と言われ、『正気集』という書名を現物とともに掲げる。
戦前・戦後の「断絶」と「連続性」
このシリーズを通して視聴すると、GHQがいかに絶大な権力を持っていたかがよくわかる。番組内の再現ドラマでは、日本側がその指令に戸惑いながらも、従わざるをえなかったことが強調されている。しかし、GHQの指令を受けて実行された政策には徹底しなかったものもある。財閥解体はその顕著な例だろう。復活した財閥は、戦後の高度成長を牽引することになる。このあたりについて番組では終わりに示唆するにとどまり、なぜ財閥が復活したのか、その理由までは触れられなかった。
その後の戦後史研究では、GHQの主導による戦後改革による戦前と戦後の“断絶”とあわせて、“連続性”も重視されるようになった。たとえば経済学者の野口悠紀雄は、戦後の高度成長を支えたのは、戦時中の総力戦体制のもとで形成された枠組みであるとした「1940年体制」を提唱している。
このほか、「日本の戦後」でとりあげられた事柄には、その後の研究によってさらにあきらかになった事実もたくさんあるに違いない。また、シリーズの各回でとりあげられた事柄には、実際には多くの要素が含まれているはずだが、番組内ではかなりテーマが絞り込まれている。そうした番組からとりこぼされた要素や、その後の研究であきらかになったことも捕捉しながら、このシリーズを再放送するというのもありだろう。NHKにはぜひ検討してもらいたいところである。
なお、「日本の戦後」の放送にあわせて、番組の内容をシナリオ形式で収録した『再現ドキュメント 日本の戦後』上下巻(日本放送出版協会)と、番組制作にあたっての取材の経過などを『NHK「日本の戦後」取材記』上下巻(学習研究社)が刊行されている。このうち『NHK「日本の戦後」取材記』上巻の巻頭では、番組スタッフが日本とアメリカ両国で資料を集めた際、その彼我の落差に気づかされたとの記述がある。それによれば、《日本の資料はせいぜいどうしても必要だった公文書と、個人がたまたま書き残したメモ程度であるのに比して、米国の資料は、ある決定に至るまでの膨大な会議録、そこでたたかわされた多数意見と少数意見、等々が詳述されている》という。それから40年以上が経ったが、この日米の落差はどの程度埋められたのか。おそらくほとんど変わっていないような気がするのだが……。(近藤正高)