首都圏を中心に全国21か所の診療拠点を持ち、約7,000人の患者を105人の医師で診察する悠翔会。在宅医療の1つの成功モデルとしての評判も名高いが、目指しているのは事業拡大ではなく地域に必要とされる診療機能の拡充だ。

人々が人生の最期まで安心して暮らせる未来を目指し奮闘する悠翔会理事長の佐々木淳氏に話を伺った。

【ビジョナリー・佐々木 淳】

  • 人の生の奥深さにふれられるのが訪問医の醍醐味
  • ミッションは地域から求められる医療を提供すること
  • 在宅医療はツールにしか過ぎない

人の生の奥深さにふれられるのが訪問医の醍醐味

地域医療を変革 超高齢社会を心豊かな未来に

「悠翔会を開設して16年になります。首都圏に18ヶ所、愛知県鹿児島県沖縄県にそれぞれ1ヶ所ずつ、合計21ヶ所に拠点を持ち、50人の常勤医と55人の非常勤医を抱えるまでになりました。私は理事長ではありますが診療部長でもあり、悠翔会在宅クリニック稲毛の院長として日中は患者さんのご自宅や老人ホームを訪問し診療を行っています。

最近は内閣府や厚労省のお仕事をいただくことも多く、そういった仕事は現場や地域を良くしていくための重要な仕事ですので、なるべく引き受けるようにしています。臨床以外の仕事は基本的に診療時間後に入りますので、平日はだいたい22時頃まで仕事がぎっしり入っています。

地域医療を変革 超高齢社会を心豊かな未来に
患者を診察する佐々木氏(写真:幡野広志)

9時から18時は患者さんを診察して、その後に打合せや会議、勉強会などを行いますので、『大変ですね』としばしば外部の方から声をかけていただきます。ですが、診療時間は僕にとっては患者さんの大切な人生の一場面にご一緒させていただく貴重な時間です。患者さんと向き合うことで、人の生の奥深さをいつも考えさせられます。自分自身を成長させてくれる臨床の仕事は、仕事というより僕の生きがいなのかもしれません。

近年、医療を取り巻く地域の状況や社会のニーズは大きく変化しています。医療機関を経営していくためには時代の変化に敏感でいることが必要であり、それには現場に立つのが一番です。また理事長として悠翔会の医師たちを束ねていくためにも、臨床から離れるわけにはいかないんです。

『医師』というのは現場主義なところがありますから『現場をやらないヤツが何を言っているんだ』と、後ろ指を指されないようにするためにも、臨床の時間は削れません。そして『他の常勤医よりも多くの患者を診察する』ことで、医師たちの陣頭指揮をとるようにしています」

医療法人社団悠翔会とは

医療法人社団悠翔会は2006年に千代田区に在宅医療クリニックを立ち上げたことから始まる。患者とそのご家族を24時間支えるための医療をチームで提供することが特長で、現在では国内21ヶ所の診療拠点に非常勤を含む105人の医師と70人の看護師、医療ソーシャルワーカー25人、診療アシスタント85人がいる。

各診療拠点は地域でのセーフティネットとしての役割を期待されており、医療面・社会面で複雑な課題を抱える患者の支援体制を強化すべく、医療にとどまらず多様な専門職が連携して患者のサポートをしている。

地域医療を変革 超高齢社会を心豊かな未来に
地域医療を変革 超高齢社会を心豊かな未来に
診療拠点と連携パートナー施設(悠翔会ホームページ・ANNUAL REPORTより)

佐々木氏は内閣府規制改革推進会議メンバーでもあり、医療・介護・感染症対策専門委員として重要な役割を担う立場にもある。「在宅医療は、新型コロナウイルス感染症の最前線」と語る佐々木氏。昨今は在宅医療の枠を越えた新型コロナに対する取り組みにも注力している。

地域医療を変革 超高齢社会を心豊かな未来に
新型コロナウイルス感染患者の元に向かう診療チーム(悠翔会提供)

「すべての人が質の高い生活を送る地域共生社会」実現に向けて、佐々木氏は日々全力で社会が抱える課題に向き合っている。

新設診療拠点は地域にインパクトを与える場所に

現在は首都圏を中心とした拠点構成になっている悠翔会だが、今後は潜在患者数が多い都市部だけでなく地域にインパクトを与える場所に診療所を増やしていく予定だという。 2022年に悠翔会では鹿児島県・与論島のパナウル診療所を承継開業した。

離島医療研修のメッカでもあったパナウル診療所は医師の高齢化に伴い2021年に閉院したが、島で唯一の診療所の再開を求める島民と前任医師からの依頼を受け、悠翔会が後を引き継いだ。2代目院長として学生時代にパナウル診療所で実習を経験し、離島医療に熱い思いを持つ悠翔会の医師が与論島に入った。

