先週から引き続き、老人たちが直面する「死」と「老い」がドタバタしつつもシビアに描かれた。

「ボケ菌」が広がっている!?
認知症の症状が「火のように」加速した九重めぐみ(松原智恵子)は、部屋中に汚物をたれ流し、介護をしていた秀サン(藤竜也)に馬乗りになって首を絞めるという末期な状態。「やすらぎの郷」内の病院棟へ強制収容された。
「めぐみさんには自分がついていなければダメだ」と主張する秀サンは、力ずくで病室に押し入ろうとするが、スタッフにアッサリと押さえ込まれてしまう。
「アンタも老いたんだ、年を取ったんだ。年を取るってのはそういう事なんだ」
興味深げに秀サン vs スタッフのバトルを見守り、こんなことを心の中で思っていた菊村栄(石坂浩二)はどこか嬉しそうだ。
こんなにめぐみのことを思っている秀サンだが、めぐみの方は「秀サンを殺してしまった」と思い込んでいるようで、目の前に秀サン自身がいるにも関わらず、決して本物の秀サンだと認めようとしない。
そんな感じなのに、名倉理事長(名高達男)や菊村のことはキッチリと認識しているのが悲しい。
秀サンは秀サンで、スタッフに苦もなく取り押さえられてしまったことにプライドを痛く傷つけたようで、なんとスタッフに対して「果たし状」を送りつけたという。こっちも少々ボケてきたんじゃないかと心配になってくる。
マロ(ミッキー・カーチス)は以前から、認知症が感染していく「ボケ菌」の存在を主張していたが、その説を信じそうになるほど、すごい勢いで「やすらぎの郷」に認知症が広がっているのだ。
入所した当初はしゃべったっきり老人と化していた桂木夫人(大空眞弓)。盗癖も発症して万引きを繰り返すという、なかなかエキサイティングなボケ方をしていた。
最近は症状が治まっているのかと思っていたが、付き人のように従っている中川玉子(いしだあゆみ)曰く、認知症はさらに進んでおり、洋服もひとりでは着られない状態。
ズボンを頭からかぶって「なんで顔が出ないのよ!」と叫ぶ桂木夫人と、それを必死で介護する玉子。秀サンとめぐみのやり取りも、孫が「フリスク」っぽいタブレットを好きだと聞いて段ボール2箱も取り寄せてしまったお嬢(浅丘ルリ子)も、本人たちは神剣なんだろうが、端から見るとギャグでしかない。
倉本聰がたびたび引用しているチャップリンの言葉「人生はクローズアップで見れば悲劇だが、ロングショットで見れば喜劇」そのままだ。
認知症の妻からの言葉「恋をしてたかも」
「やすらぎの郷」で認知症になっていく老人たちを見るたびに菊村が思い出してしまうのが、晩年、認知症となり壊れていった妻・律子(風吹ジュン)のこと。今回の回想シーンは切なかった。
夫である菊村のことを完全に忘れ去り、
「どちら様? はじめて見る方。……ウフッ、趣味よ、私。若い頃知り合ってたら、もしかしたら私、恋をしてたかも」
長年連れ添った配偶者を認識できないほどに認知症が進んでいるにも関わらず、「趣味よ」と語る妻に対して菊村はどんな思いを抱いたのか。
「人生の終焉に近づいて来た、役目を果たし終えた人間の脳に『お疲れ様』と言う代わりに、そういうボケ菌が近づくのかも知れない。ある種の好意で、慰労も兼ねて……」
認知症に対してこんな解釈の仕方があるとは。
若い時に夢中になった映画や本を、もう一度、新鮮な気持ちで楽しめるとしたら、長年連れ添った夫と、もう一度恋できるとしたら……ちょっとうらやましくもある。
最期には麻酔を使ってコロッと逝きたい
ドキッとさせられたのが、マロの安楽死願望だ。
弱り切って死んでいった大納言(山本圭)の姿を見て、「意識も食欲もあるうちに盛大なパーティーを開いて、最期には麻薬を打って、苦しみもなくコトッと逝きたい」と語っていたことがあるが、今回はさらに具体性を増していた。
自分主催で自らの生前葬を開き、酒を飲んで麻雀大会をやって、みんなが自分のことをどう思っていたのか見届けてから、最期には麻酔を使ってコロッと逝きたいという(麻薬から麻酔になったのはコンプライアンスの問題か!?)。
「ムチャクチャな言い分だと思いはしたが、それも正論だと、どこかで思っていた。私自身が心のどこかで、そういう死に方を夢見てもいたのだ」
日本尊厳死協会の顧問に就任している倉本聰は、たびたび「理想の逝き方」を語っているが、倉本自身もこんな最期を夢みているのだろうか。
老人ホームという特性上、当たり前ではあるのだが
入居している老人たちが、ドタバタ騒ぎを起こしつつもじょじょに衰え、死に向かっている様子が描かれている本作。
1年間の長〜い放送期間もぼちぼち後半戦に突入するが、どんなラストが待っているのだろうか。
(イラストと文/北村ヂン)