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パナウル診療所(悠翔会提供)

パナウル診療所のケースは縁のある医師が悠翔会に在籍していたためスムーズな開業となったが、他の地域ではこうはうまく進まない可能性もある。

無医村と呼ばれる地域を減らすためには、旧来型の“赤ひげ先生”的な診療所を置くのではなく、多職種によるタスクシェア、タスクシフトを徹底的に活用したオンライン診療やチーム編成での医師のローテーションなど、新しい形の診療システムを構築する必要があると佐々木氏は展望している。

ミッションは地域から求められる医療を提供すること

地域医療を変革 超高齢社会を心豊かな未来に

「『質の高い医療を提供できているか?』それはよく聞かれますし、自問自答を重ねてもいます。医療の質って何でしょうか?という問いへの、ひとつの答えとして私は『地域から必要とされる医療』ということがあげられると思います。

質の高い医療を提供できていれば、地域のみなさんから必要とされます。悠翔会は地域医療を変革し、超高齢社会を心豊かな未来にするためにあるわけですから、地域から必要とされなければ存在意義はありません。『悠翔会だからこそ、この患者さんをお願いしたい』。そういった依頼を受けて患者さんを任せていただきたいのです。その紹介元として病院だったり、老人ホームやケアマネさんだったり、地域ごとの特性が出ます。医療の質のよさとは『地域ニーズにマッチしたものをどれだけ提供できているか』に密接していると考えています。

今、多くの在宅医は患者さんお一人に対して主に健康管理のために月に 2 回定期的に訪問しています。肺炎が起きたり、輸血が必要になったりと、患者さんが急変してしまった場合は病院に搬送しています。しかし、本来はそういった時にこそ対応することが、在宅診療医の仕事であるべきです。

患者さんが住み慣れた自宅で最期まで生活できるように、病院に搬送せずに患者さんのご自宅で、感染症などの急性期疾患の治療をしたり、輸血などの侵襲の高い処置をしたり、医師は医師免許が必要な作業に特化すべきです。無駄な診療コストは社会の負担になるだけですから。

終末期の患者さんには手厚いケアが必要です。医療用麻薬を用いた疼痛や呼吸苦の緩和のみならず、精神的、社会的、そしてスピリチュアルなケア、家族へのサポートも必要です。終末期のサポートというのは、医療行為にとどまらない奥深いものなのです。

そして人生の最期を迎えるにあたっての『人生のシナリオ』は患者さんそれぞれが持っています。ただ、患者さんたちの多くはどこにシナリオがあるのか分からなかったり、書かれていた内容が思い出せなかったり、あるいはその内容に自信が持てなかったりしています。シナリオの筋書きを引き出し、人生の幕引きのお手伝いをするのが、在宅医療と介護です。医療だけでは患者さんの納得のいく最期の時間は提供できません。在宅医の仕事は患者さんの体の状態を診て適切な処置をすることですが、会話の比重もとても高いのです。患者さんの最期の時間に関わらせていただく医療・介護従事者は患者さんやご家族と対話をし、一緒に考えていかなければなりません。患者さんと一緒にさまざまなことを決めていくのです。

しかし、あくまでも決めるのは患者さんです。僕らはあくまでも患者さんの中にあるものを引き出すだけです。対話をするうちに『自分はこういう人間だったんだ。これをやりたいと思ってたんだ。これをやらなきゃいけなかったんだ』と、患者さんは少しずつ思い出すというか、気付いていきます。ですから残された時間はこうありたいというのが、患者さん自身で明確になってくるわけですね。

例えば、ベッドの上で3カ月だったとしても自分のシナリオで能動的に生きたかどうか。そこがとても重要だと僕は思っています。」

データから質のよい医療サービスを導きだす

住み慣れた自宅で患者が最期まで生活できるようにするために、悠翔会では急変と入院防止に注力している。急変を起こさないために、患者に起こりうる症状とそれに対する処置方法をあらかじめご家族に伝え、必要な薬剤などを渡している。予測される変化への準備が患者とご家族を安心させ、緊急コールの減少につながる。患者の状態を予見し、備えておくことが、緊急コール=急変・入院を減らすためには最重要なのだと佐々木氏は言う。

また、悠翔会ではクリニックごとに、緊急コール数、入院回数、入院日数、みとり率をまとめてデータ化している。

比較することで各クリニックの課題が見つかり、それぞれの地域の特性も浮かび上がっている。他にも患者とその家族、ケアマネ、訪問看護師、連携する地域の施設などを対象に診療満足度調査を行ったり、悠翔会のシステムページでは医師や看護師などのメンバーが診療の質について、それぞれの思いをリレーコラムで綴ったり、「質のいい在宅医療とは?」の疑問にアプローチし、探求し続けている。

地域医療を変革 超高齢社会を心豊かな未来に
2020年よりホスピスカーも運用している(悠翔会提供)悠翔会では患者の7割が月1回の訪問診療

現在、悠翔会では在宅患者の約7割を月1回の訪問診療におさえている。2回目の訪問に充てていた時間を使って、医師は初診患者の診察や患者の満足度向上につながる医療サービスなどを研究している。

悠翔会に所属する医師は「経営のための仕事」はしていない。患者のニーズを最優先に、あくまでも地域から必要とされる医療を提供するために働いている。

悠翔会が状態の安定している患者の訪問診療を月 1 回に設定している理由は、患者と社会の医療費の負担を減らしたいがためだ。「急変が起こらないように患者の状態を予見し細かく準備しておけば、医師による訪問診療は月1回で十分」と佐々木氏は言う。

不安な患者には看護師が電話で相談を受けるテレナーシングもある。悠翔会では無駄のない医療サービスを患者に提供するために、在宅医療や訪問看護に特化したコールセンター「Okitell365」を2020年に沖縄県那覇市に開設した。

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患者のバイタルチェックをする看護師(悠翔会提供)

在宅医療はツールにしか過ぎない

地域医療を変革 超高齢社会を心豊かな未来に

「今、僕らが提供している在宅医療は75点くらいだと思っています。しかし在宅医療は道具にしかすぎません。

在宅医療という道具を使って高齢者や認知症の方、障害のある方たちが、最期まで幸せに生きられるサポートをしています。しかし、100点の在宅医療を目指して、道具だけをいくら磨いても意味がない。在宅医療だけでは幸せにできない部分が今の社会には非常に多いのです。

人生の最期を幸せに生きようと思ったら、それまでの自分の生きざまを見つめ直し準備しておくことが大切です。しかも今は人生 100 年と呼ばれる時代ですから、定年後の生活をどうしたいのか、それぞれがもう少し能動的に考える必要があります。

やはり日本社会のシステムの変革が必要といいますか、国民 1人1人の意識改革が必要だと思っています。与えられて当たり前、誰かがやってくれるだろうという受け身の考え方を変えていかなければいけません。

今は人生最期の不健康寿命の期間を在宅医療でサポートしているような印象を抱かれるかもしれませんが、『通院ができない=在宅医療』というかたちは近い未来になくなるだろうと思っています。車椅子のモビリティが発展すれば患者さんは寝たきりではなくなりますし、認知症が発症しても社会参加できる仕組みが構築されつつあります。だから在宅医療という言葉の概念も、将来は広い意味でのホームケア、健康管理のひとつの道具としての概念に変わっていくでしょう。

訪問診療もそのうち『セピア色の思い出』になる可能性が高いですね。医師はスマホアプリなどを通じて患者さんとコミュニケーションをとり、実際に訪問するのは看護師さんというスタイルがスタンダードになるのかもしれません。

だから今の延長線上で、今の在宅医療を”ピカピカ”に磨いても無駄なんです。次の時代を考え、5年後10年後の社会やコミュニティの変容に合った医療とは何かをじっくりと考え、それに変わる準備をしています。

それには団塊の世代の方々が要介護高齢者になっていく時代がひとつのエポックメイキングになるのではないかと僕は考えています。彼らは学生時代、学生運動で世の中の流れを変えてきた人たちですから、行動力のある彼らが最期のひと暴れで今の日本社会のしくみも変えてくれるんじゃないかなと(笑)」

医療法人社団悠翔会 理事長・診療部長 佐々木淳(ささき・じゅん)氏

1973年京都市生まれ。1998年に筑波大学医学専門学群卒表後、三井記念病院・消化器内科、東京大学医学部付属消化器内科を経て、2006年に最初の在宅療養支援診療所を開設。2008年に同クリニックを医療法人社団悠翔会として法人化、理事長に就任。2021年 内閣府規制改革推進会議専門委員。好きな食べ物はマンゴーとコーンクリームスープ。

編集後記

静かな口調ながらも、在宅医療にかける佐々木先生の熱い思いが伝わってくるインタビューだった。

たとえ病気や障害があっても、残された時間が短くても、すべての人が日々の生活を楽しみ、最期まで自分の人生の主人公として生きられる社会を実現したい…在宅医療の枠を超え、世の中の幸せのために粉骨砕身する佐々木先生。

先生の思いが実現するよう願うだけでなく、私たちも実際に動いていかなければならない。

※2022年8月11日取材時点の情報です

撮影:林 文乃

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